2016年02月22日

武富士対後藤組

武富士対後藤組
木村勝美/著 (文庫ぎんが堂) 2010年 (単行本は2003年)
800円+税


【動機】
京の花いちもんめ』 を読んで興味を持った。



【所感】
武富士 サラ金帝国の闇』 と似ていた。



【概要】
武富士は創業者である武井保雄が一代で消費者金融業界のトップの座まで築きあげる。しかし、そこには山口組系山建組のフロント企業や、稲川会系右翼団体など、闇の権力とただれた関係が見え隠れしていた。一方、後藤組率いる後藤忠政組長は山口組最高幹部のひとりで、暴力装置と経済力を兼ねそろえる実力派である。武富士の店頭公開を軸にこのふたつの最強組織が激突する。カネに群がる男たちの死闘を描く、戦慄のノンフィクション。(「BOOK」データベースより)


2003年に刊行された 『武富士対山口組』 を改題し、文庫化したもの。



武富士対後藤組 (文庫ぎんが堂)
木村 勝美
イースト・プレス
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【抜粋】
●武井は、当面の地上げ資金として30億円を用意するといった。
 昭和61年5月、七条地区開発の母体となる崇仁協議会が設立された。同和団体である。
 武富士側には伏せていたことだが、石高には悩ましい問題があった。
 それは彼が開発を計画している3300坪の地区内に、京都で最大勢力を有する暴力団会津小鉄会の組事務所が3軒あったことである。将来、会津小鉄会とのあいだで起こりうる問題の処理を誤ると再開発計画そのものが空中分解する危険がある。(p.20-21)
 石高嘉昭は奇策をもちいた。
 つい1年ほど前まで会津小鉄会に近い独立系の地元暴力団内浜会の組長だった藤井鉄雄を同協議会の委員長にすえ、自分は事務局長のポストについたのである。

☆これが後々の抗争の火種となった。



●後藤組長は頭が切れる。
 彼は、野村の意図を感じ取ると、若い組員に命じて糸山事務所に、「糸山先生のパーティに出席しているのだが、私らヤクザなので列席する諸先生方に失礼があってはならんと思っておたずねするのですが、当日は、どのような服装で行ったらよいのか教えていただきたい」
 といった趣旨の電話をかけさせた。
 これを事務員から伝え聞いた糸山が驚愕した。
 自民党の各領袖や有名財界人が集うなかに、ヤクザが何百人も押しかけてきたらどうなるのか、想像しただけでも恐ろしいことだった。(p.235)

☆右翼の野村秋介氏と後藤組長は無二の親友だったようだ。

日本の「黒幕」200人』 によれば、

 1963年、野村は政治家・河野一郎邸に押し入りガソリンをまき、拳銃を発射。燃え上がった炎で邸宅は全焼することになり、懲役12年の実刑判決を受けた。世に言う「河野邸焼き討ち事件」である。
 この事件の背景には、児玉誉士夫の存在があった。河野と親しかった児玉は、右翼のクレーム処理を引き受けることもしばしばあった。野村は当時、右翼世界に圧倒的な影響力を持っていた児玉誉士夫にすら挑みかかったのだ。(p.184)


とある。

また、糸山栄太郎氏については、

 糸山は自分自身を「親の七光り」どころか、「二十一光り」と言ってはばからない。自分で生んだ父親は69年の長者番付日本一になった佐々木真太郎、岳父は笹川了平(日本のドンといわれた笹川良一の弟)、そして叔父の笹川良一、3氏で合計二十一光りだというのである。(p.249-250)


とある。



【評価】
評価:★★★★☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
武富士について知りたいときに。

posted by macky at 23:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | ノンフィクション | edit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする