2015年08月14日

小野田寛郎―わがルバン島の30年戦争

小野田寛郎―わがルバン島の30年戦争 (人間の記録 (109))
小野田 寛郎
日本図書センター
売り上げランキング: 224,790


小野田寛郎―わがルバン島の30年戦争
小野田寛郎/著 (日本図書センター) 1999年 (初出は1974年)
1,800円+税



【概要】
戦後30年もの間フィリピン・ルバン島でゲリラ戦を展開。帰国後、半年でブラジルに移住し、牧場経営に尽くした波乱の生涯を綴る。1974年講談社刊「わがルバン島30年戦争」の改題。(「MARC」データベースより)



【動機】
わが回想のルバング島』 、『たった一人の30年戦争』 を読んだが、
そのもととなった本を読んでみようということで。



【所感】
三冊目ともなるとほとんど内容は同じである。あっという間に読めた。

戦地に赴くまでのことが他の二冊よりも詳しく書いてあって楽しめた。



【抜粋】
●どうせ二十歳になれば徴兵検査を受けて、兵隊に行かねばならない。私は漢口にきてから背丈が五、六センチ伸び、ほかにどこも故障はなかったから、甲種合格はまずまちがいなかった。
 とすれば、商社員として働くのも、しゃれたホールで踊るのもあと二年、その残されたわずかな青春を、できるかぎり充実したものにしたかった。悔いなき青春を送りたかった。(p.18)

☆二十歳までの命。思いっきり楽しもう。思いっきり働こうという意志が見て取れる。
永遠に続くと思っていては何も成し遂げられない。



●つまり、臨機応変である。要は、最後の勝利を得ることにある。たとえば、自分の子供が、いくら金がかかろうが、また、何をしようが、大人になってかせげる人間になってくれればいい。そして、そのためには、できるだけ、個性を伸ばすように育てる。いうなれば、放任主義、自由主義である。(p.32)

☆戦時中にこんな天国のような学校があったとは。
最後の勝利という目的、つまり大人になってかせげる人間になるという教育がなされてないから
頭はいいけど何をしていいかわからないという人材ばかりが増えていく。



●ヤシはミルクにするが、バナナはヘタだけ取り、皮ごと厚さ三ミリぐらいに輪切りにして、よく水でもんで洗う。青いバナナの渋(ネバ)を取るためである。それへ、乾肉とヤシをしぼったいわゆるココナツミルクを混ぜて煮る味はネットリしたサツマ芋のようになるが、決してうまいものではない。これが朝昼晩、そして365日の食事である。。(p.154)

☆ほぼ毎日同じものばかり食ってたのか。これにたまに牛肉を食べるくらい。飽きそう。




●私の暦と実際の暦は30年間に6日ちがっていた。私の暦の基準は月齢で、それを記憶と食物の減りぐあいで確認した。(p.166)

☆月を見れば日にちがわかるのか?
それは便利だな。ちょっと調べてみよう。

月齢を簡単に求める方法(月齢略算式)
http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0250.htm

暗算でも本日の月令がわかる!月令方程式(月齢方程式)
http://www.suguru.jp/www.monjirou.net/rika/moon/age_of_the_moon.html

中秋の名月。月齢を計算する方法(文字で説明Ver.)
http://ameblo.jp/number-refugee/entry-10943283103.html



{(西暦-2000)×11+月数+日数−8}/30= 余りの部分が月齢


※西暦の下二ケタに11をかけて月数を足して8を引いて30で割った余り。



2015年8月17日だと、

{(2015-2000)×11+8+17−8}/30=6あまり2

つまり月齢2で三日月となる。






【アクションプラン】
・もっと期限を意識する。




【評価】
評価:★★★★☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
戦後70年、今こそ読んでおきたい。

 
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2015年08月12日

たった一人の30年戦争

たった一人の30年戦争
たった一人の30年戦争
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小野田 寛郎
東京新聞出版局
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たった一人の30年戦争
小野田寛郎/著 (東京新聞出版局) 1995年
1,650円+税



【概要】
戦後50年。だがルバング島「最後の帰還兵」の元少尉には戦後20年だ。陸軍入隊、島内のサバイバル生活、帰国後の狂騒的な取材、ブラジルの第二の生活まで、文字通り生と死の間を生きてきた自らの半生を語る。(「MARC」データベースより)


【動機】
陸軍中野学校について知りたい。

小野田さんが昨年亡くなったので一度手記を読んでみたいということで。



【所感】
1922年生まれというと、水木しげるさんと同じ歳だ。
戦争体験記を読み比べてみると興味深い。



【抜粋】
●同行の陸軍中野学校同期生と無言で公園を歩いた。慰霊碑があった。
「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」
私は戦友に聞いた。
「これはアメリカが書いたものか?」
「いや、日本だ」
「ウラの意味があるのか? 負けるような戦争は二度としないというような……」
戦友は黙って首を横に振った。(p.14)

