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2017年06月16日

秘密結社の手帖

秘密結社の手帖 (1984年) (河出文庫)
澁澤龍彦/著 (河出書房新社) 1984年
563円+税


【動機】
タイトルを見て興味を持った。



【所感】
秘密結社の基本がよくわかった。

夜寝る前に、8か月くらいかけて少しずつ読んだ。



【概要】
世界各国の秘密結社を一通り網羅している。


秘密結社の手帖 (1984年) (河出文庫)
澁澤 龍彦
河出書房新社
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【抜粋】
●ナポリの下層社会の泥棒や乞食から成る「カモラ」という秘密結社では、新入社員は、まず組織から命ぜられた殺人(多くの場合、裏切り者の成敗である)を犯さなければならない。あるいはまた、籤引で当たった者同士が短刀で果し合いを演じなければならない。相手の腕をねらい、どちらかが傷ついて血を見なければ、果し合いは中止されない。こういう危険な試練をくぐり抜けて、初めて一人前の結社員として組織に迎え入れられるのである。(p.14)

☆カモラはここでまとめられていた。

世界のマフィア一覧の概要
https://ichiranya.com/politics_economy/035-mafia.php

ゴミ回収処理業を牛耳っていたらしい。


ウィキペディアによると、
2009年10月・11月、「最重要指名手配犯」のサルヴァトーレとパスクァーレのルッソ兄弟が逮捕された。二人は、カモッラの中で中心的役割を果たしているとされるルッソ一家の中心人物。

2011年12月7日、2000年から国際指名手配されていた「最重要指名手配犯」の一人のミケレ・ザガリアが、16年の逃亡の末ナポリ郊外で逮捕された。彼はカモッラの一派のボスで、本人不在のまま多数の終身刑の判決が下されていた。



●フリーメーソンにしても、それがフランス革命の際に果たした政治的役割は無視し得まい。「自由・平等・博愛」というフランス革命の旗印は、もともとフリーメーソンの標語であった。(p.20)

☆フランス革命ってフリーメーソンが起こしたのか。



●ひとたびキリスト教の勝利が確立すると、すべての密儀礼拝は禁じられねばならなかった。395年に、テオドシウス帝は、全ヨーロッパの密儀を禁ずる布告を出した。それでも異教の礼拝は、さまざまな形のもとに、その後も長く、ひそかに生きのびたのである。すでに述べた通り、ヨーロッパ中世の妖術は、こうした異教の礼拝の名残と見ることができる。(p.67)

☆世界史の教科書を繙くと、 <313年、コンスタンティヌス帝は、従来の迫害政策を一転させてキリスト教を公認し、ついで正当の教義を定めた。392年、キリスト教はローマ帝国の国教となり、他の宗教は禁止された。>

313年にミラノ勅令でキリスト教を公認。
392年にキリスト教を国教とし、ほかの宗教は禁止された。

これ以降、キリスト教以外は異教として地下に潜ることになる。



●ミトラ神の誕生日は、12月25日ときめられていた。この日は冬至であり、1年のこの転機から、日が次第にのびて太陽の力が強まってくるところから、「太陽神の誕生日」と認められたわけである。キリスト教が、キリストの誕生日を12月25日に選んだのは、たぶん、この太陽神崇拝からの模倣であったにちがいない。あるいはまた、太陽神に対抗する意図があったのかもしれない。聖書には、キリストの誕生日については何も書かれていないのである。かくて、クリスマスの異教起源説は、疑い得ないことのように思われる。(p.80)

☆冬至はもっとも昼が短い日。つまりこの日から太陽の力が強まっていくと考えられる。その日をキリストの誕生日に選んだというのがおもしろい。



●ローゼンクロイツとは、ドイツ語で「薔薇十字」の意味だから、団体の名称は、この創立者の名前に由来しているわけである。けれども、こんな名前の貴族が現実にいたかどうか疑わしいので、むしろ問題は、薔薇十字の象徴が何を意味するかを知ることでなければなるまい。(p.123)

☆東方の秘伝的知識(薔薇)とキリスト教(十字架)との、二つの相異なる要素の結合。コンパスや直角定規、ペンタグランマ(五芒星形)はやがて薔薇十字団からフリーメーソンへと受け継がれることになった。



●なぜ彼らがメーソンに加入したかといえば、避難所を求めたのである。イギリス国教に対して都合のわるい立場にあった当時の薔薇十字団員としては、国王の保護を受けていた建築家の組合に自分を登録しておいて、そこで自分たちの思想をひそかに普及させるのが、もっとも安全なやり方だと思われたのである。彼らはフリーメーソンを表看板として、組合の集会堂で自由に会合するようになった。
 それまでは単なる建築師や石工の同業組合に過ぎなかったメーソンが、にわかに、象徴や暗喩にみちみちた、複雑な儀式をもつ入社団体に変わってしまった。(p.129)

☆これがフリーメーソンの実態であろう。中身は薔薇十字団。薔薇十字団の思想の起源は、古代オリエントに発するグノーシス主義や、錬金術の伝統の中にある。キリスト教異端の神秘主義や、回教の影響なども考えられるが、直接の源流は偉大な放浪の医者パラケルススだといわれる。ハプスブルク家の皇帝ルドルフ二世は無類の神秘愛好家で、周囲に錬金道士や占星術師が群がり集まったそうだ。ドイツの薔薇十字団の首領ミハエル・マイエルは、この皇帝の侍医であり、政治上の顧問でもあったという。



●ファシズムから共産主義まで、さまざまな政治体制がフリーメーソンを弾圧している。しかし、最も執念ぶかいメーソンの敵は、おそらく、カトリック教会であろう。(p.150)

☆フリーメイソンとカトリック教会の対立構造。



●サラエヴォの暗殺は、世間でいわれているように、狂信者の盲目的な行動などでは決してなく、導火線に火をつけるべく、細心に計算された行動だったのである。(p.196)

☆第一次世界大戦は、ボスニア・ヘルツェゴビナをめぐるオーストリア=ハンガリー帝国(ハプスブルク帝国)とセルビアの戦いがきっかけ。オーストリアを倒すためにセルビアのアピス大佐が仕掛けた戦争である。セルビアの黒手組だけでは勝てないのでロシアを味方につけた。一人の青年がオーストリア皇太子を殺したのがきっかけで世界大戦に発展したのではなく、戦争を引き起こすために綿密に計算された事件だったそうだ。650年間君臨したハプスブルク帝国は1918年に崩壊した。

“ハプスブルク帝国を崩壊させるのはご自由ですが、これは多民族を統治するモデル国家であり、一度こわしたら二度ともとに戻ることはないでしょう。後には混乱が残るだけです。そのことをお忘れなく。”
− 19世紀初頭、ウィーンを占領したナポレオンにフランス外相シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールが送った手紙



●皮肉にも戦争が終ると、セルビアを中心としたユーゴスラヴィア王国が実現することとなった。
 ところが、今度はユーゴスラヴィアの支配を喜ばない連中が現れた。セルビアぎらいのクロアチアの民族主義者たちである。なかでも狂熱的な民族運動の指導者アンテ・パヴェリチは、クロアチア国家の独立を熱望し、この目的のために、1930年ごろ、民族主義的革命秘密団体「ウスタシ」党を創設した。あらゆる種類のテロルと陰謀を組織的に利用する点において、この団体は「黒手組」以上の悪辣さであった。(p.199)

☆大戦中、アピス大佐は大セルビア主義の夢を目指し、セルビア国王と皇太子の暗殺を企て、現政権を倒し、みずから軍事独裁政権を樹立しようとしたが、陰謀が発覚して逮捕され、銃殺された。その後、ユーゴスラヴィア王国ができて、大セルビア主義は実現した。



●従来の文化やモラルを逆転させた、人類の新しい時代の到来を象徴するために、ハウスホッファーは、古いインド教の象徴物である逆卍形を、このグループのために採用していた。これがのちにナチスの徴章となった鍵十字である。(p.218)

☆ナチスの鍵十字はもともとはインドの逆卍なのか。

ヒトラーは、魔術師ヤン・ハヌッセン率いる「ツーレ・グループ」という神秘学の結社に属していたようだ。そこではアーリア人種にふさわしい入社式や、特有の生活様式が要求されていたといわれる。ハヌッセンは相手に暗示をかけたり、集団的な催眠現象を引き起こしうる技術を教えていたという。ちなみにハウスホッファーはハヌッセンの前の指導者である。



●ナポリのカモラ
「マフィア」については、わが国でも比較的資料が出揃っているようであるから、ここでは、相似たナポリの秘密結社「カモラ」について、簡単に述べよう。この結社は、1820年ごろ、ナポリの下層社会に組織されたが、本来はスペインの移民によって同地にもたらされたものであった。「カモラ」という言葉もイタリア語ではなく、スペインのカスティリヤ語で、「喧嘩」とか「暴力的な争い」とかを表す言葉である。
 同じ「カモラ」の団員にも、泥棒や乞食から成る「下級カモラ」と、恐喝や強請(ゆすり)を事とする「高級カモラ」(一名「手袋をはめたカモラ」)の二種類があった。「マフィア」と同じく、厳格な法規、階級制度、入社式があって、ナポリ王国の牢獄のなかにも支部をもち、組織の最高指導者は、奇妙にも「神聖なママ」という名で呼ばれていた。政府との関係は微妙で、1860年には、その筋と協力してガリバルディ一派の革命運動弾圧の一翼を担い、公認の警察として活動したことさえあった。(p.232)

☆カモラ、どこかで出てきたと思ったら同じ本だった。



●のちに彼は京都を放逐されて、武蔵の国立川に住み、自分の流派の普及に努めたので、他人は彼を立川の文観上人と呼び、彼の流派を立川の邪流と呼んだ。(p.292)

☆立川は昭和公園があるところ。



●紅幇は青幇よりも質が悪く、土匪のあいだに結成されている秘密結社である。強盗、暗殺請負、人身売買、詐欺、誘拐、密輸入など、あらゆる悪事を行うとともに、かつて曾国藩を助けて長髪賊平定の戦いに参加したり、民国成立の後には袁世凱に買収されて、革命党人の暗殺に従事したり、政治的に利用されたこともある。元来、青幇は運輸労働者のあいだに組織された、交通労働組合であるのに反して、紅幇は、敗残兵や流亡民が土匪と結びついて生じた集団であるので、紅幇員には、正当の職業をもっている者がほとんどなく、無職無頼の徒の集まりといってもよい。青幇とは全く性質を異にしているのである。(p.301)

☆紅幇は青幇よりも危険。



●多くのロマンティックな小説家や物語作家によって語り伝えられたために、現在ではすっかり伝説と化している暗殺教団(ハサン派)は、正確には、ニザリ派と呼ばれるべきイスラム教の一派で、シーア宗の分派たるイスマイリ派の、そのまた支派である。 (中略)
 おもしろいのは、この暗殺教団の首領ハサン(「山の長老」と呼ばれた)が、1090年にアラムートの城を奪い、1124年に死ぬまで、ただの一歩も城から出なかったという事実である。 (中略) 彼は、城中の奥深くにこもったまま、セルジューク領土の各地に潜伏する忠実なニザリ教徒に指令をあたえたり、あるいは、城中から刺客をさし向けたりして、つねに平地に波瀾を捲起していたのである。(p.316)

☆ハサン派は多くの小説で語り継がれてきたらしい。



●ハサン波(暗殺派)という名称は、このハシッシュ吸飲者 hachischin から由来したのであり、この言葉は、刺客 assassin の語源にもなっている。(p.322)

☆アサシンってハシッシュ(インド大麻)から来てたのか。



●秘密結社に関する綜合的な論述のほとんど見当たらない現在、この方面に興味をいだいている読者の渇望を、いくらかでも癒す効果はあろうかと、ひそかに考えている。(p.328「文庫版あとがき」より)

☆秘密結社に関する記述がコンパクトにまとまっていた。




【アクションプラン】




【Amazonレビューより】




【評価】
評価:★★★★☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
秘密結社に興味のある時に。

 
posted by macky at 23:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | edit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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