2017年05月11日

天才

天才
石原慎太郎/著 (幻冬舎) 2016年
1,400円+税


【動機】
角栄はどこで角栄となったのか?

なぜ石原氏が角栄の自伝を書くのか?



【所感】
前書きも章立ても無く、いきなり始まり、途切れることなく延々と続いていくので休むところがなく読むのが疲れる。

一人称で書かれているので、角栄本人が書いているような錯覚に時々襲われる。

造船疑獄についての見解が角栄らしくておもしろかった。国民のためになるのだからいいじゃないか、確かにその通りなのだが、その考え方が結果的にロッキード事件につながっていく。


石原氏が角栄を天才だと思っていることは伝わってきたが、天才らしいエピソードはあまりなかった。

ロッキード事件こそ天才ぶりを発揮して鮮やかに切り抜けて欲しかった。




【概要】
反田中の急先鋒だった石原が、今なぜ「田中角栄」に惹かれるのか。幼少期のコンプレックス、政界入りのきっかけ、角福戦争の内幕、ロッキード事件の真相、田中派分裂の舞台裏、家族との軋轢…。毀誉褒貶相半ばする男の汗と涙で彩られた生涯!(「BOOK」データベースより)


田中角栄の自伝を元東京都知事の石原慎太郎氏が書いている。


天才
天才
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石原 慎太郎
幻冬舎 (2016-01-22)
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【抜粋】
●成績の良かった俺に先生は「お前なら五年修了でも中学には行けるぞ」とすすめてくれていたが、俺としては母親の苦労を思ったらとてもその気になれず小学校の高等科に進むことにした。そして卒業式には総代として答辞を読んだ。卒業後、普通なら何かの仕事を仕事をするべきところだが、両親は何故かすぐに働けとはいわなかった。(p.10-11)

☆昔の小中学校についておさらいしてみた。

小学校の高等科とは、高等小学校のこと。明治維新から第二次世界大戦勃発前の時代に存在した、後期初等教育・前期中等教育機関の名称。
尋常科と高等科を併設する「尋常高等小学校」において、尋常科を卒業した者の進路の一つとなった課程。

現在の小学校は6年間の教育課程を了えると中学校へと入学するが、戦前および戦中戦後の学制では小学校には尋常科(あるいは初等科)と高等科が設置されていた。尋常科は修業年限が6年間の現在の小学校に相当するものだが、高等科は尋常科を卒業した子供が進学するための2年間の教育課程であった。
特に中学校や高等女学校が設置されていない地域の子供の進学先であった。


旧制の高等小学校は、今の中学校に相当しますか? - YAHOO!知恵袋
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1184122861

尋常小学校(義務教育:昔は4年、昭和戦前は6年)が終わると、だいたい次の進路に分かれます。

1.中学校(5年間:女子は高等女学校)→エリート
2.高等小学校(2年間)→学力や経済的理由などで中学校へ行けなかった人
3.各種の工学校、農学校など(高等農業専門学校や高等商業専門学校とは異なる)
4.そのまま家事手伝いや丁稚奉公など(夜にそのような少年少女のために青年学校に通う場合もあり)

>旧制の高等小学校は、今の中学校に相当しますか?
年齢的には今の中学の1・2年です。

>それとも尋常の中のエリート?が行く小学校ですか?
いいえ、エリートは上述のように中学校へ進みます。
高等小学校は、小卒でもないがエリートでも無いという位置づけになります。

ちなみに、当時の軍隊の兵隊(士官などエリートでなく)の学歴調査で、一番多いのが小卒、次が高等小学校卒です。



尋常小学校と高等小学校の違いを教えてください - YAHOO!知恵袋
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1298875072

明治〜昭和戦前期の小学校の名称。明治19年の小学校令で尋常小学校・高等小学校が設置される。この時の尋常小学校の修業年数は4年間で、その後何回かの変遷を経て、明治40年に6年間に延長。ほぼ現在の小学校と同じ修業年数となり現在に至る。昭和16年の国民学校令により、国民学校が設置され、「尋常小学校」の名称は消滅しました。
高等小学校
旧制で、尋常小学校を卒業した者に対し、さらに程度の高い初等教育を行った学校。2年間を修業年限とするが、義務教育ではない。高等科。
この時代ほとんどの子供は尋常小学校が大半でした。
高等小学校は裕福な家の子しか行けない有様でした。



当時は、尋常小学校6年を終えたら、高等科に行くか、さらに金持ちのエリートは中学に行ってたらしい。
成績がよければ、5年で修了で中学に行くこともできたらしい。(いわゆる五修。飛び級)
そうなると、今の小学校6年生の年齢で当時の中学1年となる。
時代によって変遷があってややこしい。

ちなみに、旧制中学校(当時は単に中学という)の多くは現在の高等学校(高校)普通科に移行した。


昔は、飛び級をした人は(年齢が若いから)侮られ、逆に何年も浪人した人ほど(体格や人格や読書量の面で)尊敬されたというからおもしろい。



●高等小学校を卒業した後、俺は何ヵ月かの間、中学の講義録を読みながら、次に何をしようかと考えていた。(p.11-12)

☆「中学の講義録」ってなんだ?

この本を読んでいると、「講義録」で勉強したというシーンが頻繁に出てくる。

調べてみた。


第14回 「懐かしき「講義録」の世界」の巻
http://www.maboroshi-ch.com/old/ata/ord_14.htm

今でいう「通信教育」のようなものだという。


軍人中学講義録全書. 上巻
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/917894

ここで原本が読める。

いやはや、便利な時代だ。

こういった本で角栄は勉強していたのだなぁ。



つまり、角栄は頭がよかったけど、貧しかったので中学には行けず、高等小学校に進んだが、卒業した後は「中学の講義録」を読んで中学の勉強していたのだ。

大成功している人に小卒や中卒が多いが、頭がいいけど貧乏で進学できなかった人に限られるのかも。



●人はあまり知るまいが、俺は無類の映画好きだった。多分その訳は俺の人生というのがいかにも波乱万丈だったからに違いない。 (中略) 人間の生き様にしきりに興味がある。といって、相手のそれについてあれこれ詮索して尋ねる訳にもいくまいし小説を読みふけるほどの時間もないし、一番てっとり早いのが映画で、それを見るのが楽しかった。それも日本の映画だと湿っぽかったり暗かったりするので、やはり外国のものの方が話が意外なものだったりテンポもはやかったりして、いろいろ刺激になったものだった。(p.15)

☆角栄も映画好き。もっと映画を観よう。



●かねてよりの知己で同県人の井上工業の支店長に苦境をうったえ救いを求めたものだったが、有り難いことに救いの神もあって、井上工業の支店の小僧として住み込みで働けることになった。(p.17-18)

☆角栄は井上工業に勤めていたのか!

株主だったこともあるが、そんなこと全く知らなかった。

朝5時起きで、6時までに店の掃除を済ませて工事現場に駆け付け、17時まで仕事をして、18時から始業の学校に間に合うように自転車を飛ばして駆けつけていたようである。



●軍隊にいた頃、早稲田大学の建築に関する専門講義録をとって隠れて勉強していた。(p.22)

☆成功している人はみな隠れて勉強している。専門講義録って今でいうと何だろう?



●「将来あなたが成功をして世に出て、皇居の二重橋を渡るような日があったら必ず自分を一緒に連れていくこと」(p.25)

☆角栄の奥さんが結婚に当たって約束させたこと。

二重橋は皇居内にある橋で、一般人は通ることができない。



●後で聞いたら俺と同年同月生まれの中曽根康弘という東大での内務官僚出身のエリートで、民主党の党首・芦田均を担いで樊吉田(茂)陣営のホープだったそうな。(p.39-40)

☆同じ歳だったのか。角栄の方が年上かと思っていた。



●ある時吉田が、 (中略) 「君は自分の出生届を自分で出しに行ったそうだね」と皮肉な冗談をいい周りを笑わせたことがあったが、俺がそれに答えて「あなたはどうしてそれを知っているんですか」と混ぜっ返したら、吉田がくわえていた葉巻を外しそうになって笑ったので、ああ俺はこの男の心をつかまえたなと思った。(p.40-41)

☆大先輩の前でも、アドリブでとっさに気の利いた返しができる。ここがすごいところかも。



●議員同士の議論の時、オレは昔土方をしてトロッコを押していた時のことを思い出してものをいってやった。(p.42)

☆ふつうなら隠したくなるような過去を武器にしている!



●政治家には先の見通し、先見性こそが何よりも大切なので、未開の土地、あるいは傾きかけている業界、企業に目をつけ、その将来の可能性を見越して政治の力でそれに梃入れし、それを育て再生もさせるという仕事こそ政治の本分なのだ(p.47)

☆これこそ政治の醍醐味だといえそうだ。角栄は根っからの政治家だ。



●水俣病という恐ろしい犠牲まで払って日本経済の復活のために育ててきたのが繊維産業であった。(p.53)

☆水俣病という犠牲を払ってまで育てた繊維を売って沖縄を返してもらったのか。



●特にアメリカの日本を無視した頭越し外交は日本にとって大屈辱だった。 (中略) いい換えれば福田外交の大失態だった。(p.70)

☆ニクソンショックは福田外交の大失態という面もあったのか。おかげで福田は総理のイスがかなり遅れた。



●参議院で議長として無類の権力を振るい強引な議会運営をやっていた福田派の重鎮である重宗雄三議長への反発が募り、河野一郎の弟の謙三が反旗を翻し、これにあの石原慎太郎が加担して年寄りたちを引き回し、それにつられた三木派の連中も加担し、重宗は引退に追い込まれてしまったのだ。(p.71)

☆石原慎太郎が出てきた(笑)



●俺にとって佐藤の退陣は遅ければ遅いほど仲間獲得に時間が増えて好都合だった。(p.71)

☆仲間を増やす戦略。一歩先を睨んで戦略的に動け!



●今思えば、あの期間の時の流れというのは将棋の名人戦の長丁場のようなものだった。相手の長考の間、俺は小さな歩の使い様までを綿密に考えることができたのだ。(p.71)

☆相手が長考の間、じっくり考えることができる。ますます有利になる。



●ニクソンに先んじて北京に乗り込んだキッシンジャー大統領補佐官がいわば手土産として持参して言った貴重な情報とは、かねてから中国と隣接したソヴィエトとの国境紛争に関する情報だったそうな。彼等の国境を流れているウスリー川(黒竜江の支流)の中にある珍宝島(ロシア名ダマンスキー島)という巨大な中州を、ある時中国の国境防衛隊が夜中に侵犯して占拠し国旗を打ち立てた。 (中略) 翌朝一斉射撃で中国兵を撃ち殺し、その後戦車を上陸させて生き残っていた兵隊たちを死体も含めて戦車でローラーをかけて轢き殺してしまった。
 その映像を見て北京は、その分野では今後アメリカに頼るしかないと判断したという。(p.93)

☆この映像あるのかな? 1969年の話。



●毛沢東はソヴィエトに媚びて朝鮮戦争に加担し、その代償に水爆の技術を授かったりしていたものだが、(p.93)

☆中国は朝鮮戦争で水爆を得た。



●あの石原が主導して青嵐会の連中が金権政治を唱えて反発してきた。(p.123)

☆反田中の急先鋒だった石原氏が角栄の自伝を書くというのがおもしろい。書いた理由は「長い後書き」に書いてあった。



●俺が退陣した後の党の総裁、総理大臣を誰にするかというのが大問題となった。となれば党内のいきさつからして椎名悦三郎ということだろうが、誰がどう言い出してのことか、それを椎名自身に決めさせることになってしまった。そして椎名はさすがに自分を指名はせずに、なんと椎名裁定としてあの三木武夫を指名してしまったのだ。(p.126)

☆三木指名の舞台裏。椎名裁定で三木になったのは知っていたが、そういう裏事情があったのか。



●そして事はまさに青天の霹靂のように起こった。(p.128)

☆ロッキード事件は総理を辞めた後に出てきた。


●児玉と俺のかかわりはほとんどありはしない。主な政治家の中で児玉と一番近しいのはかつての河野一郎との関わりからして河野派の後を継いだ中曽根に他なるまいが。(p.130)

☆児玉誉士夫に一番近い政治家が中曽根というのは驚いた。



●それでも俺は竹下という男を軽んじるというか、感覚的に受け入れにくいところがあった。偏見ではないが、県議会議員上がりで総理になった者など今までいはしないし、ヘラヘラ口が軽い、大勢の仲間を束ねるにしては同窓の早稲田の連中にからみすぎている、ということでなんとなく俺の性に合わないのだ。(p.174)

☆かわいがってた人に裏切られたのかと思っていたが、もともとよく思ってなかったのか。



●「十年待てないのか。俺がもう一度やってからお前が総理をやるんだよ」(p.177)

☆この言葉は重みがある。やり残したことがたくさんあるのだろう。
ロッキード事件が無ければ、日本をさらにどのように発展させていたのだろうか?



●あれはまだ若いころ、確か柏崎の映画館で観た 『心の旅路』 という題名のアメリカ映画だった。あの懐かしい電話交換手の三番クンと一緒だった。(p.185)

☆観てみたい。記憶喪失をテーマにした物語。
脳梗塞で倒れて記憶を失った自分と重ねている。



●あれもアメリカの恋愛映画だったが、確か 『裏街』 という、主演の俳優と女優は、シャルル・ボワイエとマーガレット・サラヴァンだった。(p.197)

☆やはり同じように自分と重ねている。波乱万丈の人生だから、いろいろなシチュエーションが重なる。こちらも名作のようだ。観てみたい。



●彼のような天才が政治家として復権し、未だに生きていたならと思うことが多々ある。特に私が東京という首都を預かる知事になって試みながらかなわなかったことの数々は、もし彼が今なお健在でいかなるかの地位にあって政治に対する力を備えていたとして、彼に相談をもちかけたならかなえられたかもしれぬとつくづく思う。(p.208 「長い後書き」より)

☆亡き角栄に対する最高の賛辞と共に、いないことの虚しさ、そしてもしいたとしても、やっぱり同じように葬ってしまうんだろうなという人間の愚かさを考えざるを得ない。



●私は自分の回想録にも記したが、人間の人生を形づくるものは何といっても他者との出会いに他ならないと思う。結婚や不倫も含めて私の人生は今思えば様々な他者との素晴らしい、奇跡にも似た出会いに形づくられてきたものだった。(p.216 「長い後書き」より)

☆いろんな人ともっと出会いたい。






【アクションプラン】
・もっと映画を観よう。

・角栄に関する本をたくさん読もう。

・いろんな人ともっと出会いたい。




【評価】
評価:★★★☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
今ブームとなっている田中角栄について知りたいときに。

 
posted by macky at 23:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | ノンフィクション | edit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする