2009年02月20日

ハムレット


ハムレット (新潮文庫)

ハムレット
シェイクスピア (著), 福田 恒存 (翻訳)
新潮社 (1967/09)

To be, or not to be, that is the question.

というセリフで有名なハムレットを読んだ。
シェイクスピア四大悲劇のうちの一つである。

想像していたよりも読みやすい。
タイトルのハムレットというのは主人公の名前で、
彼はデンマークの王子。

「たった二月、いや、まだ、二月にもならぬ。立派な国王だった。」

興奮のあまり、いつの間にか
「それが、たった一月。」

そして
「一月もたたぬうちに。」

最後の方では
「父上が亡くなられてからまだ二時間もたたないのに。」

こういう大げさな言い回し、クスリときます。
狂気のふりか、はたまた本当に狂気か。

国王はその弟クローディアスに殺された。
そして、クローディアスが新しい国王になっている。

それが前提で復讐劇となっているが、
そもそも、亡霊が真実を語ったのはハムレット一人にだけ。
つまり、全てハムレットの被害妄想という見方もできる。

と、ここまで考えて
太宰治の「人間失格」を思い出した。


ところで・・・
解説の後に「シェイクスピア劇の演出」という文章がある。
そこに、ハムレット劇の演じ方についての
アドバイスのような部分があった。

ハムレット役者はハムレットの性格を描写するのではなく、
観客がそのつどハムレットにこうしてもらいたいと願うことを
やってのけることによって、
観客の心理的願望を満たしてやらなければならない。

(中略)

「役になりきる」というのは、
ハムレット役がハムレットに、マクベス役がマクベスに
なりきることでしょうか。
それなら、役者はハムレットやマクベスの僕になってしまうことで、
観客の僕、観客の身代わりではない。
これは、やはり、立役、道化役、敵役になりきることを
意味するものでは無いでしょうか。

(中略)

観客がハムレットを操ろうとする行動を満足せしめるように
演じなければならぬのです。
観客に代わってハムレットを操らなければならぬのです。


「役になりきる」とはそういうことか、
と目からウロコが落ちました。

芝居を見る目が変わったように思います。
舞台だけじゃなく、時代劇とかも結局はそういうことなのかも。

いくら役者が実際の人物に忠実に、あるいは自分の色を出そうとしても
観客や視聴者からイメージが違う、違和感があると思われたら
その時点で失敗ということか。

本編を読んでハムレット劇を見た気になり、
「シェイクスピア劇の演出」を読んで
ハムレット劇を見たいと思うようになった。


■参考
シェイクスピア (1564-1616)
イギリス(イングランド)の劇作家、詩人。

1.習作時代
『ロミオとジュリエット』など

2.喜劇時代
『ヴェニスの商人』『夏の夜の夢』など

3.悲劇時代
四大悲劇(『ハムレット』『オセロー』『マクベス』『リア王』)や
『ジュリアス・シーザー』など

4.浪漫劇時代
『冬物語』など

posted by macky at 23:10 | Comment(0) | TrackBack(1) |  -海外小説 | edit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする