2016年02月29日

死は「終り」ではない―山川千秋・ガンとの闘い180日

死は「終り」ではない―山川千秋・ガンとの闘い180日
山川千秋、山川穆子/著 (文藝春秋) 1985年



【動機】
近藤誠 『患者よ、がんと闘うな』 で紹介されていたので手に取った。



【所感】
夫婦ともキリスト教徒だからかもしれないが文章や考え方がとても独特だ。



【概要】
1988年4月1日、ガン告知の日から55歳で逝くまで。国際派ニュースキャスターが死を見つめつつ綴った感動の日記―家族への愛、仕事への情熱、そして祈り。(「BOOK」データベースより)


ニュースキャスター山川千秋さんのガン闘病記。

4月7日から8月31日までは千秋さんの病床日記に奥さまが解説を付けている形をとっている。

なお、奥さまは千秋さんが亡くなられた後にその日記の存在を知ったようだ。
表面上は大したことがないようにふるまっていても、日記では正直に治療の辛さを吐露していて胸を痛められていた。


死は「終り」ではない―山川千秋・ガンとの闘い180日
山川 千秋 山川 穆子
文藝春秋
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【抜粋】
●ロンドン特派員に代わった主人とイギリスで会った時、「実は離婚したんだ」と告白され、それがきっかけで、二人の交際は始まり、婚約した。(p.81)

☆出会った時は結婚していたけど、次に会った時はバツイチだったようだ。奥さんの方は婚約していたけど破棄。それで付き合うようになったようだ。たまたま偶然イギリスで出会う。こういうのも運命の出会いというものかもしれない。



●5月4日(水)
 今日も不快感は去らない。・・・(中略)・・・この不快感を乗り越えて、通常人なみの言動をするには、よほどの気力と、努力と、信仰が必要だと痛感する。折から、同じガンに侵されていることを公表した伊藤栄樹前検事総長の手記が朝日新聞で連載が始まった。(p.122)

☆先日たまたま、 『武富士対後藤組』 を読んでいたときに気になって、 『日本の「黒幕」200人』 をひもといたら、

日本の法曹界で最も権力のあるポストは検事総長である。


という記述が目に留まり、そういえば今の検事総長、歴代の検事総長は誰だろうと調べたところだった。
ちなみに法務省では他の府省庁と違って、事務次官は通過点に過ぎない。(ナンバー5くらい)

「ミスター検察」こと伊藤栄樹氏は、1985年12月19日から1988年3月24日まで検事総長を務められた。
亡くなったのが1988年5月25日なので、死の2か月前、定年を1年10か月残して退官された。

盲腸癌により死去。

ちょうど、山川さんがガンと闘っているときに
伊藤栄樹氏が朝日新聞に手記(病床回想記)( 『秋霜烈日―検事総長の回想』 )を連載されてて、それを読まれたようだ。


伊藤栄樹氏のガン闘病記 『人は死ねばゴミになる―私のがんとの闘い』 も読んでみたい。



●5月10日(火)
 「治療が実際に始まってみると、やはり、辛い。点滴が具合が悪く、夜中までに三回針を変えた。吐き気はない、と医師には言ってはいるが、実際はそれらしいものはある。下を向くと「ウッと」こみあげてくるものがある。これを吐き気というのだろう。しかし、深酒をしたあとの吐き気には程遠い。(p.128)

☆4月19日(火)から点滴による抗がん剤投与が始まった。抗がん剤の内容については記述ナシ。「3週間おきに」って書いてあったとおり、5月9日(月)に二回目の抗がん剤投与が行われた。

二日酔いの時、抗がん剤の吐き気ってこういうのだろうか、と考えることがある。二日酔いはとてもつらいがしばらくすれば治る、この吐き気が延々と続くなら耐えられないと思うのだが、その吐き気には程遠いと書いてある。



●こっそり洗面所で泣いているところを見られて問いつめられたこともある。
「なんで泣いてるの? やっぱりお父さんはガンなんでしょ?」
 この時に本当のことを言えばよかったのかもしれない。だが、私はその場しのぎの言い訳を続け、冬樹の苛立ちに火に油を注ぐ結果となった。外泊許可をとって帰宅した主人が話しかけても、返事もしなければ顔も見ようとしない。露骨にトゲトゲしい態度を取る。たまりかねた私は冬樹に頼んだ。
「お願い、お父さまにだけはやさしくしてあげて。お母さんにはどんなことを言ってもいいから」
・・・(中略)・・・ある朝起きてみるとリビングにクッションの中身や食べ物や本が散らばっていた。言葉では言い表せない不安や親に対する不信感を、冬樹はそういう形でぶつけてきたのである。もう限界だ、もう話すしかないと思った。(p.146)

☆ガンとの闘病においては、幼い子供への告知も問題となる。

中学生ともなれば敏感だから気づく。
ガンということよりも、それを隠しているということに不信感を募らせるものだ。

話すべきか。話すとすればいつ話すべきか。タイミングも難しい。



●人の話は90%わかる。しかし、自分の意志(原文ママ)を伝えられない、苦しい。
YESとNOのあいまいさ。(p.188)

☆6月29日(水) 10時間にも及ぶ手術後の日記。てっきり声が出なくて意思が伝えられないのかと思っていたら、

●6月29日の日記に、「YESとNOのあいまいさ」と書かれているのは、主人の発想が英語によったために生じた誤解のことである。お医者様に「苦しくないですか」と否定形で聞かれると・・・(中略)・・・主人は「苦しい」と言いたくて「ハイ」とうなずくのに、先生方は日本語で「はい、苦しくありません」と解釈される。これには非常に葛藤があったと、主人は後で語っていた。(p.191)

☆・・・ということだった。英語脳だとこういうとき不便だな。苦しいと苦しくないでは全く逆なのに。



●7月6日(水)
 マスイを抜きはじめる。もっとも苦しかった。十時間。
 牢獄のパウロとシラスのように祈り、祈り祈りつづけた。
 そして主の実在を確信した。

  ○主人も「もっとも苦しかった」と書いているが、人工呼吸を自発呼吸に切り替える時が “地獄の苦しみ” なのだと、前々から先生に聞かされていた。自分の呼吸テンポと機械の呼吸テンポとをシンクロナイズ(連動)させる時期があり、この時麻酔の量はずっと減らして、徐々に自分の呼吸に切り替えながら部分的に機械で補助する形をとる。
 しかし、なまじ意識があるだけに、肺まで管の入った状態は本当に苦しいものらしく、もがいて自分でチューブを抜いてしまうこともあるとかで、主人は両手を縛られていた。十時間とあるように、この日は麻酔科と主治医の先生方が全員泊まり込みで、6日の夜から7日の明け方にかけて呼吸器を外した。
  ○「牢獄のパウロとシラス」というのは、聖書の中に、二人が牢屋でムチ打たれながら祈る箇所があり、苦痛に耐えている自分自身をそれとダブらせていたものらしい。(p.192)

☆人工呼吸を自発呼吸に切り替えるのが一番苦しいというのは知らなかった。手術と同じ10時間もかかっている。



●そして、放射線治療の問題である。主人は、照射を始めて一週間後に、大量吐血をしている。術後のストレスによる胃潰瘍と診断され、放射線とは「関係ない」との説明を受けたが、これにはどうしても納得できない。また、仮にそうであったにしろ、胸の化膿がひどく弱っている時期になぜ行わねばならなかったのか理解に苦しむ。主人が亡くなった後、この点について伺ってみたが、「とにかく早く当てたかった、焦った」とのことだった。(p.219-220)

☆これだけを見れば、放射線治療は恐ろしいなと思うかもしれないが、そうではない。

「とにかく早く当てたかった、焦った」というのは、手術の時にガンを取り残したということ。


患者よ、がんと闘うな』 と合わせて読むと、よくわかる。

手術後に熱が下がらず調べた結果、胸部の化膿がひどいことになっていたのは、いわゆる術後感染症で、手術時もしくはその後に、術創に細菌がとりついて繁殖したものである。さらに手術のストレスから胃かいようができ出血、からだの抵抗力がさがったため敗血症、その後はお決まりのコース(敗血症になると血が固まりやすくなり血液凝固症に、さらに腎臓の中で血が固まれば腎不全になる)、こうなると死亡しない方がおかしいわけで、大もとの原因は手術にあるとのこと。

しかも、反回神経麻痺(声のカスレなど)であればガンを取り切ることが難しい手術なので手術をしても無意味だった。つまり、手術ミスでガンを取り残したわけではなく、もともと全部取り切るのは難しい手術だったそうだ。

さらに放射線の時期も問題だったという。

術後感染症があるところに放射線照射をするのは、たいへん危険な行為です。というのは、感染病巣では白血球が細菌と一生懸命闘っているのですが、白血球はどういうわけか放射線にことのほか弱いからです。細菌が死なない線量でも、白血球は簡単に死んでしまいますから、感染病巣に放射線を照射するのは、まるで味方の背後から鉄砲をうつようなものなのです。照射を始めて一週間後に、山川さんは大量吐血をしています。それは照射をしたために感染症が勢いをまし、それがさらなるストレスとなって胃かいようを発生させた、と見ることができます。
(中略)
手術の影響で血のめぐりが悪くなると、がんの組織が酸素不足になり、放射線の威力がおちることが知られており、したがって、手術してがんを取りのこすよりも、がんをそっくりのこしておいたほうが、むしろ放射線が効きやすいといえるからです。一般の人も手術医も、放射線も手術も両方やったほうが確実、と考える傾向がありますが、むしろ放射線一本にしぼった方が適当な場合もあるわけです。(p.59-61)




●折悪しく史門の足の持病が出て、学校もお休みしていたために、私は朝から気になっていた。いつもは面会時間の終了ギリギリの八時までいるのだが、この日は夕方に帰ろうとすると、
「帰ったらダメだ」
 と朦朧とした中でめずらしく主人がいった。しかたなく付き添ってはいたものの、私の心はそこにないことを、まもなく主人も感じとったらしい。
「どうしたんだ?」
「また、史門の足の痛みが始まったの。それが気になって……」
 一瞬ためらったが、本当のことを話した。
「そうか、……相手が史門じゃ、僕はかなわないな。じゃ、帰りなさい」
 まさかこれが主人の最後の言葉になろうとは、その時には思ってもみなかった。

 翌10月1日、やはり史門の足の具合が悪く、病院へ行くのが昼過ぎになってしまった。
 部屋に入ると、主人はすでに意識不明に陥っていて、受け答えはおろか、私の顔を見ても何ら反応を示せない状態になっていた。いったい何が起こったのか先生にきくと、「血圧が70ぐらいまで下がってしまったので、今から急遽リカバリールームへ移します」とのことだった。
 結局この状態は回復することのないまま逝くことになる。主人が帰るなと言ったのも、今にして思えば何かの虫の知らせではなかったかと、それが最大の心残りである。(p.225-226)

☆こんな最期はイヤだな、心残りすぎる。いつも気丈な人が弱気になるときってやっぱりそういうときだよな。
もうたぶん最期だから少しでもそばにいて欲しいってどれだけ思ったことか。
でも心ここにあらずなのに無理して引き留めるのもよくない、諦めといった感情がすごくわかる。



●夕方、急ぎ帰宅し、冬樹と史門に「お父さんは、今夜召されます」と告げ、再び病院へ駆けつけた。(p.228)

☆こういうところはキリスト教徒ならではの物言いだなぁ。

緊迫したシーンなんだけど、何かの演劇を見てるようだ。



●僕にもしものことがあったら、植物状態のまま機械で生かしておくようなことだけはしないでくれ。(中略)
 この延命のことの他に、9月中に主人から二つのことを約束させられていた。一つは臨終に子供たちを立ち会わせないことと、「たとえ自分がどんなであっても、君はとり乱すことなくしっかりしていてほしい」ということだった。(p.227-228)

☆なぜ立ち会わせないんだろう? これはちょっと考えさせられるなぁ。

昨年、『齋藤孝の天才伝2 サン=テグジュペリ』 を読んだとき、

星の王子さま』 が人々に根源的に訴えるのは、そこにロマンがあるだけではなく、モラルが秘められているからです。だれでも本当はモラルというものを必要としています。
 ただ、一般にモラルにあふれたものは平凡になりがちですが、この作品にはオリジナリティがあります。それはサン=テグジュペリがこの作品に、自分の全人生をそそぎ込んでいるからです。(p.82)


って書いてあって、

星の王子さま』 のような童話が書きたい。そのためにはもっといろんな経験がしたい。小説もたくさん読んでおきたい。

と思ったものだが、なぜって考えながら読んだり、自分だったらこうするのにって思いながら読むのはやっぱり大事だと感じた。そうすることで、齋藤孝さんいわく、他の人の人生や貴重な体験を自分の中に取り込めるからだ。


結局は、立ち会わせた上で、その場で遺書まで読んでいた。読み終わって声をあげて泣いたそうだ。
「私の方こそ、ありがとう」と言いながら。

まだかすかに息があったというから、最高の送り出しかもしれない。





【アクションプラン】
・伊藤栄樹氏のガン闘病記 『人は死ねばゴミになる―私のがんとの闘い』 を読んでみたい。


・伊藤栄樹 『秋霜烈日―検事総長の回想』 を読んでみたい。


・『新約聖書』 をちょっと読んでみよう。


・30年が経ち、長男がいま何をされているかちょっと調べてみた。

現在はホーメイ歌手として、立派にご活躍されている。

SONY _WALKMAN_ CM『山川冬樹×骨伝導マイク』篇
https://www.youtube.com/watch?v=vjsgSSBtAAk

ちなみに、ホーメイとはモンゴルの隣に位置するトゥバ共和国という国の伝統的な歌唱法で、
モンゴルのホーミーとは兄弟関係にあたるそうだ。


ツイッターもやられていて、
ご健在の様子が伝わってきた。

https://twitter.com/yamakawafuyuki/status/541261111119458304






【評価】
評価:★★☆☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
闘病記はやっぱり読むのがつらいな。
(しかももともと間違った治療法として紹介されていたものなので)

ガン闘病生活を送っているキリスト教徒におすすめ。

 
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2016年01月20日

道―部落解放運動と私
上杉佐一郎/著 (部落解放同盟中央本部) 1996年 (初出は1971年)
1,200円+税



【所感】
部落解放運動の歴史などがよくわかる。



【概要】
1996年5月に亡くなった部落解放同盟中央執行委員長・上杉佐一郎の差別と闘いつづけた生涯を紹介。彼をたたえる詩や著書「部落解放と労働者」の中から「部落解放運動と私」の項を選んで収録する。(「MARC」データベースより)



前半は、部落解放の活動家・上杉佐一郎氏の自伝。
後半は、上杉佐一郎氏が亡くなられた直後の座談会となっている。


道―部落解放運動と私
上杉 佐一郎
部落解放同盟中央本部
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【抜粋】
●幼年時代からの差別、あらゆる社会的矛盾、とくに軍隊内での差別と圧制、そのうえ敗戦の廃墟に立たされたこの時、私は自分の進むべき道を選ぶのにもう躊躇はしなかった。召集を受ける前の九州鉄道時代の友人らと語らって「労働組合をつくろう」ということになった。労組結成の指導には、日本共産党の紺野与次郎さんが九州へ派遣されてきていた。(p.35)

☆もともとは共産党が指導していたのか。



●復員してまず西日本鉄道労働組合の結成に参加したのだが、初期の労働組合運動には各種の矛盾や問題が多かった。一つにはマッカーサー指令でできて組合であったということと、結成されたばかりであるから理論的にもはなはだ弱い面があったことである。そのころのやり方というのは、会社の社長や重役のスキャンダルを見つけ出し、それを武器にして突きあげるという方法を一歩も出ていなかった。(p.39)

☆マッカーサー指令でできてたのか。
そういえば、労働組合の結成はGHQの五大改革指令の一つだったな。



●この旭ガラス争議の場合でも、合化労連の組合と太田薫委員長自身も、われわれを左翼暴力集団としか見ていなかったということがいえると思う。部落解放同盟の旗は “魔よけ” だとさえいわれていたものだ。端的にいえば、ある労働争議で、資本家側に暴力団が雇われた時、それに対抗するには解放同盟しかないという認識が、労働組合にあったのだ。
(中略)
われわれが到着しただけで、暴力団をいっせいに撤退させた。われわれ解放同盟が出ると、いつの争議でも暴力団は撤退してしまう。
(中略)
彼らのなかには、部落出身の、われわれの仲間がたくさんいたからなのだ。 (中略) 親父が解放同盟員として支援にかけつけて暴力団と対峙してみると、その暴力団のなかに自分の息子がいる。「なんだきさま」ということになるのだ。親父が息子に向かって怒鳴ると、息子はコソコソと逃げていく。それが実態だったのである。(p.56-61)

☆暴力団に対抗するには解放同盟。それにはこういう理由があったのだ。




●この市長選挙では「高丘稔は部落民である。部落民に市長の座をわたすな」という差別ビラや新聞記事がばらまかられた。このことは、さきに三池闘争について述べたとおり、支配権力側の分裂支配を策する常套手段なのである。(p.77)

☆元大阪市長の橋下徹さんと同じようなことは昔からあったということがわかる。



●その第一歩は、何といっても松本さんの不当追放のその瞬間だ。松本さんの怒り、それから私もふくめた仲間たちの怒り。この時、真剣に、本当に部落の完全解放まで闘わなければならないと決意した。(p.87)

☆部落解放運動が盛り上がったきっかけとなったのが、松本治一郎氏の不当公職追放事件である。
怒りをエネルギーに変えている。




―以下、座談会より。

●(武者小路公秀さん) 解放同盟は、これに対してまったくそうではない。たとえば天皇制について、日本のなかでこの制度がどんなに「合理化」しようとしても持っている非民主主義的な性格を、あいまいにごまかさないで徹底的に否定されますね。(p.101)

☆解放同盟は天皇制に反対している。



●(大賀正行さん) ぜんぜん権力的じゃないんですね。聞き上手というか、ものを言いやすいんです。われわれ若い者の言うこともよく聞いてくれて、私も「こうしたら、どうでしょうか」とよく提言したものですが、わかっていてもわからない顔をして、「それはいい考えだね」と言ってくれるんです。すると、こっちも提言が受け入れられたということで、いい気分になりますね。権力的なリーダーだと、わからなくても「わかってるよ」と言って抑えてしまいますが、上杉さんは逆なんです。だから、いろんなところから上杉さんのところへ進言が集まるわけです。(p.104)

☆相手のメンツを立ててあげるようにすると、有益な情報がどんどん集まる。



●(組坂繁之さん) 「お前は議員になるつもりか」と聞かれました。「議員になるんなら、はようなれ。しかし、地方議員は妥協ばっかりせんならんぞ。そうすると、いつの間にか大衆を犠牲にして自分の選挙に力を入れるようになる。そしたら、運動家としてはどうしても不十分になる。だから、議員になるか、運動をするか、二つに一つだ」と言われました。これに私は「運動一本で行きます」と答えました。それ以来、まわりから「議員にどうや」という話もありましたが、すべて断ってきました、委員長との約束ですから。

(羽音豊さん) 委員長は、ほんとに苦難の時代をずっとたたかってきて、委員長自身が若いときに二日市町議になったこともあるんですね。そこから、「自分は政界に出ない」という信念をもつようになったと思うんです。むろん、委員長が選挙に出れば国会議員になれたと思いますが、もし議員になっていたら、選挙運動に力をとられて、解放運動は全国的にどうなっていたか。そこをキチッと押さえていたという偉さがありますね。(p.111)

☆すごい話だ。
議員になるとお金はたっぷりもらえるけど、選挙活動ばかりになってしまう。
運動家になるとお金の保証はないけど、思う存分働ける。どちらがいいか。
表に出る人(政治家になる人)とそうでない人の違いというのはこういうところにあるのかもしれない。



●(組坂繁之さん) 松本治一郎先生もそうですが、上杉委員長も、闘いを起こすとき、ま、ケンカをするときということですが、かならず相手に逃げ道をつくってやっておけと言うんです。ようするに、最後まで追い詰めると、「窮鼠猫を噛む」ということなるぞということです。そこらへんの戦術の立て方がじつにずばらしかったですね。松本治一郎先生直伝です。
 ですから、たたかうときは激しくたたかっていくが、最後の落としどころをつねに考えていて、相手の立場も立てながら、こちらに有利な方向で解決していく。武田信玄の甲州軍学には「勝利は七分をもってよしとする」というのがあるそうですが、委員長はそのへんの判断がすごかったと思いますね。

(羽音豊さん) よく言っていましたね、「頭と尻尾、そんなもの、何にするか。中身取りゃよかろうが」と。(p.112)

☆逃げ道を作ってやることで相手のメンツも立つし、恨まれずにすむ。完全勝利を目指してはいけない。頭と尻尾はくれてやれ。




【アクションプラン】
・わかっていてもわからない顔をして、「それはいい考えだね」と言ってみる。

・怒りを徹底的にエネルギーに変える。
(『分析心理学・自我と無意識 (まんがで読破)』 に欲望をエネルギーに変えるというのがあったが、それと合わせたらさらにエネルギーが高まりそう。ハングリー精神で成功した人はみなこの二つを上手にエネルギーに変えている)

・逃げ道を作ってやることで相手のメンツも立つし、恨まれずにすむ。完全勝利を目指してはいけない。頭と尻尾はくれてやれ。




【評価】
評価:★★★★☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
読む前と読んだ後で解放同盟や上杉氏に対するイメージがまったく変わる。

 
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2016年01月10日

ねぼけ人生

ねぼけ人生 (ちくま文庫)

ねぼけ人生 (ちくま文庫)
水木しげる/著 (ちくま文庫) 1999年新装 (単行本は1982年、1986年に文庫化)


【概要】
水木サンの自伝。出生から現在までよくまとまっている。


【動機】
水木サンの著書を乱読中。


【抜粋】
●そのうち、年齢も二十歳に近づき、戦争もきびしくなってきた。いつ召集になるかもしれない。そんな時、河合栄治郎編「学生と読書」という本に、エッケルマンの「ゲエテとの対話」という本が必読書としてあげられているのを知った。岩波文庫のこの本を買って読んでみると、はなはだ親しみやすく、人間とはこういうものであろうという感じがする。・・・(中略)・・・後に軍隊に入る時も、岩波文庫で上中下三冊を雑嚢に入れて南方まで持っていった。(p.76)

☆水木サンが「ゲーテとの対話」を愛読書としていたのはよく知られているが、そのきっかけとなった部分が描かれている。「ファウスト」は何回くりかえしてみてもわからなかったという。


●ところが、第二作、第三作を持っていくにつれて、林社長は払いを滞らせるようになった。昭和二十六年頃の二百円といえば、やっと一日の日当で、一巻描き上げるのには二日か三日かかる。その上、払いが遅れるのではたまらない。(p.151)

☆今の価値に直すとしたら、20〜40倍くらいくらいかな。


●僕は、ここで、「東真一郎」というペンネームで一冊やることになった。(p.170)

☆こういうペンネームも使っていたとは知らなかった。売れないときはいろんなペンネームを使い分けるものだ。



●東考社で、僕は好きなようにやっていいと言われ、僕や桜井氏を苦しめている貧乏を打ち砕く魔法の話を考えた。セリグマンの「魔法」(平凡社)を読んでいると、中に、ものすごくたくさんの魔法の話が出てくる。ああ、昔から、人間は、幸福になるために、こんなにたくさんの魔法を考えていたのだなと思い、この本とゲーテの「ファウスト」をヒントに、ノート二冊分のストーリーを作って「悪魔くん」を開始した。(p.199)

☆代表作「悪魔くん」はゲーテの「ファウスト」などが元になってたのか。




【所感】
コンパクトにまとまっていてわかりやすかった。
文章なので、マンガでは分かりにくかった部分もしっかり補充されている。


多忙時代の水木サンってどういう生活をしてるんだろうって思っていたら、
とある日の一日が紹介されていた。

4:00 就寝

9:00 起床(5h)
    ネーム(セリフ)修正、仕上げなど

10:00 〆切 原稿渡す
     食事しようとしたら来客
 
15:00 やっと食事にありつける
     次の原稿に取り掛かる

19:00 次の〆切。原稿を渡して、もう一つ〆切があるのを思い出す。

23:00 もう一つの〆切
     何もできてないので外に散歩。
     畑で野グソしたり、警察に職務質問されたり...




【アクションプラン】
・『悪魔くん』 を読む。

・ゲーテ 『ファウスト』 を読む。



【評価】
評価:★★★☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
水木サンの自伝としては一番よくまとまっている気がする。



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(130227 読了)
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2016年01月06日

ゲゲゲの女房

ゲゲゲの女房 (実業之日本社文庫)

ゲゲゲの女房
武良布枝/著(実業之日本社) 2011年 (単行本は2008年)


【概要】
著者は、『ゲゲゲの鬼太郎』 の生みの親・水木しげるの夫人である。
同書を原案として2010年にNHK連続テレビ小説が放送された。

【動機】
『ゲゲゲの大放談』 を読んで興味を持った。


【所感】
水木サンの自伝は何度か読んでいるが、それを奥さんの視点から見ると新鮮だった。


【抜粋】
以下におもしろかったところを抜き出します。

●私は水木の手伝いをするのが好きでした。「おい、ちょっと手伝ってくれ」といわれると、嬉々として仕事場へ飛んでいきました。私でも水木の役に立てるということが、本当にうれしかったのです。(p.79)


●でも、このときばかりは、生活の苦しさも忘れ、せめて仕事をしている日々の姿をこの目で見ている私だけでも水木の努力を認めてほめてあげたい、水木には大好きなおいしいコーヒーをご褒美に飲ませてあげたいと思いました。(p.88)


●そして水木が出会ったのが 『ゲーテとの対話』 という本でした。
「エッケルマンという人が書いたものだけれど、この本がいちばんゲーテの考え方がよくわかるんだよ」
 そういって、私に差し出した文庫本は、何度も何度もページをめくったからでしょう。ぼろぼろになっていました。(p.92-94)


●質屋から戻ってきたものもありました。その中に、水木の古い背広がありました。東京に出てきたころから数えると10年間、質屋に出たり入ったりしていたその背広は、もう処分するしかないほど、すっかり型崩れしていました。(p.141)

☆うちの近くにも質屋あるのかな。着ない服とか持って行ってみようかな。またはヤフオクで売るか。


●古本屋では、妖怪のことが書いてある古文書や、ハヤカワミステリーなどをたくさん買ってきました。水木いわく、ハヤカワミステリには、物語をつくるヒントが詰まっているんだそうです。締め切りが終わって、次のネタを考えなくてはならないときなど、ハヤカワミステリーをせっせと拾い読みしていました。(p.162)


●「東映は『鬼太郎』を映画にしたいんです。テレビにもしたいんです。映画はすぐにできます。でも先に映画にしてしまうと、テレビにはできません。一方、テレビにするとしたら、まずスポンサーをさがさなくてはならないので、スタートまで時間がかかります。でも、テレビは映画とちがい、連続物になるので、毎月、決まった額をお支払いできます。先生、映画とテレビ、どちらがいいですか。先生が選んでください」(p.166)

☆水木サンはしばらく考えた挙句、テレビに。理由は「一年でも二年でも、飯が長く食えるほうがいい」というもの。


●このころから、読書やファンに対しては意識して「水木しげる」の役を演じなければならないと思うようになっていたようで、身内や古くからの親しい人に対してと、そうでない人に対するときとで、接し方が変わるということが、その後が、長く続きました。(p.187)

☆けっこう観察力がすごくて、水木サン本人の自伝よりも詳しいかも。


●水木は他のマンガ家さんの作品をほとんど読みません。自分の作品が掲載されている雑誌が送られてくると、ペラペラめくって他の作品もちらっと見るのですが、それだけでした。それだけで、その作品やマンガ家の本質を見抜いてしまうようなところがあります。(p.222-223)

☆手塚治虫は忙しい合間を縫って他のマンガ家もチェックしていたというから対照的だ。




【アクションプラン】
・ 『ねぼけ人生』 を読む。

・ 『水木しげる伝』

・境港の「水木しげるロード」に行ってみたい。その前に 『ゲゲゲの鬼太郎』 を読んでおきたい。

・足立美術館にいつか行ってみたい。


【評価】
評価:★★★☆☆(3.4)
こんな人に、こんな時におすすめ:
水木サンのことをもっと知りたい人に。





■関連記事
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(121122 読了)
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2016年01月03日

のんのんばあとオレ

のんのんばあとオレ (ちくま文庫)

のんのんばあとオレ
水木しげる/著(ちくま文庫) 1990年 (単行本は 1977年)


【概要】
水木しげるの自伝書。主に少年記である。


【動機】
水木サンの著書を乱読中。


【所感】
「のんのんばあ」というおばけ(妖怪)の話かと思ったら、自伝書だった。
まるで、小学生版ビーバップである。



【抜粋】
●オレたちはボート二隻で沖へこぎ出し、ひっくり返す遊びを始めた。
 ほかの連中にはおもしろいだろうが、六歳のオレにはかなわない。沈むと、死なすわけには行かないから助けてくれるが、また海に投げ込まれる。これを何回もくりかえすのだ。なげこまれるほうはたまったものではない。塩水は飲む、目は痛む。だが、ガキ大将のほうはへいきだ。さすがのオレも胸がドキドキした。
 五、六回目のときだった。
 ザッブーンとボートをひっくり返し、海にはじき出されるや、苦しまぎれに必死で手足を動かした。
 すると、なんだか空(くう)にあがったような気持ちになった。
「あっ泳いだ!」
「ゲゲが泳いだ!」
と、口々にまるでイヌでも泳いだようにいう。
 そのときにはじめてオレは泳げたのだった。
 そのつぎからはもう完全にひとりで泳げたのだから、ガキ大将の教育の力もたいしたものだ。
 のちに、オレがガキ大将になったとき、この例にならい、泳げない子をいきなり海になげこんだら、やはり一日で泳げるようになった。
 つまり、泳ぎなんていうものは、必死にもがけば、カミサマが浮くようにしてくれるものらしい。(p.69-70)

☆昔は荒っぽいな。


●クマは四年生だからオレより上級生だ。負けてもオレは恥にならないとおもったから、いきなりなぐりつけてやった。どうじに、クマの鉄拳もとんできた。(p.79)

☆負けても恥にならないからケンカをしかけるというのがおもしろい。普通だったら負けそうだからやめとこうってなるんだろうけど。


●サーカスではジンタといって、「美しき天然」という、ものがなしい歌をかなでている。テントの外につながれたゾウは、ジンタにあわせているわけでもないだろうが、首をふっている。(p.81)

☆「美しき天然」ってどこかで聞いたことがある。昔、祖父が「美しき天然」の歌詞を手描きで書いていたのを思い出した。当時は昔の歌だとは知らず、流行りの歌だと思っていた。

ちなみに、「うつくしき天然」ではなく、「うるわしき天然」である。麗しき天然。
九十九島の美しい風景を歌った歌だそうな。





ジンタ: 明治中期に興った民間吹奏楽団の〈市中音楽隊〉に,大正初期につけられた愛称で,その演奏を模した擬声語といわれる。最初の団体は1887年に海軍軍楽隊出身者を中心に,30名ほどの編成で発足した〈東京市中音楽隊〉で,行進曲,ポルカ,ワルツ等を演奏し,まだ民間オーケストラもなかった当時,西洋音楽の一般への普及に大いに貢献した。これが日清戦争を機に,全国的に普及流行した。しかし乱立ぎみとなって,経済的な理由から広告業者等に依存してサーカス,映画館等の客寄せ,あるいは広告宣伝の町回りをするようになるとともに,編成も10名以下となり,質も低下し,曲目も通俗曲を小ぶし風の装飾をつけた独得の哀調をおびた節回しで演奏するようになって,大正後半にはすっかり衰退,ついにはチンドン屋等に取って代わられて消滅した。(『世界大百科事典』より)



ちなみに、こちらのイントロを聴くと、あぁあの曲か!となる。次長課長がよくやるアレかな。






●数日後、オレは家の二階で、なにか書いてある原稿用紙を見つけた。
 なんだろうとおもって読んでみると、おやじもやはり第三丸の事件がおもしろかったのか、題までおなじ「第三丸の爆発」という恋愛小説を書いていたのだ。これには驚いた。
 だが、おやじはいつものくせで終わりまでは書かない。途中でネタがつきてしまうらしい。(p.94)

☆おもしろいおやじさんだったようだ。同じ事件を題材にしても、水木さんは怪談もどきの大長編、そのおやじさんは恋愛小説となっている。


●夜になると、紙で作った相撲とりに相撲をとらせなければならない。
 古ハガキなどですもうの人形を作って、台の上に乗せ、手でトントンと台をたたいて勝負を競わせるのである。(中略)本物の相撲取りとそっくりに腹の出たのや背の高いのを作り、本物とおなじ名まえを書き、星取り表まで作るのだ。しかも、幕内からはじめて、十両、三段目、序の口まで作っていくから、番付も拡大し、何百とある相撲取りに相撲を取らせなければならないから、毎日かなりいそがしい。(p.104)

☆全く同じ事を私もやっていた。同じことをやっている人はなかなかいないだろうと思っていたから驚いた。しかも、私の場合は幕内だけだったから、私なんかよりもずっと本格的だ。それでも毎場所、番付を考えるのが楽しかったなぁ。


●ゴローは激怒して、世にもおそろしい「相手なし」をオレに宣告した。
 もう、こうなると、だれも遊んでくれない。
「ええか、もうみんな、ゲゲと遊ぶな。ええな」
 ゴローはみんなにくりかえした。みんなのオレを見る目つきがちがってくる。(p.164)

☆今のいじめ問題の関係者に読んでもらうとどう思うだろうか。

「相手なし」という言葉は初めて聞いた。私が子どもの頃は、たしか「ムラハチ」とか言ってた。「いじめ」と言って大騒ぎしているが、今も昔もそんなには変わらない気がする。

弱いものいじめをしない理由が、かわいそうだとかそういう理由じゃなくて、弱さがうつりそうだからというところが、強さに憧れる水木サンらしい。


●母が、おまえによく似た子どもが新聞に出とるという。名まえは山下清といって、精薄(当時は、チエ遅れというような体裁のいいことばはなかった)の病院にいるという。そこで、毎日、虫を集めて絵をかいているというのだ。(p.165)

☆今ではすっかり有名になっている裸の大将である。当時はまだあまり名前も知られてなかったが、同じ学年と言うことで、兄弟のような親しみを持ってライバル視していたようである。


●校長室に立たされていたときに見た山あり谷ありの立体地図だ。山陰地方が実物のように作られてて、校長室にかざってあった。
 あれをやってみようと、板に粘土をつんで、紙をはって色をつけ、同じような立体地図を作った。
 できあがると、上からながめ、横からながめ、自分の住んでいる地方が自分の手にはいったような気分で、毎日毎日、見ていた。(p.173-174)

☆これもやってみたいなぁと思いつつも、やり方がわからないし、時間がかかりそうだしということでずっと後回しにしていることである。水木サンは小学校五年生くらいでこれをやるのだからすごい。

私が作ろうとしているのは主に山だ。等高線をもとに、山を正確に立体地図にしたいと思っている。この山の頂上からはここが見えるとか、そういうのが作りたい。いつのになることやら・・・。


●これは空腹も空腹だったが、もともと体力はあったし、ほかにも原因があるような気がした。おとなになって、柳田国男の 『妖怪談義』 を読むと、「ひだる神のこと」という一文があって、おなじようなことが書いてある。旅の途中で死んだ人の悪霊が、ダルというものになって、これが道行く人にとりつくのだという。そういうときには霊をなぐさめる意味で食物を一口食えばいい。むかしの人はそのためにフトコロに干飯を持って歩いたそうだ。(p.210)

☆ん、この話は聞いたことがあるぞ。なんだこの既視感は。ダルという言葉もどこかで聞いたことがある。

食べ物を口に入れると直ったというからシャリバテかな。


【アクションプラン】
・講談社漫画文庫も読んでみたい。 →読了(130118)


【評価】
評価:★★★☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
水木サンのことをもっと知りたい人に。
昔の小学生の生活が知りたい人に。


【最後にひと言】
それにしても、のんのんばあに育てられたら誰でも水木サンのような妖怪博士になりそう(笑)
やっぱり、育つ環境は大事だと思った。








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(120924 読了)
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2016年01月02日

水木しげるのラバウル戦記

水木しげるのラバウル戦記 (ちくま文庫)

水木しげるのラバウル戦記
水木しげる/著 (ちくま文庫) 1997年 (単行本は1994年)


【概要】
現地で書いたスケッチ1枚1枚に水木さん本人が解説を加えたものである。


【動機】
以前、本屋で見かけて気になっていて、水木さんの戦記物をまとめて読んでみたいと思っていたので。


【所感】
『総員玉砕せよ!』 や 『敗走記』 などと重複する部分が多いが、あのエピソードって自身の体験談だったのかと何度も驚かされた。
敗戦が決まったあと、帰りたくないほど現地が気に入ったというのも水木さんらしいなという気がする。


【抜粋】
●上陸した頃は、ココボはまだ陸軍の基地で、たしか103兵站病院もあり従軍慰安婦もいた。彼女たちは「ピー」と呼ばれていて、椰子林の仲の小さなコヤに一人ずつ住んでおり、日曜とか祭日にお相手をするわけだが、沖縄の人は「縄ピー」、朝鮮の人は「朝鮮ピー」と呼ばれていたようだ。
 彼女達は徴用されて無理矢理つれてこられて、兵隊と同じような劣悪な待遇なので、みるからにかわいそうな気がした。(p.30)

☆こういう記述を見ると無理矢理つれてこられたこともあったのかもと思ってしまう。実際はどうなんだろう?


●毎日やたらに穴を掘るのだ。それを陣地構築と称していた。全山を要塞にして戦うというのが、方面軍の命令らしいのだ。それにしても、ひどい “初年兵いじめ” だった。上の方の連中は “練成” していると思っているから平気だった。(p.43)

☆「陣地構築」という言葉がよく出てくるが、どういう作業なんだろうと思っていたけど、どうやら穴を掘るだけのようだ。目的もよく分からない。


●何よりも、絵を見ると当時の風景が浮かび上がってくるから不思議なものだ。脳みそと言うのは我々が考えているよりはるかに不思議なもののようだ。(p.102)

☆何十年も経ってるのに、ちょこちょこっとかいた落書きのような絵を見ただけで当時の風景が浮かび上がってくるというのはすごいことだ。



【アクションプラン】
・絵を描いてみたいと思った。



【評価】
評価:★★★☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
水木さんの戦記物をまとめて読みたい人に。





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(120831 読了)
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2015年12月09日

川島なお美さんの闘病手記「カーテンコール」が昨日発売された

川島なお美さん、手記を書かれていたのか。

鎧塚さんとの共著のようだが、
そのほとんどは川島なお美さんによって書かれている。


アマゾンのレビューを読むと

素晴らしい本のようだ。


何年ぶりだろう、本を読んで泣いたのは。 2015/12/8

日本テレビの「バンキシャ!」をたまたま見て、そこで紹介されていたこの本を買ってみた。今年九月に亡くなった川島なお美という女優に特別な思いはなかったが、番組でインタビューされていた夫のパティシエに興味を持ったからだ。手をつないだまま使える手袋をカメラの前に差し出した姿が、何となく気になった。

全体の七割ほどの女優の手記を読むと、決して感情的にならず、首尾一貫してクールにがんと向き合う姿に驚かされる。がんに関する書籍を片っ端から読む。仕事の合間に幾度となくセカンドオピニオンを受ける。対応する医師には自分が納得するまで質問をぶつける。ワインセレブの印象しかなかった彼女の印象が、一気に変わった気がする。(途中で、M先生という医師が出てくるけど、あの人ですよね?)

真骨頂は、件のパティシエが一晩で書いたという「終章」。本の内容は書かないが、リビングのソファで読んでいるうちに、思わず泣いていた。一緒いた長女が何事かと慌てていたが、私自身が一番驚いた。連れ添って三十数年になる妻の顔が浮かんだ。妻に先立たれることを自分だけが知っていて、私はこんな風に振る舞うことはできるんだろうか。

クールな妻の文章と正直に心情をさらけ出す夫の文章は、それ自体が夫婦そのものだと思った。

芸能人が書いた「がん闘病記」というのは、出版社に書かされた陳腐な読み物くらいしか思っていなかったが、この本は間違いなく読む価値のあるものだと断言できる。(Lさん)


不治の病に侵された妻をいかにして支えたのか。

読んでみたい。



運命のセカンドオピニオン 2015/12/8

川島なお美さんが
「著書を何冊も読んで傾倒していたM先生」=
近藤誠先生のセカンドオピニオンを
受ける場面がある。

「治療はラジオ波(電極針でがんに高周波を照射し、壊死させる)がいいよ」と言われて
「一瞬にして光が見えた気がしました」とある。

しかし川島さんは、
近藤先生が「肝内胆管がんの患者を何人も送ってきた」と
勧めた専門医とは別の、
自分の友人筋の専門医を訪ねて
「肝内胆管がんにラジオ波は適応不可」と
言われ、ラジオ波治療をあきらめてしまう。

実はここ数年、
肝内胆管がんに対するラジオ波治療は
世界的に注目されていて、
7つの英文論文をまとめた最新データでは

手術不能の肝内胆管がんであっても
ラジオ波治療の成績は
1年生存率82%、3年生存率47%、5年生存率24%と
画期的だ。

ラジオ波は、手術のように体を痛めることもない。

川島さんは、納得いくまでとことん
いろいろな医者を訪ね歩いたのに
なぜ、近藤先生の勧める
ラジオ波専門医の意見を
聞いてみなかったのだろう。

残念でならない。

夫・鎧塚さんが一晩で書き上げたという
最終章がすばらしい。

「妻・川島なお美は最後の最後まで女優・川島なお美を貫き通した。
命を賭けて-------。

女房は他界したぐらいでへこたれるような、ヤワな人ではありません。

今頃きっと、私達を天国から応援していることでしょう。いえ、もう下界のことは
私達に任せて、さらなる高みに向かって歩み始めているのかもしれません」

合掌。(Rさん)



傾倒していた近藤先生のセカンドオピニオンを受けながら
その指示に従わなかったそうだ。

なぜ?

助かってたかもしれないのに……?

それとも、そもそも近藤理論が間違っていたのか……?

あるいは、何をやっても助からなかったからこの選択がベストだった……?


このあたりが一番気になるところ。

川島さんが近藤先生のセカンドオピニオンを受けていたというのも
このレビューで初めて知ったのだが、

ガンという病を知るためにも読んでみたい。




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2015年12月02日

原発ジプシー

原発ジプシー 増補改訂版 ―被曝下請け労働者の記録
堀江邦夫/著 (現代書館) 2011年 (初出 1979年)
2,000円+税


【動機】
ジプシーと原発について研究しているうちにたどり着いた。



【所感】
想像以上にはるかに過酷な仕事だ。原発作業員の仕事は。
しかも、ひと稼ぎしに行くというイメージだったが、給料もそれほど高くない。



【概要】
1979年弊社より刊行され、ベストセラーとなった本書を32年ぶりに復刻。
東北関東大震災で、著者も入った福島原発は壊滅。放射線を大量に散蒔いている。現場の作業は当時と変わらず、下請け労働者が中心である。いつでも弱い者が犠牲になる社会を変える願いを込め、再刊します。

■「ジプシー」という言葉について■
本書では今日使用を慎んでいる表現を隠蔽することなく収録しております。
当時の現場労働者たちの肉声を記録し、その実態や問題意識を霞ませることなくお伝えするため、本書「跋文」で著者は「原発ジプシー」という表現について言及し、「歴史的な意味をもったことば」「他のことばに置き換えたり、はたまた消し去るなどしてしまったなら、それはあきらかに歴史=時代に対する改竄であり冒涜」と述べています。
「原発ジプシー」は著者の造語ではなく、現場労働者の実際の肉声であり叫びです。(Amazonより)


副題は、被曝下請け労働者の記録。


原発で働いてみようという潜入レポ。



原発ジプシー 増補改訂版 ―被曝下請け労働者の記録
堀江 邦夫
現代書館
売り上げランキング: 9,759




【抜粋】
●10月3日(火)晴れ。作業は、きのうの続きだ。メンバーも同じ。
 仕事に慣れてきたためだろう、今日はやり直し回数もかなり減り、作業はだいぶスピード・アップしてきた。と同時に、一回に入りこんでいる時間も一時間半に延長された。(p.37)

☆あんなに過酷な作業だったのにわずか1日で慣れている。
やっぱりやり続けることが大事だ。
やり続けることで時間も短縮できる。
大変だったからとやらないといつまでたっても慣れない。



●「若狭の夕陽は日本一きれいだと私は思っている。とくに敦賀半島から見た夕陽は、最高。だけど、この半島のなかで、水平線に陽が沈むところが見られるのはたった1カ所、竹波の村しかないのよ。ほかの所では、山の向こう側に沈んじゃうの」(p.39)

☆こういう情報は地元の人しか知らない。

ちょっと調べてみた。こういう感じかな。

竹波(水晶浜)海水浴場
http://www.jalan.net/kankou/spt_18442cb3490058938/


すぐ北側(1kmほど)には美浜原発が見える。こんなところにあったのか。美浜町(役場)からはちょっと離れている。



●大阪の “釜” から十数人の仲間とここに働きに来ている、賃金は、“食い抜き”(食事代は別)で5,500円。宿泊代と三食のメシ代は会社負担となっている――といったことを、かれは雑談のなかで語った。原発の定検時には、人手不足を解消するため、大阪の日雇い労働者の町「釜ヶ崎」からも労働者が “かり集め” られているというウワサは、やはり事実だった。(p.62)

☆東日本大震災の時だけじゃなくて、昔から行っていたようだ。



●私自身、実際に原発の現場で働いてみるまで、正直なところ、原発労働イコール放射線を浴びての作業だと思っていたから、放射能の心配がないといわれる二次系で、それも私たちが連日従事しているような、暗く、狭く、そのうえ濁った空気のなかでの “ネッコー” 作業などというものがあろうとは予想もしていなかった。21歳の、今まで自動車のセールスマンだった川原さんが、この仕事にいや気がさしたとしても当然だった。(p.63-64)

☆放射能の心配が無い二次系の現場でも過酷なことがよくわかる。



●もしもわしの娘があんたの嫁になるって言ったら、わしは絶対に反対するね。女郎になってもいいから、あんたんとこへは行かせん。もし息子が原発で働きたいと言い出したら、まあ、わしにはそんなアホな息子はおらんが、たとえばの話だ、働きたいと言ったら、土方でもコジキになってもいいから、(原発で)働くなって言ってやるよ」(p.115)

☆ここだけ読んでも原発の作業が大変だということがよくわかる。

ちなみこれは敦賀の話であるが、口には出さないがみんなそう思っているようだ。



●所長は、「労災だと日当の六割……」と言っていた。が、正確には、保険給付金として給付基礎日額の60パーセント、および、労働福祉事業の休業特別支給金として同じく20パーセントの計80パーセントが支給されるはずだ。また、残りの20パーセントについても、普通、事業者負担となっている。(p.206)

☆労災だと日当の6割しかもらえないけど、労災扱いにしなければうちで全額面倒みてあげる、とウソをつく。結局はどちらにしても10割もらえるようだ。



●原発の仕事を去った労働者に対しては、医学面での追跡調査すら一切なされていない、との現実がそれです。(p.330)

☆原発は安全だ。原発が原因でガンになった人や亡くなった人はほとんどいないと言われるが、それは、原発を去った労働者を母数から外していたからだったのか。ガンなんか数年たってから発症するのに。つまり、人知れず苦しんでいる人がたくさんいるということかもしれない。





【Amazonレビューより】
・他人の健康や命を犠牲にしてまで電気がほしいですか 2011/5/31
ついに復刊されました。著者が元気でいるのを知って安心しました。この本の後に目立った著作がなく、被曝の影響で病気になったのではないかと心配していました。

以下、旧版に書いたレビューを引用します。本文は旧版と同じです。

学部の学生の頃は原子力の未来に期待していました。この本は私が原子力発電に反対する立場を確信した一冊です。もちろん、人間は一夜にして考えを右から左へと変えるわけではありません。

大学院に進んで実験用の原子炉ですが管理区域に入って放射性物質を扱うことを体験しました。作業担当の人が意外と危険性を教育されていいないと知ったとき疑問を持ち始めました。その後この本を読み、その疑問が更に強くなり、原子力発電に反対する立場を確信しました。

著者の堀江邦夫さんが原発労働者として各地の発電所で働いた記録です。ページ数は多いのですが、文章も読みやすく描写も巧みで一気に読ませます。労働者に取材して書いた本もありますが、実際に現場に入らなければ書けない、自分の目で見た印象、自分の耳で聞いた仲間の声です。又聞きではない直接の体験に価値があります。

読み返してみて気付いたのですが、著者はシモーヌ・ヴェイユを引用しています。『工場日記』です。裕福な家に生まれ、優秀な成績で師範学校を卒業して教師となりましたが、労働運動に共鳴して弱かった体を押して工場労働者として働き、寿命を縮めることになりました。著者がこの本を書いた動機の一部は彼女の日記だったのかもしれません。

私が原子力発電に反対する一番大きな理由は、第一線で作業する人たちの健康です。下請け、孫請け、ひ孫受け。著者はひ孫請けの会社で働いていました。法律で決まっている安全教育も名ばかり。マスクの正しいつけ方さえ教えません。体内被曝で一番恐ろしいのは吸引です。口から入ったものの多くは下から出ますが、肺に入ったものは出ません。現場は暑くマスクは呼吸が苦しく言葉で指示も出来ません。結果として外して作業する人が多くいたそうです。また、電力会社の社員は危険な現場にはほとんど立ち入りません。労働組合が、作業衣の洗濯は被曝量が多くて危険な作業だから外注してほしいという要求を出したそうです。

現代の人間は共食いをしませんが、他人の健康を犠牲にして自分の便益を得るなら共食いと同じです。

この増補改訂版では、文庫のあとがきと、改訂版のあとがき、さらに追記が加わっています。個人的には事実を積み重ねて行く本文だけで十分著者の言いたいことは伝わっていると思います。ですが、ジプシーというタイトルは説明しないといけないのかもしれません。

この本を読めば誰も原子力発電に賛成とは言わないと思います。原子力は人間の命を電気に変える発電です。一人でも多くの人に読んでほしいと思います。

[追記]
この本と似た内容の本があります。文庫で出ている『原発労働記』です。ジプシーという言葉は問題があると出版社は考えたようで書名が変えられました。また、内容も、文庫の分量に合わせるためか同様の問題があるのか、一部が削られるなど著者は妥協を強いられています。著者が本来書きたかったことをそのまま復刊したのがこの本です。

また、シモーヌ・ヴェイユの『工場日記』は復刊の要請が多いようですが、実は『労働と人生についての省察』に全文が収録されています。ただし、日記ですのでヴェイユの思想に相当興味がないと退屈かもしれません。(Wさん)




【評価】
評価:★★★☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
今の仕事がつらい、大変だと思ったときに。

 
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2015年11月30日

水木しげる - ほんまにオレはアホやろか

ほんまにオレはアホやろか
水木しげる/著 (新潮文庫) 2002年
438円+税


【動機】
水木サンの本を乱読中。

寝る前に少しずつ読んでいた。


本日、水木サンが旅立ちました。

ご冥福をお祈りいたします。



【所感】
水木さんの自伝は何冊も読んだが、全く同じものは無く、毎回新たな発見がありおもしろい。



【概要】
子供の頃はガキ大将で妖怪研究に夢中。その結果、入学試験は失敗、学校は落第、就職しても寝坊でクビ。そのうち戦争が激しくなり、兵隊として南方の最前線に送られ、片腕を失いながら九死に一生を得る。終戦後、南の島で見つけた「楽園」に魅せられながら、赤貧時代を経て「ゲゲゲの鬼太郎」を生むまでを、激動の現代史に重ね合わせつつ描く、なんだか元気が出てくる自伝的作品。(「BOOK」データベースより)



ほんまにオレはアホやろか (新潮文庫)
水木 しげる
新潮社
売り上げランキング: 431




【抜粋】
●毎日ブラブラしているのもたいくつなので、近くの古本屋で本を買う。
 それが、なぜか哲学書の方に目が行くのである。
 べつに、むずかしい本を読んでカシコクなろうと思ったわけではない。
(中略)
 だれか一人、これだというのはないかと、キリスト教の本だの、ニーチェだの、ショーペンハルエルだの、さまざまな哲学者や文学者の本をひっくりかえしていると、エッケルマンの 『ゲエテとの対話』 という本にふと出会った。これがやんわりとしてなかなかいい。それからは、岩波文庫のゲーテものを読みふけり、後に、軍隊に行く時も何冊か持って行くまでになった。(p.60-62)

☆いろいろと哲学書を読み漁った中でゲーテにたどり着いたようだ。



●それ以降、ラバウルに船団が派遣されることはなかった。
 つまり、ぼくたちは、ラバウルに派遣された最後の兵隊だったのである。(p.84)

☆水木サンがずっと二等兵のままだったのはそういう理由があったのか。



●最前列でハナクソをほじくりながら講義を聞いていると、金原省吾という先生が、
「右手で筆記して、左手でほじくったらどう」
 と、教壇から忠告。
「ぼくは、左手はありませんから」
 と、いうと、
「失礼」
 先生はすまなさそうにしたが、考えてみれば、「失礼」なのはぼくの方かもしれない。(p.133-134)

☆終始このような調子である。水木サンのエピソードはどれもユーモアがあっておもしろい。



●不思議に思っていると、べつの学生が、二日おきに血を売って生活していると教えてくれた。いわれてみると、なるほど、ガンさんの顔色は日ごとに青ざめていくように思われた。(p.134)

☆昔は血が売れたようだ。今は献血などでも売ることはできない。買い取り制にすると悪い血が集まってしまうからだそうだ。



●こんなに働いて、どうしてこんなに貧乏なのだろうと、なさけないよりも不思議さがさきに立つくらいだった。(p.172)

☆同じ! ほとんど休みなしで働いてるのに。




【アクションプラン】
・ 『ゲーテとの対話』 を読んでみる。




【Amazonレビューより】
・人気マンガ家の壮絶半生 2004/10/25
本書は筆者が高等小学校卒業してから、人気マンガ家として大成するまでの悪戦苦闘の道のりをえがいています。
筆者は高等小学校を卒業したあと、算数がダメで進学は無理ということで、関西で就職することになります。しかし仕事も落第の烙印をおされてしまいます。こんどは軍隊にとられまいと美大への進学をめざして中学校に通いますが、のんきな性格が災いして、これもものに成らないうちに招集されてしまいます。
鳥取の連隊に入隊しますが、マイペースは相変わらずでビンタをくらう毎日。ついに見切りをつけられ、南方の最前線へ送られますが、九死に一生をえます。このときの経験をもとに、筆者はたくさんの自伝エッセイ、自伝マンガを表すことになります。
無事に帰国したのもつかのま、筆者を待ち受けていたのは、貧乏との戦いでした。魚屋、紙芝居作家、貸本マンガ家と活路をもとめていきますが、安定した生活を手に入れたのは40才をすぎてからのことでした。
「生存競争」という表現がふさわしいほどの紆余曲折の半生にもかかわらず、本書にはそこはかとないユーモアが漂っています。おそらく社会や世間への恨み言というものを全面に出さないことが、筆者の文章を特色あるものにしていると思います。文体が平易なのは「のびのび人生論シリーズ」の一冊として書き下ろされたからです。
筆者の自伝エッセイをいくつか読んでみたのですが、筆者の西宮時代など本書でしか読むことのできない記述があります。筆者の作品から筆者本人に関心をもたれた方は、『のんのんばあ』と本書をまずお読みになることをおすすめします。(Hさん)


・読むべきでした 2002/9/20
受験に失敗した、
受験に成功したけどやることが無くて悩んでいる、
やりたいことがあってもやれない、
自信が無い、
もう人生が終わった、
精一杯、
自分だけ取り残されている、という人は今すぐに読むべきです。

///追記///
平成27年11月30日、水木しげるさんの訃報をネットのニュースで知りました。
調布近くに住んでいるので、一度でいいからお会いしたいと思っていましたが、叶いませんでした。
この本をはじめ、水木しげるさんの作品でたくさん救われ、笑わされ、楽しませていただきました。
ありがとうございました。(Hさん)




【評価】
評価:★★★★☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
水木さんの自伝が読んでみたいって時に。





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2015年11月12日

たった一人の生還―「たか号」漂流二十七日間の闘い

たった一人の生還―「たか号」漂流二十七日間の闘い
佐野三治/著 (新潮社) 1995年 (単行本は 1994年)
440円+税


【動機】
安保 徹、石原結實/著 『ガンが逃げ出す生き方』 で紹介されていたので。




【所感】
最初読んでいると、ドジッ子集団のドダバタ劇のような感じがした。

あっさりと大事な荷物を失ったり、まるでコントのようだ。

冒険者というより、大学生がノリで大会に出てるような感じ。

危機意識がなさすぎてもどかしい。

それがだんだんと死への恐怖が迫ってくるにつれて

サバイバルっぽくなっていく。


ただ1人生き残った著書が27日間の漂流生活を描いた貴重な手記である。



一人、また一人と死んでいくが、
悲しさよりも、居住スペースが広がるという喜びが隠し切れない。まさに極限状態だ。




【概要】
突然の転覆、直面する仲間たちの死、そして27日間にわたる漂流とたった一人の生還――海をめぐる生と死の壮絶な物語。
1992年12月29日午後8時ころ、小笠原諸島父島沖で、暴風雨のために外洋ヨットレースに参加していた「たか号」が突然転覆してしまった。
巨大な崩れ波だった。
その事故で艇長も遭難死してしまう。
残された6名は、救命ボートに乗り移り、あてどない漂流がはじまる。
カツオドリを捕まえて食べたりしたが、クルーは次々に衰弱して、1人また1人と死んでしまう。
直面する死との壮絶な闘い。

27日間にわたるこの悲壮な記録は、たった一人生きて還ってきた者として、
海に眠る仲間たちのためにすべてを書き綴った鎮魂の記録でもある。
つい最近、同じ海で九死に一生を得た、ジャーナリストの辛坊治郎氏が解説を綴る。

目次
第1部 蒼白き海―出航から転覆まで(救出
出航まで
出航
転覆)
第2部 彷徨えるいかだ―漂流二十七日(オレンジ色の世界
水葬
孤独の夜
羽田の灯)
第3部 心の漂流―癒される日々(天使からの手紙
救急病棟の人々
喪の家族を訪ねて)(Amazonより)



たった一人の生還―「たか号」漂流二十七日間の闘い (新潮文庫)
佐野 三治
新潮社
売り上げランキング: 332,928




【抜粋】
●夜、星が見える時は、入口を開け、私たちは星を見て気分を紛らわせた。人工衛星がよく見え、三等星ぐらいの明るさで、ゆっくりと天空を横ぎっていく。(p.128)

☆え、人工衛星って肉眼で見えるのか。


質問5-7)人工衛星は肉眼でも見えるの? - 自然科学研究機構 国立天文台
http://www.nao.ac.jp/faq/a0507.html

日の入り後・日の出前の数時間、注意して空を眺めていると、星々の間をゆっくり移動していく小さな点を見ることがあります。またときには薄明の空に、明るい光が移動していくのを見ることがあります。このようなもののうちのいくつかは人工衛星です。


あっ、「あれ、なんだろう・・・飛行機かなぁ。なんか違うような気がする」って思ってたのは、ひょっとしたら人工衛星かも。



●この日の夜中、自分の小便を飲んですぐ、飛魚を食ったせいか、急に腹がグルグルと鳴り、具合がおかしくなった。そして、ひどい下痢をした。(p.167)

☆さくらももこさんがその著書で飲尿を試したら下痢になってその後健康になったという話を書いていたが、
小便を飲んだせいで下痢になったのかな、と思ったが、飛魚を生で食べておなかを壊しただけかもしれない。



●「下痢になると、体力が消耗してしまうな、あんまり濃い小便は飲まない方がいいのかな」といったことを考えていた。自分の靴下で尻を拭いた。
 しかし、下痢をして腹の具合はよくなった。
 高瀬が逝って、すでに小便はかなり恒常的に飲んでいた。(p.167)

☆いつも飲んでいたというから違うのかな。でも、濃いということが原因かもしれぬ。



●亡くなった方々も、皆さんスポーツマンで元気な方々だったわけだけど、脱水のダメージが佐野さんより強かったのではないか。
 人間は、ある程度までは栄養がとれなくても脂肪や筋肉をエネルギーに変えることができる。けれども、水は常に補ってやらないとすぐまいってしまう。水というのは人間が生きていく上で最も大切な因子なんだよ。(p.207)

☆6人のうちなぜ1人だけが生き残ったのか。

著者には生き残りたいという執念はあまり感じられなかった。
雨水を溜めようともしないし、せっかく捕まえた鳥も捨ててしまう。
たまたまほかの仲間よりも体力(免疫力)があったのだろうか。



●そんな自分に大きな影響を大きな影響を与えてくれたのは松田宏也さんという方の話だった。入院中に副看護部長の嶋崎千尋さんから、これがもし読めればと本を一冊貸していただいていた。松田宏也著 『ミニヤコンカ奇跡の生還』(山と渓谷社)。ヒマラヤの山中で遭難し、仲間を失い、私と同じようにたった一人で何日間か生き延び生還されたという手記だった。自分と同様の体験をした人の書いたものという思いもあり、入院中一気に読んだ。 (p.236)

☆読んでみたい。




【アクションプラン】
・松田宏也 『ミニヤコンカ奇跡の生還』 を読む。

・壮絶な体験記や実体験をもとにした小説は後で書こうと思わず、なるべく記憶が鮮明なうちに書き記しておく。

・サバイバル術について考える。

「イザという時に飲み水を確保するための方法まとめ」
http://matome.naver.jp/odai/2133440833162534901

海水から真水を作るにはやはり火が必要か。
何か方法が無いものか。

海水が飲めればいいんだけど・・・


「渇きに苦しむときなぜ海水を飲んではいけないのか」
http://www.geocities.jp/t_hashimotoodawara/salt6/salt6-00-02.html

海水は絶対に飲んではいけない。


「海で漂流した時に助かる確率を上げる方法」
http://oyakudati-jyouhou.seesaa.net/article/309887872.html

ここには海水を飲んでもいいと書いている。
しかも最初から飲むべきだと。


どちらが正しいのか。
ウィキペディアによると、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%AB

呼吸・水分・食物の順に重要性を説いた「3・3・3の法則(“3分・3日・3週間”の略)」というものがある。 (中略)


水が補給できなければ、人間は3日で死亡するとされている。一般的には成人男子で1日1リットル以上(健康に活動するためには2リットル以上)の水を必要とする。
なお海水は飲んではならない。飲むと、塩分を尿として体外に排泄するために、飲んだ海水の量よりも更に多くの水を必要とするため。水分を摂取しなければ必ず死に至るという極限状況ならば、1日500ミリリットル以下に限って海水を飲むことは止むを得ない。
血液や尿も海水同様であり、飲んではならない。


☆500ミリリットル以下としている。死ぬくらいなら飲めということか。

本書でもほとんどの人が水が完全に無くなってから3日以内に亡くなっている。




【Amazonレビューより】
・救命筏の中の描写は壮絶 03/4/27
91年12月29日ヨットたか号が沈没、27日間漂流。その前後の日々をつづった記録。メンバーの足りないヨットに急遽乗り込むことになった著者。クルーも船も初めて、また社会人で忙しいために船も急ごしらえという、悪い予感のする導入部。沈没はあっという間だが、ライフラフト(救命筏)に乗り込んでからが壮絶。仲間が死んでいく様は目頭が熱くなった。著者のラフトを発見してくれなかった自衛隊と海上保安庁への恨みも深い。「海上保安庁に助けられると、説教されるだけだよ。でもアメリカのネイビーだったら勇者として、きっと我々をたたえてくれるぜ」(p124)という会話も出ている。著者のラフトで見聞きした幻覚幻聴の中で印象的だったのは空中に浮遊しクラシックの大音響が聞こえたという体験だ。ゴムシート一!枚下は大海という生活を続ければやっぱりこういう精神状態というのが訪れるのだ、と妙に納得してしまう。評価を星五つにしなかったのは導入部で乗り込む仲間の人物描写がほとんどないため。それがあればもっと感情移入できたと思う。陸の他人がどうこういうべき事ではないが。(Gさん)



【評価】
評価:★★★☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
生死を賭けたリアルなサバイバルに興味がある人に。




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太陽熱を利用して真水を得る方法

 
posted by macky at 23:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 体験記・手記 | edit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする