2013年05月15日

夜と霧

夜と霧 新版
夜と霧 新版
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ヴィクトール・E・フランクル
みすず書房
売り上げランキング: 223



【概要】
1946年、ウィーンで出版。
日本では1956年に出版。

夜と霧。

原題は、「強制収容所におけるある心理学者の体験」
ということで、心理学者からみた心理学者ならではの収容所体験記である。


旧版:霜山徳爾訳。資料豊富。

新版:池田香代子訳。2002年発行。

著者ヴィクトール・E・フランクルはウィーンに生まれ、フロイト、アドラーに師事して精神医学を学んだそうである。



【動機】
アメリカで、「私の人生に最も影響を与えた本」ベスト10入りしている本。

100分de名著で紹介されていたので、
とりあえず新版を読んでみた。



【抜粋】
●新入りの被収容者のこうした瑣末な驚きは、挙げていたらそれこそきりがない。新入りのひとりであるわたしは、医学者として、とにかくあることを学んだ。教科書は嘘八百だ、ということを。たとえば、どこかにこんなことが書いてあった。人間は睡眠をとらなければ何時間だか以上はもちこたえられない。まったくのでたらめだ。(p.26)

☆人間はどんなことにでも慣れる、ということらしい。


●飢えた者の心のなかで起こっている、魂をすり減らす内面の葛藤や意志の戦い。これは、身をもって体験したことのない人の想像を超えている。(p.50)

☆想像を絶する飢え。つるはしを振るいながら、食事休憩のサイレンが鳴らないかとひたすら耳をそばだてていたそうだ。


●天使は永久の栄光をかぎりない愛のまなざしにとらえているがゆえに至福である(p.61)

☆愛されていると感じているから幸せでいられる。愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、つまり、生きているかどうかは問題ではないという。


●ここから連想されるのは、トーマス・マンの 『魔の山』 に記された、心理学的に見ても正鵠を射た観察だ。この小説は、心理学的に収容所と似通った状況に立たせられた人間、すなわち退院の期日もわからない、「未来を失った」未来の目的に向けられていない存在として便々と過ごす結核療養所の患者の精神的な変化を描いたものである。療養所の患者は、まさにここで話している強制収容所の被収容者そのものだ。(p.120)

☆無限に続くかと思われるような苦痛な一日、そして薄気味悪いほどすみやかに過ぎ去ってしまう1週間。収容所の1日は1週間より長いという表現が印象的だ。いつか、 『魔の山』 も読んでみたい。


●わたしはトリックを弄した。突然、わたしは皓々と明かりがともり、暖房のきいた豪華な大ホールの演台に立っていた。わたしの前には坐り心地のいいシートにおさまって、熱心に耳を傾ける聴衆。そして、わたしは語るのだ。講演のテーマはなんと、強制収容所の心理学。今わたしをこれほど苦しめうちひしいでいるすべては客観化され、学問という一段と高いところから観察され、描写される……このトリックのおかげで、わたしはこの状況に、現在とその苦しみにどこか超然としていられ、それらをまるでもう過去のもののように見なすことができ、わたしをわたしの苦しみともども、わたし自身がおこなう興味深い心理学研究の対象とすることができたのだ。(p.124-125)

☆過酷な状況が続いても、それを客観的に見ることで、興味深い学問の対象とすることができたという。
そういえば、日常的にちょっと辛いことがあっても、トレーニングの一環と考えたり、実験だと思えば乗り切れるが、それの大掛りなものかもしれない。まさに著者が生きる目的を見つけた瞬間でもあり、とても印象的なシーンだ。

スピノザによれば、 <苦悩という情動は、それについて明晰判明に表象したとたん、苦悩であることをやめる> ということらしい。 苦悩は、分析して分かってしまえば苦悩じゃなくなるといったところか。



●「生きていることにもうなんにも期待がもてない」と、前に挙げた典型的ないい方をしたのだ。しかしこのふたりには、生きることは彼らからなにかを期待している、生きていれば、未来に彼らを待っているなにかがある、ということを伝えることに成功した。事実ひとりには、外国で父親の帰りを待つ、目に入れても痛くないほど愛している子供がいた。もうひとりを待っていたのは、人ではなく仕事だった。彼は研究者で、あるテーマの本を数巻上梓していたが、まだ完結していなかった。この仕事が彼を待ちわびていたのだ。彼はこの仕事にとって余人に代えがたい存在だけだった (中略) 自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。(p.134)

☆自殺志願の友人に対するフランクルのアドバイスである。
人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。
あなたが人生に絶望したとしても、人生があなたに絶望することは決してない。
自分にしか出来ないことはきっとあるはず。
あなたの帰りを待っているものがあるはず。何かがあなたを待っている。誰かがあなたを待っている。
それが生きがい、生きる目的であると。




●自分が苦しみ、死ぬなら、代わりに愛する人間には苦しみに満ちた死をまぬがれさせてほしい、と願ったのだ。この男にとって、苦しむことも死ぬことも意味のないものではなく、犠牲としてのこよなく深い意味に満たされていた。(p.140)

☆人は意味もなく苦しむのに耐えられない。意味を見出せば耐えられる。



●開放された仲間たちが経験したのは、心理学の立場から言えば、強度の離人症だった。すべては非現実で、不確かで、ただの夢のように感じられる。にわかには信じることができないのだ。(p.149)

☆収容所での生活があまりにも過酷過ぎて、そこから開放されても現実感がないのだという。開放されてからもしばらくは苦しみが続いたそうだ。うれしいという感覚も忘れていたらしい。


●「なんだって? おれたちがこうむった損害はどうってことないのか? おれは女房と子どもをガス室で殺されたんだぞ。そのほかのことには目をつぶってもだ。なのに、ほんのちょっと麦を踏むのをいけないだなんて……」(p.153)

☆極度に虐げられるとこういう発想になるらしい。こんな目にあったのだから、ちょっとくらい大目に見てもらえるはずだ、という態度。この麦を踏むという行為も、本当に麦を踏みたいのではなく、自分の力を誇示したいがための欲求。自由に意のままに動かせるという勘違い。




【所感】
どんな状況でも意味を見つけることで希望は見つけられる。

人間は人生から問いかけられている。

どんなに人生に絶望しようとも、
人生があなたに絶望することは決してない。


人生の意味を見つけるのは簡単ではなく、
そのために自分探しという言葉もあるくらいだが、
自分を待っているものは何かと考えると考えやすい気がした。




【アクションプラン】
・機会があれば旧版も読んでみたい。



【評価】
評価:★★★☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
生きる意味を見失ったときに。
自分の人生に価値を見出せないときに。


(130515 読了)
posted by macky at 23:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 体験記・手記 | edit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする