2016年01月07日

水木しげるの古代出雲

水木しげるの古代出雲 (怪BOOKS)

水木しげるの古代出雲 (怪BOOKS)
水木しげる/著 (角川書店) 2012年


【概要】
水木しげるが描く日本神話の世界。


【動機】
出雲にゆかりのある水木さんならではの日本神話に興味をもったので。
ちなみに今年は「古事記」編纂1300年である。


【所感】
日本の神話は以前読んだことがあったんだけどだいぶ忘れていた。
簡単におさらいしておこう。


黄泉の国(根の国)でイザナミの変わり果てた姿を見たイザナギは
死の穢れを祓うために全身を洗い清める。

左目を洗うとアマテラスが、
右目を洗うとツクヨミが。
最後に鼻を洗うとスサノオが生まれた。

アマテラスは高天原を。
ツクヨミは夜の国を。
そしてスサノオは海原を治めることになった。

しかしスサノオは泣いてばかりで一向に治めようとせず、追い出されてしまった。
スサノオはアマテラスに別れを告げるために高天原へ向かう。

アマテラスは弟・スサノオの乱暴振りを恐れて天岩戸に身を隠す。
世界は真っ暗闇に。
アメノウズメの踊りでアマテラスが出てくると
世界は再び明るさを取り戻した。

だが、スサノオはアマテラスからも追放され、地上に降り立った。
その地が出雲である。


出雲でヤマタノオロチを退治したスサノオは
この土地の支配者だと認められる。
スサノオは諸小国を統合していった。
これが「葦原の中つ国」である。


スサノオから六代目、ヤツカミズオミヅヌ(すごい名前!)の
孫がオオニクヌシ(大国主神)である。
(『日本書紀』ではスサノオの子)


 大黒様のいうとおり きれいな水に身を洗い〜
 ガマの穂綿にくるまれば うさぎはもとのしろうさぎ

という歌もあるように、ウサギを助けたりした。
ちなみに大国主神と大黒様は同一神とされる。

うさぎを助けたことでヤガミヒメと結婚することができた。
ヤガミヒメを狙っていた八十神たちに命を狙われる。

オオクニヌシはスサノオのいる根之堅州国(根の国)に逃げこむ。
スサノオはオオクニヌシが醜男なので殺そうとする。

そこから逃げ出したオオクニヌシは、
スサノオの娘スセリビメを正妻とし、出雲の王になった。
それから領土を広げながら次々と子孫を増やしていった。


ある日突然西の方から船団が。
新羅の皇子アメノヒボコである。
朝鮮半島内では戦乱が多かったので、ヒボコ軍は巧みな戦術を身に付けていた。
出雲軍は退却に次ぐ退却で、播磨、吉備と失っていった。

そんなとき、高天原のアマテラスは、
葦原の中つ国を治めるのは我々だとばかりに次々と使者を立てるが、
みんなオオクニヌシに丸めこまれてしまう。

アメノホヒ(天穂日命)は三年経っても帰ってこなかった。

最終的に、タケミカヅチが国譲りを迫り、強引に奪い取った。
出雲族は戦いに敗れ、オオクニヌシは神殿を造ることを条件に国を譲った。
そして黄泉の国へと退隠し、霊界のみを治めることになる。

さて、無事平定した葦原の中つ国を誰が治めるのか。

アマテラスは、ニニギノミコトをその役にあてた。
ニニギノミコトは三種の神器(八咫の鏡・八尺瓊の勾玉・草薙の剣)を与えられ、日向の高千穂に降り立った。
いわゆる天孫降臨である。このときに先導していたのがサルタヒコ。


国譲りのときの約束により、のちの垂仁天皇のときに出雲大社が造営された。
大和政権はアメノホヒとその子孫に永久に宮司になることを命じた。
すなわち出雲国造に任命したわけだが、
それは現在まで続いていて、現在の出雲大社も、アメノホヒの子孫が斎主となっている。
国造の家系は、天皇家と並んで日本最古の家系である。
ちなみに、南北朝時代に千家氏(せんげし=現在の出雲大社の宮司)と北島氏に分かれ、
それぞれが出雲国造(いずもこくそう)を名乗っていた。



神話の世界と現実の歴史が、混ざり合って接していくのがおもしろいところである。

ところどころ謎な部分や展開がよくわからないところがあるが、一つ言える事は、
オオクニヌシは古代日本の主であったということだ。


大黒さまは誰だろう 大国主のみこととて
国をひらきて 世の人を・・・




【評価】
評価:★★★☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
日本の神話をマンガでさらっと学びたい人に。





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(121221 読了)
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2016年01月06日

ゲゲゲの女房

ゲゲゲの女房 (実業之日本社文庫)

ゲゲゲの女房
武良布枝/著(実業之日本社) 2011年 (単行本は2008年)


【概要】
著者は、『ゲゲゲの鬼太郎』 の生みの親・水木しげるの夫人である。
同書を原案として2010年にNHK連続テレビ小説が放送された。

【動機】
『ゲゲゲの大放談』 を読んで興味を持った。


【所感】
水木サンの自伝は何度か読んでいるが、それを奥さんの視点から見ると新鮮だった。


【抜粋】
以下におもしろかったところを抜き出します。

●私は水木の手伝いをするのが好きでした。「おい、ちょっと手伝ってくれ」といわれると、嬉々として仕事場へ飛んでいきました。私でも水木の役に立てるということが、本当にうれしかったのです。(p.79)


●でも、このときばかりは、生活の苦しさも忘れ、せめて仕事をしている日々の姿をこの目で見ている私だけでも水木の努力を認めてほめてあげたい、水木には大好きなおいしいコーヒーをご褒美に飲ませてあげたいと思いました。(p.88)


●そして水木が出会ったのが 『ゲーテとの対話』 という本でした。
「エッケルマンという人が書いたものだけれど、この本がいちばんゲーテの考え方がよくわかるんだよ」
 そういって、私に差し出した文庫本は、何度も何度もページをめくったからでしょう。ぼろぼろになっていました。(p.92-94)


●質屋から戻ってきたものもありました。その中に、水木の古い背広がありました。東京に出てきたころから数えると10年間、質屋に出たり入ったりしていたその背広は、もう処分するしかないほど、すっかり型崩れしていました。(p.141)

☆うちの近くにも質屋あるのかな。着ない服とか持って行ってみようかな。またはヤフオクで売るか。


●古本屋では、妖怪のことが書いてある古文書や、ハヤカワミステリーなどをたくさん買ってきました。水木いわく、ハヤカワミステリには、物語をつくるヒントが詰まっているんだそうです。締め切りが終わって、次のネタを考えなくてはならないときなど、ハヤカワミステリーをせっせと拾い読みしていました。(p.162)


●「東映は『鬼太郎』を映画にしたいんです。テレビにもしたいんです。映画はすぐにできます。でも先に映画にしてしまうと、テレビにはできません。一方、テレビにするとしたら、まずスポンサーをさがさなくてはならないので、スタートまで時間がかかります。でも、テレビは映画とちがい、連続物になるので、毎月、決まった額をお支払いできます。先生、映画とテレビ、どちらがいいですか。先生が選んでください」(p.166)

☆水木サンはしばらく考えた挙句、テレビに。理由は「一年でも二年でも、飯が長く食えるほうがいい」というもの。


●このころから、読書やファンに対しては意識して「水木しげる」の役を演じなければならないと思うようになっていたようで、身内や古くからの親しい人に対してと、そうでない人に対するときとで、接し方が変わるということが、その後が、長く続きました。(p.187)

☆けっこう観察力がすごくて、水木サン本人の自伝よりも詳しいかも。


●水木は他のマンガ家さんの作品をほとんど読みません。自分の作品が掲載されている雑誌が送られてくると、ペラペラめくって他の作品もちらっと見るのですが、それだけでした。それだけで、その作品やマンガ家の本質を見抜いてしまうようなところがあります。(p.222-223)

☆手塚治虫は忙しい合間を縫って他のマンガ家もチェックしていたというから対照的だ。




【アクションプラン】
・ 『ねぼけ人生』 を読む。

・ 『水木しげる伝』

・境港の「水木しげるロード」に行ってみたい。その前に 『ゲゲゲの鬼太郎』 を読んでおきたい。

・足立美術館にいつか行ってみたい。


【評価】
評価:★★★☆☆(3.4)
こんな人に、こんな時におすすめ:
水木サンのことをもっと知りたい人に。





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(121122 読了)
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2016年01月05日

ゲゲゲの大放談

水木しげる ゲゲゲの大放談

水木しげる ゲゲゲの大放談
水木しげる/著(徳間書店) 2010年


【概要】
ゲゲゲの女房、ゲゲゲの娘、中川翔子、佐野史郎、南伸坊、荒俣宏。多彩なゲストと繰り広げる抱腹絶倒のスペシャルトーク。水木サンとの対談集である。


【動機】
水木サンの著書を乱読中。


【所感】
屁の話などが何度も繰り返されてさすがに飽きるが、一番伝えたかったのもそこかもしれない(笑)
水木サンの健康の秘密に迫る。

「テレビくん」も掲載されていた。
初めて読んだがなかなかおもしろい。


【抜粋】
●――奥さんは 『ゲゲゲの女房』 の中で、底なしの貧乏生活にあっても水木先生には大きな船のような安心感と包容力があったと書いていますが、先生は自分が悠然としていられたのは内助の功によるものだという思いはありませんでしたか?

水木 感じなかったねえ。自分の仕事ばっかりで。ようするにおもしろくないマンガを描くと引きずり下ろされるから、その他の事には思いがいかんですよ。(p.17-18)

☆うわぁ、これは見習いたいなぁ。他の事を考えず、まさに一心不乱。一つのことに打ち込む姿勢。まあ、他の事を考えなくてもいい環境を作るって事が内助の功なんだろうけどね。そういう意味でもいい夫婦だ。


●寝れば寝たぶんだけ寿命が伸びる。ゆっくり寝ることこそ黄金の時間なんですよ。その時に全てのアイディアの基になるようなことが全てできるような感じです。(p.90-92)

☆徹夜をして命を削ると短命になるというのはよく聞くけど、寝た分だけ寿命が伸びるというのは初めて聞いた。今までは寝てる時間がもったいないと思っていたが、一生のうちで起きてる時間が同じなら、よく寝てパフォーマンスを上げたほうが効率的なのかも。


●なによりも知らない間に金が入るわけですからね。(p.171)

☆幸福論を追求する水木サン。1に睡眠、2に食べ物と来て、3にお金というのが水木サンらしい。やっぱりお金の心配をしなくていいことが幸せの条件の一つ。


●20〜30年前は貧乏と言われるとハッとしたけど、だんだんと金も貯まってきて下がってきた。だいたい20年ぐらい前から、ぼちぼち金ができるようになったなあ。

☆20年前というと、66歳くらいからやっとお金に苦労しなくなってきたのか。



【アクションプラン】
・武良布枝 『ゲゲゲの女房』 を読んでみる。 →読了(121122)



【評価】
評価:★★☆☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
水木サンの対談集を気軽に読みたい人に。





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(121101 読了)
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2016年01月04日

水木サンの幸福論

水木サンの幸福論 (角川文庫)

水木サンの幸福論
水木しげる/著(角川文庫) 2007年 (単行本は2004年)


【概要】
水木しげるの自伝書。


【動機】
水木サンの著書を乱読中。


【所感】
ユーモアがあって読みやすい。

のんきなところや、楽しくなったりするところが似ている。

食べるために職をいろいろ探したりするところは、とてもわくわくする。一番実入りがよかったのは募金活動(戦争で左腕を失ってたので)だっとというのも、生きるためには何でもやるというのが伝わってくる。
ひょんなところからマンションを安く買って人に貸して家賃収入を得たり、けっこう楽しそうだ。



【抜粋】
●水木サンは売れなかった時代でも、原稿料の大半は、漫画の筋を考えるのに役立ちそうな本とか、妖怪の作画のための資料とかを買い込むのに使っていました。食べ物を買う金も満足に残らなかったが、それだけ「好き」の力が強かったのです。
 ところが、同業者の家に行くと、本なんか一冊もない人たちも少なくありませんでした。面白おかしく、楽しみながら好きな漫画を描いて、楽して暮らしたいという人たちです。そういう人たちは、ほとんどが消えてしまいました。たぶん「好き」のパワーが弱かったのでしょう。
 水木サンが幸福だと言われるのは、長生きして、勲章をもらって、エラクなったからではありません。好きな道で六十年以上も奮闘して、ついに食いきったからです。ノーベル賞をもらうより、そのことのほうが幸せと言えるでしょう。(p.18-19)

☆好きな道で生きることこそ何よりの幸福。成功している人の大半は、水木サンのように収入のほとんどを資料集めなどの投資に費やしている。


●部屋に入ると、祭壇の正面に一升瓶が置いてあったのを覚えている。島根半島にある一畑薬師からもらってきた水である。長く置いておくと水は腐るはずだが、何となく不潔なこの水で眼を洗うと効くらしかった。(p.41)

☆水木サンが子どもの頃に通ったというのんのんばあの家の話。ずっと置いてても腐らないということなので、アルカリの水かな? だとしたら、眼に効くのもうなづける。


●相変わらずの落ちこぼれ二等兵の日々を過ごすうち、八月十五日を迎え、「ポツダム宣言受諾」が伝えられた。ジャングルにいる我々には意味が分からず、「勝ったのか」というささやきも漏れたが、やがて負けたと分かった。私はずっと前から負け戦を悟っていた。落胆と虚脱感が渦巻く中、「生き延びた!」と思った。感無量だった。(p.103-104)

☆最前線で戦っている兵士たちは自分たちが勝ってるか負けているかすらも知らなかったのか。負けたという悔しさよりも「生き延びた」という喜びの方が大きいのはリアルだ。


●自作の劇画や漫画の中で、最も愛着深い作品は何かと聞かれれば、『総員玉砕せよ!』と答える。ラバウルでの体験をもとに描いた戦記ものだが、勇ましい話ではない。誰に看取られることもなく、誰に語ることもできずに死んでいき、そして忘れられていった若者たちの物語だ。(p.104)

☆『総員玉砕せよ!』 も読んだが、やっぱり水木サンにとって戦争体験は人生のコアになっていると思う。


●ほうほうの体で神戸にたどり着いて、これまた安い宿に泊まった。ここでも雨にたたられ、長逗留になった。ある夜、中年の女性経営者が部屋にやって来て「この家を買ってもらえんやろか」と持ちかけてきた。アパートにしたらいいと言う。値段は二十万円と、ひどく安い。よく聞いてみると、百万円の借金が付いていた。・・・(中略)・・・アパートは神戸市兵庫区の水木通りにあったので、「水木荘」と名付けた。1949年(昭和24年)のことで、私は27歳になっていた。
・・・(中略)・・・
勝丸センセイは物覚えがきわめて悪く、私が何度「武良です」と本名を言っても、水木荘の連想から「水木さん」と呼ぶ。いちいち訂正するのが面倒になって、とうとう水木をペンネームにしてしまった。茂はひらがなにして、半世紀以上たった今でも使っている「水木しげる」が誕生したわけだ。(p.120-127)

☆「水木しげる」という名前の誕生秘話。ちなみに、勝丸センセイというのは紙芝居の顧問の先生である。この頃から水木サンは紙芝居の絵を描き始めることになる。少年時代からの夢であった「絵で食う暮らし」が始まったわけだが、ほとんど儲からず、アパート経営による収入に頼っていたようだ。ちなみに、水木荘は四年後にいよいよ立ち行かなくなって95万円で手放し、西宮市に小さな家を買って引っ越したようだ。


●四年後に二女悦子が生まれたが、何と誕生日は尚子と同じ12月24日。このころは少年漫画氏で売れ出していて、極貧は何とか脱出していた。誕生日まで計算していたわけではない。だが、誕生日のお祝いは二人一緒にできるし、おまけにクリスマスイブだから、その祝いもあわせて済ますことができる。プレゼントもまとめて一個。(p.146)

☆合理的だなぁ(笑)


●『テレビくん』 は思いのほか好評で、その年に第六回講談社自動漫画賞をもらうと、まるで堰を切ったように少年漫画誌から注文が舞い込んだ。貸本漫画の原稿料は1ページだいたい三百円。『ガロ』 は五百円もくれたので驚いた。ところが、少年漫画誌は一ケタ違う。私も妻もあまりの高額に目を丸くした。
 長い長い間、私に付きまとっていた貧乏神は去った。しかし、今度は妖怪が取り憑いた。やっかいなやつで、名前を「妖怪いそがし(忙し)」という。
・・・(中略)・・・
『テレビくん』 が掲載された直後の1965年(昭和40年)8月から、『週刊少年マガジン』 で 『墓場の鬼太郎』 の連載が始まった。明るく、愉快な妖怪漫画は人気を呼んで、注文攻め、締め切り攻めになった。
 43歳の人気漫画家の誕生である。鬼太郎だけではない。河童の三平や悪魔くんなど、紙芝居や貸本屋のころから手なずけておいた主人公たちを総動員して、殺到する週刊、月刊の連載をこなしていった。(p.156-157)

☆長い下積み生活、貧乏生活を経て、その努力が実って売れっ子になる瞬間というのは何度見ても気持ちがいい。売れっ子になると途端に忙しくなるから、下積み時代に何をやっていたかがとても大事になる。集中的な勉強なども下積み時代にしかできない。もう勉強するものは何も無い、ストックも山ほどあるというときが下積みから抜け出すタイミングなのかもしれない。


●のんのんばあの思い出
宗平 茂はのんのんばあのことをよく書いているけれども、私がいちばん、のんのんばあに気に入られていたんだよ、実は。

しげる のんのんばあの、オンボロの家に最もよく泊まったのが宗平兄だったネ。(中略)

幸夫 でも、やっぱり茂兄がいちばん影響を受けているよね。僕たち二人は、のんのんばあの話は今はもうあんまり覚えていないんだ。

宗平 話はたしかに面白かった。子どもがワクワク、ドキドキする話ですよ。でも、心の底から感銘したり、魂を揺さぶられたりするような中身ではなかったよ。

幸夫 不思議なことやいろいろな話をいしてくれる、優しくて、ちょっと変わったおばあさんという印象の方が強かったな。

宗平 のんのんばあの影響で茂は人生が変わっちゃったんだからな。

しげる そこが水木サンの優れた感受性の証明です。純粋無垢な精神の表れなのです。すなわち天才の証拠ですよ!(笑)
(p.189-190 特別付録1「わんぱく三兄弟、大いに語る」より)


☆『のんのんばあとオレ』 を読んで、のんのんばあに育てられたら誰でも水木サンのような妖怪博士になりそうと思っていたがそうではなかった。やっぱり水木サンは子どもの頃から特別に感受性や霊感の強い子だったのだろう。




【アクションプラン】
・こういう自伝書を作ってみたい。

・しばらく経って(3年後か5年後くらいに)また読んでみたい。


【評価】
評価:★★★★☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
水木サンのことをもっと知りたい人に。
水木サンがどうやって漫画家として食べていけるようになったのか知りたい人に。
売れない芸術家に。
そして、幸福に生きるためには何をすればいいか知りたい人に。





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(121010 読了)
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2016年01月03日

のんのんばあとオレ

のんのんばあとオレ (ちくま文庫)

のんのんばあとオレ
水木しげる/著(ちくま文庫) 1990年 (単行本は 1977年)


【概要】
水木しげるの自伝書。主に少年記である。


【動機】
水木サンの著書を乱読中。


【所感】
「のんのんばあ」というおばけ(妖怪)の話かと思ったら、自伝書だった。
まるで、小学生版ビーバップである。



【抜粋】
●オレたちはボート二隻で沖へこぎ出し、ひっくり返す遊びを始めた。
 ほかの連中にはおもしろいだろうが、六歳のオレにはかなわない。沈むと、死なすわけには行かないから助けてくれるが、また海に投げ込まれる。これを何回もくりかえすのだ。なげこまれるほうはたまったものではない。塩水は飲む、目は痛む。だが、ガキ大将のほうはへいきだ。さすがのオレも胸がドキドキした。
 五、六回目のときだった。
 ザッブーンとボートをひっくり返し、海にはじき出されるや、苦しまぎれに必死で手足を動かした。
 すると、なんだか空(くう)にあがったような気持ちになった。
「あっ泳いだ!」
「ゲゲが泳いだ!」
と、口々にまるでイヌでも泳いだようにいう。
 そのときにはじめてオレは泳げたのだった。
 そのつぎからはもう完全にひとりで泳げたのだから、ガキ大将の教育の力もたいしたものだ。
 のちに、オレがガキ大将になったとき、この例にならい、泳げない子をいきなり海になげこんだら、やはり一日で泳げるようになった。
 つまり、泳ぎなんていうものは、必死にもがけば、カミサマが浮くようにしてくれるものらしい。(p.69-70)

☆昔は荒っぽいな。


●クマは四年生だからオレより上級生だ。負けてもオレは恥にならないとおもったから、いきなりなぐりつけてやった。どうじに、クマの鉄拳もとんできた。(p.79)

☆負けても恥にならないからケンカをしかけるというのがおもしろい。普通だったら負けそうだからやめとこうってなるんだろうけど。


●サーカスではジンタといって、「美しき天然」という、ものがなしい歌をかなでている。テントの外につながれたゾウは、ジンタにあわせているわけでもないだろうが、首をふっている。(p.81)

☆「美しき天然」ってどこかで聞いたことがある。昔、祖父が「美しき天然」の歌詞を手描きで書いていたのを思い出した。当時は昔の歌だとは知らず、流行りの歌だと思っていた。

ちなみに、「うつくしき天然」ではなく、「うるわしき天然」である。麗しき天然。
九十九島の美しい風景を歌った歌だそうな。





ジンタ: 明治中期に興った民間吹奏楽団の〈市中音楽隊〉に,大正初期につけられた愛称で,その演奏を模した擬声語といわれる。最初の団体は1887年に海軍軍楽隊出身者を中心に,30名ほどの編成で発足した〈東京市中音楽隊〉で,行進曲,ポルカ,ワルツ等を演奏し,まだ民間オーケストラもなかった当時,西洋音楽の一般への普及に大いに貢献した。これが日清戦争を機に,全国的に普及流行した。しかし乱立ぎみとなって,経済的な理由から広告業者等に依存してサーカス,映画館等の客寄せ,あるいは広告宣伝の町回りをするようになるとともに,編成も10名以下となり,質も低下し,曲目も通俗曲を小ぶし風の装飾をつけた独得の哀調をおびた節回しで演奏するようになって,大正後半にはすっかり衰退,ついにはチンドン屋等に取って代わられて消滅した。(『世界大百科事典』より)



ちなみに、こちらのイントロを聴くと、あぁあの曲か!となる。次長課長がよくやるアレかな。






●数日後、オレは家の二階で、なにか書いてある原稿用紙を見つけた。
 なんだろうとおもって読んでみると、おやじもやはり第三丸の事件がおもしろかったのか、題までおなじ「第三丸の爆発」という恋愛小説を書いていたのだ。これには驚いた。
 だが、おやじはいつものくせで終わりまでは書かない。途中でネタがつきてしまうらしい。(p.94)

☆おもしろいおやじさんだったようだ。同じ事件を題材にしても、水木さんは怪談もどきの大長編、そのおやじさんは恋愛小説となっている。


●夜になると、紙で作った相撲とりに相撲をとらせなければならない。
 古ハガキなどですもうの人形を作って、台の上に乗せ、手でトントンと台をたたいて勝負を競わせるのである。(中略)本物の相撲取りとそっくりに腹の出たのや背の高いのを作り、本物とおなじ名まえを書き、星取り表まで作るのだ。しかも、幕内からはじめて、十両、三段目、序の口まで作っていくから、番付も拡大し、何百とある相撲取りに相撲を取らせなければならないから、毎日かなりいそがしい。(p.104)

☆全く同じ事を私もやっていた。同じことをやっている人はなかなかいないだろうと思っていたから驚いた。しかも、私の場合は幕内だけだったから、私なんかよりもずっと本格的だ。それでも毎場所、番付を考えるのが楽しかったなぁ。


●ゴローは激怒して、世にもおそろしい「相手なし」をオレに宣告した。
 もう、こうなると、だれも遊んでくれない。
「ええか、もうみんな、ゲゲと遊ぶな。ええな」
 ゴローはみんなにくりかえした。みんなのオレを見る目つきがちがってくる。(p.164)

☆今のいじめ問題の関係者に読んでもらうとどう思うだろうか。

「相手なし」という言葉は初めて聞いた。私が子どもの頃は、たしか「ムラハチ」とか言ってた。「いじめ」と言って大騒ぎしているが、今も昔もそんなには変わらない気がする。

弱いものいじめをしない理由が、かわいそうだとかそういう理由じゃなくて、弱さがうつりそうだからというところが、強さに憧れる水木サンらしい。


●母が、おまえによく似た子どもが新聞に出とるという。名まえは山下清といって、精薄(当時は、チエ遅れというような体裁のいいことばはなかった)の病院にいるという。そこで、毎日、虫を集めて絵をかいているというのだ。(p.165)

☆今ではすっかり有名になっている裸の大将である。当時はまだあまり名前も知られてなかったが、同じ学年と言うことで、兄弟のような親しみを持ってライバル視していたようである。


●校長室に立たされていたときに見た山あり谷ありの立体地図だ。山陰地方が実物のように作られてて、校長室にかざってあった。
 あれをやってみようと、板に粘土をつんで、紙をはって色をつけ、同じような立体地図を作った。
 できあがると、上からながめ、横からながめ、自分の住んでいる地方が自分の手にはいったような気分で、毎日毎日、見ていた。(p.173-174)

☆これもやってみたいなぁと思いつつも、やり方がわからないし、時間がかかりそうだしということでずっと後回しにしていることである。水木サンは小学校五年生くらいでこれをやるのだからすごい。

私が作ろうとしているのは主に山だ。等高線をもとに、山を正確に立体地図にしたいと思っている。この山の頂上からはここが見えるとか、そういうのが作りたい。いつのになることやら・・・。


●これは空腹も空腹だったが、もともと体力はあったし、ほかにも原因があるような気がした。おとなになって、柳田国男の 『妖怪談義』 を読むと、「ひだる神のこと」という一文があって、おなじようなことが書いてある。旅の途中で死んだ人の悪霊が、ダルというものになって、これが道行く人にとりつくのだという。そういうときには霊をなぐさめる意味で食物を一口食えばいい。むかしの人はそのためにフトコロに干飯を持って歩いたそうだ。(p.210)

☆ん、この話は聞いたことがあるぞ。なんだこの既視感は。ダルという言葉もどこかで聞いたことがある。

食べ物を口に入れると直ったというからシャリバテかな。


【アクションプラン】
・講談社漫画文庫も読んでみたい。 →読了(130118)


【評価】
評価:★★★☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
水木サンのことをもっと知りたい人に。
昔の小学生の生活が知りたい人に。


【最後にひと言】
それにしても、のんのんばあに育てられたら誰でも水木サンのような妖怪博士になりそう(笑)
やっぱり、育つ環境は大事だと思った。








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(120924 読了)
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