2011年07月14日

戸塚ヨットスクールは、いま

戸塚ヨットスクールは、いま――現代若者漂流

戸塚ヨットスクールは、いま
東海テレビ取材班/著 (岩波書店) 2011年


【概要】
体罰は暴力か、教育か。


【動機】
戸塚ヨットスクールには以前から興味があったので。


【所感】
更正されたはずの卒業生の多くががその後行方不明になったり、またスクールに戻ってきていることから、本当の意味での更正はなされてないのではないかと思った。また、卒業間際で脱走するスクール生も多い。その点で、戸塚ヨットスクールには大きく失望させられた。

正直、この本を読むまでは、戸塚ヨットスクールというと、家庭や学校で手に負えない子供の最後の受け皿としてそういう施設も必要だと好意的に見ていた部分もあったので。

本当はこういう学校が必要とされない社会が望ましいという戸塚校長の言葉は共感できる。つまり、責めるべきは戸塚ヨットスクールではなく、そういうところに入れなければいけない社会が悪いということ。

いじめは必要という意見は、斬新だ。人はいじめられることで自分に足りないものを気付けるという。いじめが必要かどうかはともかくとして、いじめをなくすことは無理だと以前からうすうす感じていた。いじめはいじめられる側にも問題が無いわけではないと思っているので、いじめを強制的になくそうという社会は無理があるように思える。

体罰には基本的に反対である。
話してわからない子供は体罰でわからせるしかないという意見はもっともらしく聞こえるが、話してわからせるだけの技術が無い、つまりたいていは教師の力量不足ということである。体罰からは憎しみしか生まれない。そして、体罰は循環する。


●体罰は相手の自尊心や判断力を破壊し、服従することを(身体で)理解させる。奴隷や囚人を扱うのと同じ方法なのだ。(p141 名取弘文氏寄稿)

☆つまり体罰というのは大人が子供を扱いやすくするために行うものである。戸塚ヨットスクール事件によって、体罰が(子供にとって)いいことから悪いことだと世間の認識が変化していったことはいいことだと思う。これこそが戸塚氏の身体を張った功績なのかもしれない。


「体罰からは憎しみしか生まれない」というのは、体罰を受けた人が、実際はその体罰のおかげでよくなったとしても、素直に感謝することがほとんどなく、(また感謝するとしてもかなりあとになってからである)、体罰を受けたという憎しみしか残らないので難しい。また、昨今の体罰は悪いという風潮から、自身が子供の頃に受けた体罰を思い出し、全ての体罰を否定的に見てしまうのも生産的ではない。

結局、「私も体罰を受けたことがあり、そのおかげで今を生き抜くことができているが、これからの子供にはもっとよい方法で育てたい。できれば、体罰を一切使わずに。」という考えに落ち着く。ただの理想論かもしれないけど。


戸塚校長は神のように尊敬されたり、殺人者とののしられたりとその評価が両極端である。
アノミーにかかっている子は戸塚ヨットスクールでぴたりと治るが、精神病患者など病気の場合はこのやり方では治らないらしい。それを一緒くたにしているから極端に分かれるのだろう。


■参考サイト
青い炎の日記:戸塚ヨットスクール - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/hamaguri1101/archives/50581616.html




【評価】
評価:★★★☆☆


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posted by macky at 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | ドキュメンタリー | edit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする