2016年01月20日

道―部落解放運動と私
上杉佐一郎/著 (部落解放同盟中央本部) 1996年 (初出は1971年)
1,200円+税



【所感】
部落解放運動の歴史などがよくわかる。



【概要】
1996年5月に亡くなった部落解放同盟中央執行委員長・上杉佐一郎の差別と闘いつづけた生涯を紹介。彼をたたえる詩や著書「部落解放と労働者」の中から「部落解放運動と私」の項を選んで収録する。(「MARC」データベースより)



前半は、部落解放の活動家・上杉佐一郎氏の自伝。
後半は、上杉佐一郎氏が亡くなられた直後の座談会となっている。


道―部落解放運動と私
上杉 佐一郎
部落解放同盟中央本部
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【抜粋】
●幼年時代からの差別、あらゆる社会的矛盾、とくに軍隊内での差別と圧制、そのうえ敗戦の廃墟に立たされたこの時、私は自分の進むべき道を選ぶのにもう躊躇はしなかった。召集を受ける前の九州鉄道時代の友人らと語らって「労働組合をつくろう」ということになった。労組結成の指導には、日本共産党の紺野与次郎さんが九州へ派遣されてきていた。(p.35)

☆もともとは共産党が指導していたのか。



●復員してまず西日本鉄道労働組合の結成に参加したのだが、初期の労働組合運動には各種の矛盾や問題が多かった。一つにはマッカーサー指令でできて組合であったということと、結成されたばかりであるから理論的にもはなはだ弱い面があったことである。そのころのやり方というのは、会社の社長や重役のスキャンダルを見つけ出し、それを武器にして突きあげるという方法を一歩も出ていなかった。(p.39)

☆マッカーサー指令でできてたのか。
そういえば、労働組合の結成はGHQの五大改革指令の一つだったな。



●この旭ガラス争議の場合でも、合化労連の組合と太田薫委員長自身も、われわれを左翼暴力集団としか見ていなかったということがいえると思う。部落解放同盟の旗は “魔よけ” だとさえいわれていたものだ。端的にいえば、ある労働争議で、資本家側に暴力団が雇われた時、それに対抗するには解放同盟しかないという認識が、労働組合にあったのだ。
(中略)
われわれが到着しただけで、暴力団をいっせいに撤退させた。われわれ解放同盟が出ると、いつの争議でも暴力団は撤退してしまう。
(中略)
彼らのなかには、部落出身の、われわれの仲間がたくさんいたからなのだ。 (中略) 親父が解放同盟員として支援にかけつけて暴力団と対峙してみると、その暴力団のなかに自分の息子がいる。「なんだきさま」ということになるのだ。親父が息子に向かって怒鳴ると、息子はコソコソと逃げていく。それが実態だったのである。(p.56-61)

☆暴力団に対抗するには解放同盟。それにはこういう理由があったのだ。




●この市長選挙では「高丘稔は部落民である。部落民に市長の座をわたすな」という差別ビラや新聞記事がばらまかられた。このことは、さきに三池闘争について述べたとおり、支配権力側の分裂支配を策する常套手段なのである。(p.77)

☆元大阪市長の橋下徹さんと同じようなことは昔からあったということがわかる。



●その第一歩は、何といっても松本さんの不当追放のその瞬間だ。松本さんの怒り、それから私もふくめた仲間たちの怒り。この時、真剣に、本当に部落の完全解放まで闘わなければならないと決意した。(p.87)

☆部落解放運動が盛り上がったきっかけとなったのが、松本治一郎氏の不当公職追放事件である。
怒りをエネルギーに変えている。




―以下、座談会より。

●(武者小路公秀さん) 解放同盟は、これに対してまったくそうではない。たとえば天皇制について、日本のなかでこの制度がどんなに「合理化」しようとしても持っている非民主主義的な性格を、あいまいにごまかさないで徹底的に否定されますね。(p.101)

☆解放同盟は天皇制に反対している。



●(大賀正行さん) ぜんぜん権力的じゃないんですね。聞き上手というか、ものを言いやすいんです。われわれ若い者の言うこともよく聞いてくれて、私も「こうしたら、どうでしょうか」とよく提言したものですが、わかっていてもわからない顔をして、「それはいい考えだね」と言ってくれるんです。すると、こっちも提言が受け入れられたということで、いい気分になりますね。権力的なリーダーだと、わからなくても「わかってるよ」と言って抑えてしまいますが、上杉さんは逆なんです。だから、いろんなところから上杉さんのところへ進言が集まるわけです。(p.104)

☆相手のメンツを立ててあげるようにすると、有益な情報がどんどん集まる。



●(組坂繁之さん) 「お前は議員になるつもりか」と聞かれました。「議員になるんなら、はようなれ。しかし、地方議員は妥協ばっかりせんならんぞ。そうすると、いつの間にか大衆を犠牲にして自分の選挙に力を入れるようになる。そしたら、運動家としてはどうしても不十分になる。だから、議員になるか、運動をするか、二つに一つだ」と言われました。これに私は「運動一本で行きます」と答えました。それ以来、まわりから「議員にどうや」という話もありましたが、すべて断ってきました、委員長との約束ですから。

(羽音豊さん) 委員長は、ほんとに苦難の時代をずっとたたかってきて、委員長自身が若いときに二日市町議になったこともあるんですね。そこから、「自分は政界に出ない」という信念をもつようになったと思うんです。むろん、委員長が選挙に出れば国会議員になれたと思いますが、もし議員になっていたら、選挙運動に力をとられて、解放運動は全国的にどうなっていたか。そこをキチッと押さえていたという偉さがありますね。(p.111)

☆すごい話だ。
議員になるとお金はたっぷりもらえるけど、選挙活動ばかりになってしまう。
運動家になるとお金の保証はないけど、思う存分働ける。どちらがいいか。
表に出る人(政治家になる人)とそうでない人の違いというのはこういうところにあるのかもしれない。



●(組坂繁之さん) 松本治一郎先生もそうですが、上杉委員長も、闘いを起こすとき、ま、ケンカをするときということですが、かならず相手に逃げ道をつくってやっておけと言うんです。ようするに、最後まで追い詰めると、「窮鼠猫を噛む」ということなるぞということです。そこらへんの戦術の立て方がじつにずばらしかったですね。松本治一郎先生直伝です。
 ですから、たたかうときは激しくたたかっていくが、最後の落としどころをつねに考えていて、相手の立場も立てながら、こちらに有利な方向で解決していく。武田信玄の甲州軍学には「勝利は七分をもってよしとする」というのがあるそうですが、委員長はそのへんの判断がすごかったと思いますね。

(羽音豊さん) よく言っていましたね、「頭と尻尾、そんなもの、何にするか。中身取りゃよかろうが」と。(p.112)

☆逃げ道を作ってやることで相手のメンツも立つし、恨まれずにすむ。完全勝利を目指してはいけない。頭と尻尾はくれてやれ。




【アクションプラン】
・わかっていてもわからない顔をして、「それはいい考えだね」と言ってみる。

・怒りを徹底的にエネルギーに変える。
(『分析心理学・自我と無意識 (まんがで読破)』 に欲望をエネルギーに変えるというのがあったが、それと合わせたらさらにエネルギーが高まりそう。ハングリー精神で成功した人はみなこの二つを上手にエネルギーに変えている)

・逃げ道を作ってやることで相手のメンツも立つし、恨まれずにすむ。完全勝利を目指してはいけない。頭と尻尾はくれてやれ。




【評価】
評価:★★★★☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
読む前と読んだ後で解放同盟や上杉氏に対するイメージがまったく変わる。

 
posted by macky at 23:56 | Comment(0) | TrackBack(1) | 体験記・手記 | edit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする