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2015年08月12日

たった一人の30年戦争

たった一人の30年戦争
たった一人の30年戦争
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小野田 寛郎
東京新聞出版局
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たった一人の30年戦争
小野田寛郎/著 (東京新聞出版局) 1995年
1,650円+税



【概要】
戦後50年。だがルバング島「最後の帰還兵」の元少尉には戦後20年だ。陸軍入隊、島内のサバイバル生活、帰国後の狂騒的な取材、ブラジルの第二の生活まで、文字通り生と死の間を生きてきた自らの半生を語る。(「MARC」データベースより)


【動機】
陸軍中野学校について知りたい。

小野田さんが昨年亡くなったので一度手記を読んでみたいということで。



【所感】
1922年生まれというと、水木しげるさんと同じ歳だ。
戦争体験記を読み比べてみると興味深い。



【抜粋】
●同行の陸軍中野学校同期生と無言で公園を歩いた。慰霊碑があった。
「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」
私は戦友に聞いた。
「これはアメリカが書いたものか?」
「いや、日本だ」
「ウラの意味があるのか? 負けるような戦争は二度としないというような……」
戦友は黙って首を横に振った。(p.14)

☆そういえば、広島の平和記念公園にこういう慰霊碑がある。
どういう思いで作ったのだろうか。



●当時「手記争奪戦、契約金一億円の声も」などと週刊誌で面白おかしく騒がれたが、講談社とは最低保証二千万円で、通常の印税契約だった。手記は六十万部売れ、私は六千万円を手にした。
 むろん、半分は税金である。(p.16-17)

☆手記を書いて三千万円手にしたようである。これを頭金にしてブラジルの牧場を買って経営に乗り出している。



●私は英国製の背広を着、米国製36年型スチュードベーカーに乗って夜のダンスホールに入りびたっていた。「あいつはホールで姑娘(クーニャン、中国娘)を口説くために中国語を勉強している」などといわれたが、“上海育ちの中国人” で通るほど中国語もうまかった。これがもとで、のちに諜報要員として陸軍中野学校へ送られることになるのだが、私は「どうせ二十歳になれば徴兵だ」と、やや刹那的になって遊びまわっていた。(p.47)

☆中国語ができたから中野学校に入れられたようである。



●当時、陸軍には校名を見ても内容がわからに学校が二つあった。「中野学校」と「習志野学校」である。この二校だけは、陸士や歩兵学校、通信学校などと違って、参謀総長の直轄であった。
 わかりやすくいえば、中野学校はスパイの養成機関、習志野学校は毒ガス、細菌戦の専門家教育である。「こりゃ、えらいところへ回された」というのが、私の正直な気持ちだった。(p.49)

☆「えらいところへ回された」」とあるように、志願してのものではないらしい。
習志野学校というのは初めて知ったが、中野学校と並んで特殊な学校だったようだ。
ちなみに、小野田さんは浜松の北の二俣という所にある陸軍中野学校二俣分校に入ったそうだ。しかも一期生。



●11月30日、私たち二俣一期生は、3ヶ月の特殊教育を終え、「中野学校二俣分校退校を命ず」という命令を受けた。なぜ、卒業でなく、“退校” なのか。おそらく「中野学校出身者」という経歴を消すためだったのだろう。(p.53)

☆卒業ではなく退校というところにこだわりが感じられる。



●トイレットペーパーなんて気のきいたものはあるはずもない。木の葉っぱで代用した。木の歯の裏は細い毛のようなトゲがあるので、ズボンにこすりつけてトゲを落として使用した。(p.127)

☆トイレットペーパーじゃいやだ。ウォシュレットが欲しい!なんて言ってる現代人からすれば考えられないことだ。
痔になったりしないのかな?



●川に行くと、ついでに下着や上着を洗濯した。
 水洗いがほとんどだが、襟や背についた脂アカは灰のアクで落とした。なべに入れた灰に水を注ぐと、灰が沈殿し上澄みができる。その水を別のなべにとって下着などを漬けると、きれいに脂が落ちた。(p.134)

☆こういう知恵ってどこから仕入れるんだろう?
インターネットもないのに。



●住民の足元を威嚇射撃すると、たいてい彼らは懐中電灯を放り出して逃げる。懐中電灯の電池はトランジスタ・ラジオには太すぎて入らないので、四本の電池をゴムのチューブで一緒に巻き、これをラジオの線とつないだ。
 余った電池は空き缶に入れ、ロウを溶かして両極を密閉し、放電しないようにした。これで3年間はもった。(p.143)

☆四本の電池をゴムのチューブで一緒に巻き、ラジオの線とつなぐって・・・??

小野田寛郎―わがルバン島の30年戦争』 (p.180)を読むと、さらに詳しく書いてあった。

懐中電灯の電池は太いD型で、むろん、トランジスターラジオには入らない。私はプラスチックのパイプをつくり、その中に “頂戴” した電池を四つ入れてゴムのチューブでおさえ、これとラジオの線とつないだ。


調べてみると、D型は単1電池のこと。
ゴムのチューブでおさえ、ラジオの線とつなぐというのがやっぱりわからない。




●「もし戦争が終わって日本へ帰れたら、隊長はどんな商売をする気ですか。・・・(中略)・・・いっそ競馬の予想でもやってメシを食おうかと……。(p.145)

☆なぜ予想屋なんだろう。自分で馬券を買ってやったら儲かりそうなのに。




【アクションプラン】
・「命を惜しむな」と言われた戦前の方が死を覚悟して生きていて充実している。
命がけで何かをやりたい。



【評価】
評価:★★★☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
小野田さんがどうやって30年もジャングルで生き抜いたのか知りたいときに。

 
posted by macky at 23:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 体験記・手記 | edit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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