☆そういえば、広島の平和記念公園にこういう慰霊碑がある。
どういう思いで作ったのだろうか。



●当時「手記争奪戦、契約金一億円の声も」などと週刊誌で面白おかしく騒がれたが、講談社とは最低保証二千万円で、通常の印税契約だった。手記は六十万部売れ、私は六千万円を手にした。
 むろん、半分は税金である。(p.16-17)

☆手記を書いて三千万円手にしたようである。これを頭金にしてブラジルの牧場を買って経営に乗り出している。



●私は英国製の背広を着、米国製36年型スチュードベーカーに乗って夜のダンスホールに入りびたっていた。「あいつはホールで姑娘(クーニャン、中国娘)を口説くために中国語を勉強している」などといわれたが、“上海育ちの中国人” で通るほど中国語もうまかった。これがもとで、のちに諜報要員として陸軍中野学校へ送られることになるのだが、私は「どうせ二十歳になれば徴兵だ」と、やや刹那的になって遊びまわっていた。(p.47)

☆中国語ができたから中野学校に入れられたようである。



●当時、陸軍には校名を見ても内容がわからに学校が二つあった。「中野学校」と「習志野学校」である。この二校だけは、陸士や歩兵学校、通信学校などと違って、参謀総長の直轄であった。
 わかりやすくいえば、中野学校はスパイの養成機関、習志野学校は毒ガス、細菌戦の専門家教育である。「こりゃ、えらいところへ回された」というのが、私の正直な気持ちだった。(p.49)

☆「えらいところへ回された」」とあるように、志願してのものではないらしい。
習志野学校というのは初めて知ったが、中野学校と並んで特殊な学校だったようだ。
ちなみに、小野田さんは浜松の北の二俣という所にある陸軍中野学校二俣分校に入ったそうだ。しかも一期生。



●11月30日、私たち二俣一期生は、3ヶ月の特殊教育を終え、「中野学校二俣分校退校を命ず」という命令を受けた。なぜ、卒業でなく、“退校” なのか。おそらく「中野学校出身者」という経歴を消すためだったのだろう。(p.53)

☆卒業ではなく退校というところにこだわりが感じられる。



●トイレットペーパーなんて気のきいたものはあるはずもない。木の葉っぱで代用した。木の歯の裏は細い毛のようなトゲがあるので、ズボンにこすりつけてトゲを落として使用した。(p.127)

☆トイレットペーパーじゃいやだ。ウォシュレットが欲しい!なんて言ってる現代人からすれば考えられないことだ。
痔になったりしないのかな?



●川に行くと、ついでに下着や上着を洗濯した。
 水洗いがほとんどだが、襟や背についた脂アカは灰のアクで落とした。なべに入れた灰に水を注ぐと、灰が沈殿し上澄みができる。その水を別のなべにとって下着などを漬けると、きれいに脂が落ちた。(p.134)

☆こういう知恵ってどこから仕入れるんだろう?
インターネットもないのに。



●住民の足元を威嚇射撃すると、たいてい彼らは懐中電灯を放り出して逃げる。懐中電灯の電池はトランジスタ・ラジオには太すぎて入らないので、四本の電池をゴムのチューブで一緒に巻き、これをラジオの線とつないだ。
 余った電池は空き缶に入れ、ロウを溶かして両極を密閉し、放電しないようにした。これで3年間はもった。(p.143)

☆四本の電池をゴムのチューブで一緒に巻き、ラジオの線とつなぐって・・・??

小野田寛郎―わがルバン島の30年戦争』 (p.180)を読むと、さらに詳しく書いてあった。

懐中電灯の電池は太いD型で、むろん、トランジスターラジオには入らない。私はプラスチックのパイプをつくり、その中に “頂戴” した電池を四つ入れてゴムのチューブでおさえ、これとラジオの線とつないだ。


調べてみると、D型は単1電池のこと。
ゴムのチューブでおさえ、ラジオの線とつなぐというのがやっぱりわからない。




●「もし戦争が終わって日本へ帰れたら、隊長はどんな商売をする気ですか。・・・(中略)・・・いっそ競馬の予想でもやってメシを食おうかと……。(p.145)

☆なぜ予想屋なんだろう。自分で馬券を買ってやったら儲かりそうなのに。




【アクションプラン】
・「命を惜しむな」と言われた戦前の方が死を覚悟して生きていて充実している。
命がけで何かをやりたい。



【評価】
評価:★★★☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
小野田さんがどうやって30年もジャングルで生き抜いたのか知りたいときに。

 
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2015年08月07日

わが回想のルバング島

わが回想のルバング島―情報将校の遅すぎた帰還
小野田 寛郎
朝日新聞社
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わが回想のルバング島―情報将校の遅すぎた帰還
小野田寛郎/著 (朝日新聞社) 1988年
1,200円+税



【概要】
フィリピン・ルバング島で終戦後も戦い続けた小野田さんの手記。


【動機】
陸軍中野学校について知りたい。

小野田さんが昨年亡くなったので一度手記を読んでみたいということで。



【所感】
すさまじい記憶力。
気ままなジャングル生活かと思いきや、
日々、緊張感をもって戦い続けていたことがわかる。

もともと4人で生活していたということも今回初めて知った。

小野田さんというと人の良さそうなおじいさんというイメージだったが、
これを読むと、若い時は現役バリバリの兵士だったことがわかる。



【抜粋】
●「小野田見習士官は、ルバン(グ)島へおもむいて、同島警備隊の游撃隊を指導せよ」
・・・(中略)・・・
「玉砕はいっさい、まかりならぬ。三年でも、五年でも、がんばれ。必ず、迎えに行く。それまで、兵隊が一人でも残っているあいだは、ヤシの実をかじってでも、その兵隊を使ってがんばってくれ。いいか。重ねていうが、玉砕は絶対に許さん。わかったな」(p.44-46)

☆小野田さんの任務だ。



●八月中旬に入ると、山の稜線の道を毎日のようにパトロールし、発砲していた敵の姿が見えなくなった。この時が日本の終戦時と符合するのだが、我々には全くわかるはずもない。敵は我々の執拗さに少しあきれて手を抜き始めたな、ぐらいにしか考えなかった。(p.60)

☆終戦を迎えたら当然、敵も攻撃してこない。後から考えればわかることだが、その現場にいたらなかなか分らないだろう。



●我々三人は、赤津が去ってからは従来と打って変わって積極的な戦法に出た。強者の集団になった我々は、まるで春に木々の芽がふくように活動を始める。それまで四年間というもの、自重しきったために、食料は乏しく、また被服も修理に修理を重ねてボロボロになっていた。一日も早く被服も食料も十分にし、勢力を挽回し、住民が山奥へ出入りするのを止めさせなければならない。(p.85)

☆足手まといだったメンバーがいなくなったことで、積極戦法に切り替えることができた。


●私が終戦、敗戦を信じなかった理由に次のようなことがある。
・・・(中略)・・・
長期戦下では表面の戦争とは裏腹に敵と商取引(適地との物資交換)をしたり、ときには軍の作戦上のことでも取引さえあることを私は知った。また、蒋政権(重慶)と日本が樹立した汪政権(南京)との関係も知っていた。(p.121)

☆日本本土が占領されても、大陸にいる日本軍が蒋介石軍と手を握り、中共(中国共産党)軍やアメリカと戦っていると信じていたようである。



●「命が惜しくて未練たらしく生きてきたのではありません。命令で死ぬなと命ぜられた結果として生き残ったまでです。」(p.234)

☆そういって小野田さんは軍刀を鷲づかみにして引き抜こうとしたという。親子の感動の対面の直後にケンカになったという話。せっかく生きて帰ってきたのに、こんなこと言わせるなんて悲しいな。




【アクションプラン】
・小野田寛郎さんの動画を見た。


小野田寛郎さん従軍慰安婦を語る(12:54)

☆当時から朝鮮人というのがプライドが高かったのがわかる。
日本人は宣伝が下手。だからいつのまにか悪者にされてしまう。
宣伝はウソも必要。アメリカ人はすぐにわかる嘘をつくが、
中国人は謀略に長けていて、うそかほんとかいつまでもわからない。



【評価】
評価:★★★☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
小野田さんがどうやって30年もジャングルで生き抜いたのか知りたいときに。

 
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2015年06月04日

福島第一原発収束作業日記

福島第一原発収束作業日記: 3・11からの700日間 (河出文庫)
ハッピー
河出書房新社
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福島第一原発収束作業日記: 3・11からの700日間
ハッピー/著 (河出書房新社) 2015年 (単行本は2013年)
830円+税



【概要】
事故後の福島第一原発の中では一体何が起きていたのか? 政府の隠蔽と怠慢、東電の事故収束作業工程表の欺瞞、劣悪な労働環境…東日本大震災が起きた二〇一一年三月十一日からほぼ毎日ツイッター上で発信された、事故収束作業にあたった現場作業員による貴重な「生」の手記。(「BOOK」データベースより)



【動機】
原発関係の本を乱読中。



【所感】
現場作業員の生の記録。貴重な本。



被曝と隣り合わせ。

じわじわと線量ゲージが上がっていき、

越えてしまうとゲームオーバー。

日本のために命を削る戦いに参加している作業員たち。

何も知らされないまま目の前の作業に没頭する作業員たち。


でしでし言ってる場合じゃない。

いや、言わないと辛すぎるのだ。




【抜粋】
●わかってる人が多いと思うけど、みんなにお願い。マスクは外から帰って来たら、玄関の外でビニール袋に入れるか、外側を内側に折り曲げて捨ててね。絶対に再使用しちゃだめだよ。それと玄関の外で服と髪の毛も埃落とすみたいにパタパタしてね。家に入ったら、すぐ手洗いとうがいを忘れずに!あと放射性物質は髪の毛に吸収されやすいみたいだから、子供さんには帽子かぶらせてね。以上、今日の豆知識でした。(p.66-67)

☆マスクの正しい使い方が書いてある。



●被曝量が心配です。あまり多く被曝すると長期間の作業ができなくなるからなぁ。まだまだやらなきゃならない事いっぱいあるから、1Fサイトに詳しい人がいなくなるのは、今後の作業に必ず支障があるはずなんだ。線量大事に使いたいけど…、現場はなかなか難しいんだ。詳しい人がいないと、図面見せても初めて入る人は多分その場所にもたどり着けないし、ましてや対象の配管なんか見つける事できないと思うよ。

 オイラも初めて入った時は迷路歩いているような感じだったもんなぁ。特に1Fは、結構古いプラントだから改造もいっぱいやってて、配管なんかどこ通ってるか分かんないのたくさんあるんだ。だから建屋に詳しい人はとても貴重な人だから大事にして欲しいんだけどね。(p.78-79)


☆線量を大事に使うという表現が切実さを物語っている。



●まず影響を受けたのは賃金の問題。原発事故の「緊急作業」は名目上終了した事になり、作業員単価や危険手当の金額が大幅に下がってしまったんだ。・・・(中略)・・・第二ステップ完了やオンサイトの収束宣言して避難区域の縮小をし、早く住民を帰宅させ、賠償金も減らしオフサイトの収束をさせたい思惑なんだろうね。表向きは住民のためだけど、裏には様々な思惑があるんだろうな。(p.141-152)

☆政府(当時の野田政権)が「収束宣言」したことによって、現場でいろいろな影響が出ている。
実際の生の声を聞くと、その場しのぎの対応がいかに多くの人を振り回していたかがわかる。


ちなみに2013年3月13日、安倍首相は原発事故収束宣言を撤回した。



●オイラの知る限りでは日当12,000円前後くらいで、月30万円前後が普通と思うでし。原発作業のみの下請け作業員はなんの保証も補償もないんでし。かといって他の仕事を見つけるのも難しい状況なのです。(p.228)

☆原発作業員の給料。日当5万円とか言われていたけど、実際はピンハネされたりしていたようだ。



●建設業界だって、いまだに西の西成、東の山谷でその日限りの仕事募って朝バスに乗せていく光景は昔と変わらずあるし。オイラ川崎で見た時ビックリしたもん。去年の紅白じゃないけど、ヨイトマケの世界は今現在もあるんだ。(p.314)

☆ 『餃子の王将社長射殺事件』 にも書いてあったけど、西成から日雇い労働者をたくさん連れてきているようだ。







【アクションプラン】
・『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記(1) (モーニング KC)』 を読んでみたい。





【評価】
評価:★★★☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
原発作業員の生の声が聞きたい時に。




【結論】
いかに現場の作業員に気持ちよく働いてもらうかが大事。

作業が危険でキツイことが問題なのではない。キツイけど国のためにやっているという使命感を削がれていることが問題なのだ。

 
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2015年04月05日

刑務所わず。 塀の中では言えないホントの話

刑務所わず。 塀の中では言えないホントの話
堀江 貴文
文藝春秋
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刑務所わず。 塀の中では言えないホントの話
堀江貴文/著 (文藝春秋) 2014年
1,200円+税



【概要】
上場企業の社長から、逮捕、1年9か月の刑務所生活へ―ムショでのあだ名は、なんと「社長」! 介護係として老人のシモの世話に励み、塀の中の懲りない人々にドン引きし、理不尽な先輩受刑者に怒鳴られながら、人生ゼロ地点でつかんだ真実とは? 「刑務所グルメ」の実態から「エロ本差し入れ」の秘訣まで、ぜーんぶホントのホントを書きました!(「BOOK」データベースより)


刑務所の中では検閲があるので書けなかったことを仮出所後、刑期満了を終えて公開しようという本である。


第2章は、 『刑務所なう。2』 の続き。収監74週目から仮出所までが掲載されている。

獄中記の完結編というわけである。



【動機】
刑務所なう。2』 の続きということで。




【所感】
第1章をざっと読んでみたけど、
あまり目新しい情報は無かった。


前歯が抜けててワイルドだろぉ?って言ってたけど、
同じ年の受刑者に殴られたからというのが真相らしい。

彼は小児マヒだったので身辺の世話をしていたら機嫌が悪くて殴られたそうだ。
かわいそ・・・。




【抜粋】
●刑務所に入ったら、とにかく本を読むぞ! と決めていた。結果として漫画も含めれば、1年9か月で1000冊以上読むことができた。(p.98)

☆1日平均1.5冊以上である。




【アクションプラン】
・第2章はまた時間のある時にじっくり読もう。



【評価】
評価:★★★☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
刑務所なう。2』 を読んだあとに。刑務所ってどんなところ?ってときに。





■関連記事
刑務所なう。

刑務所なう。2

 
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2015年03月24日

反証 六本木クラブ襲撃事件「逮捕からの700日」

反証
反証
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石元 太一
双葉社
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反証
石元太一/著 (双葉社) 2014年
1,300円+税



【概要】
警察、検察により仕掛けられた「証拠の隠蔽と捏造」そして、ただ一人「無罪」を訴える理由を明かす!衝撃の獄中手記。(「BOOK」データベースより)


六本木クラブ襲撃事件とは
2012年9月に六本木のクラブ「フラワー」で飲食店経営者が複数の男達に撲殺された事件、いわゆる「六本木クラブ襲撃事件」で、2013年1月9日、警視庁麻布署捜査本部が公判中の石元太一に凶器準備集合容疑で逮捕状を取った。事件前後に金属バットを持って現場に集合したとされる関東連合元メンバーらと連絡を取り、合流するなどした疑いが持たれている。31日にはこの殺害に直に着手した容疑、すなわち殺人容疑で再逮捕。結果、殺意の立証の困難性から殺人罪での起訴は見送りとなり、傷害致死罪による追起訴を受ける運びとなった。区分審理で詐欺罪の有罪判決が認定された後の同年12月に東京地裁で傷害致死罪等の裁判員裁判が開かれ、12月16日、「事件を発生させた張本人」として懲役22年の長期に亘る刑を求刑された。東京地裁は「事件の直前に現場を離れていたが、対象の男性の来店を仲間に知らせ、凶器を持ってクラブに向かう仲間の様子を目撃していたことから傷害致死罪の共謀が成立する」としたうえで、「先輩が首謀した抗争に連絡役として協力したにすぎず、事件の黒幕と位置付けることはできない」として、懲役11年の実刑判決を言い渡した。東京地検はこの判決を不服として東京高裁に控訴。2014年(7月14日)にはこの事件についてを記した獄中手記『反証 六本木クラブ襲撃事件「逮捕からの700日」』(双葉社)を上梓している。2014年12月18日、東京高裁は「襲撃は計画的かつ迅速に行われ、被告人も十分予測していた。計画、準備段階で深く関与した責任を、一審判決は過小評価した」として一審判決を破棄し、懲役15年判決を言い渡した。(Wikipediaより)



【動機】
著者・石元太一氏は無罪を主張している。

〈有罪前提の裁判が進んでしまっている以上、この本を通して、今回の裁判の在り方に疑問を持って異議を唱えてくれるのは世間しか残されていない。〉 ということなので、そういう目的で読んでみる。




【抜粋】
●シャワーを出てからバッグを持ってすぐに本棚の前に行き、時間がある時にでも読もうと思っていた本や、勉強のための参考書を20冊ほどバッグに詰め込んだ。(p.14)

☆読書ブログなのでこういう読書や書物に関する箇所は自然と目を引くことになる。

それにしても、警察に踏み込まれているときに冷静にシャワーを浴びたり、バッグに本を詰め込んだり、旅慣れてるなぁという印象を持った。
自分だったらどういう本を持っていくかなぁと考えたりして、親しみがわいた。
20冊も選ぶとなると私だったら半日がかりかもしれない。



●俺は不安を払拭するためにも、まったく誰とも関係ない弁護士を呼び、事件の内容と自分の事件当日の行動を説明し、客観的な意見を求めたら、
「絶対に認めない方がいい」
 とのことだった。そして、
「もし、やっていないことを認めて、後で後悔して裁判でひっくり返そうとしても、それは例えどんないい先生をつけたって難しいこと。石元さんが後悔したくないと思うのであれば、選任している先生の言うことであっても、今は従うべきではない」
 とも言ってくれた。(p.44-45)

☆このアドバイスで無罪を求めて戦うことに決めたようだ。



●そう録音、録画といえば、俺が事件当日に乗車したタクシー内の録音、録画があったことには驚きだった。結果として俺にとっては出てきた方が良かったのだが(検察側としては最初自信満々で出してきたので、あまり見当違いに証拠として出したことを後悔したのではないだろうか)。(p.49)

☆タクシーって録音、録画があるのか。知らなかった。



●俺から刑事さんに言えることは、ちゃんとホテルの清掃員さんにも口止めしておかないとバレちゃうよって。カマをかけたり、チップを渡せばバッチリだから。(p.50)

☆そういえば、清掃員さんが実は……というのはよくある話である。ちなみに、こちらは刑事さんに尾行されてたけど、清掃員さんにチップを渡してたら事前に教えてもらえて助かったというお話。うーん、抜け目がない。



●「加地伸行という儒学者研究の第一人者の本で、 『他者の幸せのために生きよ 祖父が語る「こころざしの物語」』 という本がある。もし機会があったら読んでみてくれ」
(中略)
 俺は知識の上に学ばなければいけないことを忘れていたような気がした。その知識を誰かのために使おう。何かに役立てようという気持ちが欠如していたんだ。(p.60-61)

☆留置所で詐欺事件の捜査員に薦められてこの本を読んだことで、石元氏は他人のために自分ができることは何かというのを考えるようになったようだ。



●今回逮捕されてから、たくさんの本を読んだのだが、留置場から拘置所に移送される時に、差し入れてもらった本を数えると527冊。(p.62)

☆7か月で527冊。すごい数だ。1日2.5冊ペース。



●そんな拘置所生活で一番良い点は、自分で食糧(缶詰やお菓子、調味料など)が購入出来ることだ。それだけではない。外部から差し入れてもらうことも可能なほか、筆記用具やノートなどが購入出来、しかもそれらを常に居室の中に置いておけるといった点ではないだろうか。(p.70)

☆筆記用具やノートを常に居室の中に置いておけるだけで喜びを感じられるようだ。


●でも、俺自身、最もありがたかったのは、室内に本を何冊でも置けるということだ。(p.70)

☆あれ? 10冊までじゃなかったっけ?

佐藤優 『獄中記』 を確認してみると、<私本3冊、宗教経典・教育用図書7冊、パンフレット10冊の枠> とやっぱり書いてあったので不思議に思って調べてみると、

2005年に法律が改正されて制限が無くなったようである。


エロはOK、脱獄と自殺はNG? “刑務所タブー”を破った問題作 - 死刑囚小田島獄中ブログ
http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/okng-def1.html

 近年、“塀の中”の読書事情が劇的に変革したのをご存じだろうか? 2005年、およそ100年間にわたって受刑者に運用されてきた監獄法(1908年公布) が全面改正され、受刑者の読書事情が大幅に改善されたのだ。新法の名称は「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」、通称「刑事収容施設法」。受刑者の処遇に関係する部分は06年5月に施行された。

 新法の最たる特徴は、受刑者(法律では被収容者と呼称)の「権利義務と矯正職員の権限」を明文化した点と、「受刑者の本を読む権利」を保障(所長権限による、という曖昧な表現も多く見られるが)した点である。読書に関していえば、例えば旧法では、多数の本を所持していても手元における冊数は3冊(学習参考書や辞書類は冊数外の扱いになっていた)と制限されており、残りは“領置”と呼ばれ、倉庫に収めることになっていた。読み終えた本を倉庫に戻し、新たな本と交換する場合は、“領置下げ”という願箋を書いて、下付願いを出さなければ閲読は許可されなかった。それが新法では改正され、手元に何冊でも置けるようになったのだ。


10年も前に改正されてたのか。 
そういえば佐藤さんの本は2002年から2003年頃の話だ。



●工藤と俺は20代前半の頃、一緒にいることが多かった。彼は未成年の頃、当時敵対していた暴走族グループの少年1名をナイフで刺し、死なせてしまったことで特別少年院送致という処分を受けていた。だから、彼が少年院を出院した後に起こったトーヨーボール事件で、同じ特別少年院送致となった俺のことを境遇が似ていると言って、何かと目をかけてくれていた。(p.74)

☆トーヨーボール事件は工藤氏は関わっていなかったのか。
じゃあ 、『不良録』 に出てきた憧れの先輩って誰なんだろう?
トーヨーボール事件の主犯格ということで網走刑務所で懲役6年半も務めたらしい。



●その後、自分に合った職を見つけるため、いろんなことに挑戦していたのだが、彼は昔から頭の回転も早く、性格も社交的だったので、俺は彼に広告代理店という仕事を勧めてみた。
 なぜ、この仕事を勧めたかというと、1つは学歴にはあまり左右されず、とにかく優秀な人材を求めている会社があった。もう1つはこの業界には、昔やんちゃをしていたという過去を持っていても、セールスマンとして成績の優秀な人間が多かったからだ。そこにはそういった人間に共通するスキルがあったのかもしれない。
 結果、彼は入社後ほどなくして、トップセールスマンとなるのだが、ある日今の会社を辞めて独立することにしたと彼から連絡が来た。この仕事を彼に紹介したのは自分だということもあったので、素直に嬉しかった。そして、何か手伝えることがあればという気持ちから、俺は非常勤という形で彼の会社をサポートすることにした。(p.84-85)

☆その彼が証言台に立ってくれたそうだ。やっぱり日頃からいろんな人の世話をしたり面倒を見たりしていると、いざというときに助けてくれるものだなぁ。ところが、絆が深いということで彼の証言は信憑性が無いとされてしまった。なにかがおかしい。



●そこでPPC広告と平行して行ったのがオプトインメール広告だった。広告メールを受け取ることを承諾している人だけに送信されるメール広告で、メールの配信数などで広告費用が決まる。さらに配信対象者を絞りこんだものがターゲッティングメール広告。(p.87)

☆オプトインメールってちょっと前どこかで聞いた気がする。どこだったかな。




●突然、工藤明男から言伝があると言われた。
(中略)
「あの本の最後に書いた2人の友と1人の後輩の心の支えになりたいという1人の後輩とは太一のことだから」
(中略)
言い訳じみた言葉ばかりを聞かされ、俺はうんざりし、よくもこんなことが本気で言えるものだと、思わず感心したくなるような内容だった。(p.92-93)

☆あらためて 『いびつな絆』 の「“生贄” にされる石元太一」の章を読んでみると、工藤氏は石元氏のことを本気でかばっているようにみえる。

 もし太一が、自分の罪を少しでも軽くするために、本来の自分の立場を説明するには、見立君との主従関係や、関東連合内部の慣習を説明しなければならない。だが太一の性格では、仲間のことを悪く言えるはずがない。さらに言えば、見立君の支援者が手配した弁護士を選任(後に辞任)していたこともあって、へたな供述はできないだろう。( 『いびつな絆』 p.173より)


六本木クラブ襲撃事件のおおよその真相はこんなところだろう。
どうして工藤氏と仲たがいしてるのだろう?


と思っていたら、出てきた。


●疑問に思い、揉めた当事者でもあった見立君に尋ねると、
「工藤(明男)が“仲間の文句を言ってるのだから馬鹿にしてないですか? やっちゃいましょうよ” なんて俺とI君が飲んでいる席に現れて、あまりにも煽るもんだから俺も酔っぱらってて乗っちゃったんだよ。ほら、I君もあの通り全然引かない性格だろ?」
 という話を聞いて、なるほどなと思った。(p.136)

☆ちなみにこのIさんというのが六本木クラブ襲撃事件の現場となった「フラワー」のオーナーである。
関東連合の中でも石元氏だけはIさんと仲が良かったという。



●それにしても、事前にKにしろ誰にしても、襲うかもしれないと聞いていたり、思っていたりしたのなら、自分の携帯電話で自宅にまでタクシーを呼ぶなんて足のつく行為をするのだろうか。(p.194)

☆普通に考えればわかるとよく主張しているが、それを逆手に取って用意周到に計画していたのでは?と思われたらもうどうしようもない。裁判の難しいところだ。




●今、俺が生活しているフロアは、死刑囚の人が多いのだが、死刑が確定すると、週に一度だけ映画を観ることができるため、居室の中に小さなテレビが入る。だから廊下などを歩いていると、どの人が死刑囚なのかがすぐにわかる。(p.263)

☆死刑囚はテレビがあるのか。知らなかった。
ちなみに、拘置所によって違うらしい。




【所感】
冤罪事件だったら大変だと思って擁護するつもりで読んでいたのだが、
相手の矛盾点を突いているつもりの箇所がイマイチ説得力に欠けていて
なんだか逆にあやしく思える部分もあった。

本当に潔白ならばもったいない書き方だと思った。

当然読んでいる方はスッキリしない。
水戸黄門が「この印籠が目に入らぬか!」と言って印籠を出す場面で、微妙に違う茄子みたいな物を出したり。
そういうシーンが思い浮かぶ。

取り調べなどで疑われることが日常になって、逆にすべての人を疑うようになったのかもしれない。
まさに疑心暗鬼に陥っていると感じた。



細かい矛盾点は多いけど、本書の通りとするならば、無罪だという主張もわかる。

バッドを見てないから襲撃するとは思わなかったという主張だけど、
抗争相手を見つけて集まった時点で過去の経験からこうなる可能性があるということは予想できるわけで、
芸能活動を目前に控えてて抗争に関わりたくないから、
何とか切り抜けて事が起こる前に現場を去った。
だからセーフだと思っていたというのが本当のところだろう。

もしこれが最終的に有罪になるとすれば、
そうなる運命だったとしかいいようがない。




【アクションプラン】
・『他者の幸せのために生きよ 祖父が語る「こころざしの物語」』 という本を読んでみたい。



【評価】
評価:★★★☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
裁判に興味のある人、六本木クラブ襲撃事件について知りたい人は必読。




【簡易年表】
2012年9月2日 六本木クラブ襲撃事件。
2012年9月7日 石元太一氏を別件逮捕(詐欺罪)。
2013年11月27日 詐欺事件で有罪判決。
2013年12月16日 六本木クラブ襲撃事件一審で有罪判決(裁判員裁判、求刑22年、懲役11年)
2014年7月14日 本書(獄中手記『反証 六本木クラブ襲撃事件「逮捕からの700日」』)を出版。
2014年12月18日 六本木クラブ襲撃事件二審で一審の判決破棄。(懲役15年)

 
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2015年03月20日

オウム事件 17年目の告白

オウム事件 17年目の告白
上祐 史浩 有田 芳生 (検証)
扶桑社
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オウム事件 17年目の告白
上祐史浩/著、有田芳生/検証 (扶桑社) 2012年
1,600円+税



【概要】
特別指名手配犯全員逮捕。地下鉄サリン事件発生から17年、麻原の側近が語れなかった真実を初めて綴った。「オウム事件」を取材してきたジャーナリストで参議院議員の有田芳生が徹底検証。(「BOOK」データベースより)


【動機】
地下鉄サリン事件から今日でちょうど20年目である。


【所感】
オウム事件の背景などが克明に描かれている。


【抜粋】
●私は、2007年に麻原を信仰する「アレフ」を脱会し、今は「ひかりの輪」という団体の代表を務めています。ひかりの輪は、宗教的な学習や実践はしますが、何か特定の人物や神仏を絶対者とする、いわゆる宗教団体ではありません。新しい智恵を学ぶ場です。(p.14)

☆オウム真理教の反省を教訓として、新しい思想と実践の場を創造することで、贖罪の一部としたいと考えているようである。


●出家するには、就職したばかりの宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構)を辞めなければならない。長らく育ててくれた母親も失望させねばならないため、自分なりに苦しい決断だった。(p.38)

☆上祐氏はJAXAに勤めてたのか。知らなかった。


●極厳修行を終えた私は、「解脱者」と認められ、「マイトレーヤ(弥勒菩薩)」という宗教名をもらい、教団内で「マイトレーヤ大師」と呼ばれるようになった。機関誌に、私の修行と解脱の体験談が載った。
 しかし、自分自身は、少々失望していた。以前より霊的体験が多くなって、霊的に敏感になったのは確かだが、自分が期待したような悟りや超能力を体得できたとは思えなかったからだ。(p.40)

☆実際に「解脱者」になってみたら、そんなにたいしたことがない、まやかしに過ぎないということが見えてくる。
ちなみに、先輩の解脱者である石井久子は解脱者らしく振る舞う「演技の修行」をしていたようだ。


●教団は高僧たちに多額の寄付をしていたのだ。私が出家した当初から、麻原は宣伝を企図して、高僧と面会し、権威付けを得る方針だった。(p.44)

☆インドやチベットの高僧に賞賛してもらう。それが権威付けになり益々信者が集まる。でもその裏には多額の寄付があったという。
ダライ・ラマ法王には少なくとも100万ドル以上の寄付をしていたというから驚きだ。


●麻原は私のことを「菩薩」などと言って、極めて高く賞賛した。弟子たちは麻原に誇大妄想的な自尊心を満たされ、自分でも気づかないうちに、麻原を信じたいと思う気持ちになっていた。つまり、正しいから信じるのではなく、自分を高く評価するものを信じたいという心理である。 (中略)
 また、少数の勝ち組やエリートでさえ、社会の上層部にいくには、長い年月の地道な努力が必要だ。悪くいえば、みんなが、自分の価値を見いだしにくい社会の歯車の一つ、群衆の一人なのかもしれない。
 そうした若者たちの心の渇きを、麻原の言葉は、悪い形で満たした。麻原に帰依すれば、ほかではあり得ないほどに「偉大な自分になれる」と錯覚させたのだ。(p.46-47)

☆こういう才能は麻原は天才的なものがあるのだろう。
人の心を掴むのがうまい。
結果として多くのエリートたちがコロッとだまされている。

正しいから信じるのではなく、自分を高く評価するものを信じたいという心理はたしかにあるかもしれない。


●テレビ出演では、私が、麻原より多く話すこともあったので、テレビ局員が驚いていたことを覚えている。この辺から、自分がこうした弁明に長けているという自覚が生じていったかもしれない。(p.66)

☆隠れた才能が開花したような感じだったのか。知らなかった。


●実際に、地下鉄サリン事件前に、麻原は「戦いか破滅か」というタイトルの信者向けビデオ番組を制作させていた。その中に、教団は米国に毒ガス攻撃で密かに弾圧されており、戦わなければ滅ぼされるとの主張がある。そして、弟子たちに「闘いはすでに始まっている」として、教団がすでに密かに闇の権力と交戦状態にあると主張した。(p.79)

☆今、平和だと思っていたらわざわざ争いのタネをまこうとは思わないけど、やらなければやられると思うとモチベーションが上がる。わざと火をつけることでモチベーションを上げられるかもしれない。


●当時から麻原の脳波は、理工系の大学院の博士課程まで修めた男性幹部信者が採取していた。 (中略)
「麻原の脳波を採取していた当時、気になっていたことがある。それは、麻原の脳波は解脱者のものではなく、私が知っていた精神異常の脳波のタイプとよく似ている」(p.130)

☆地下鉄サリン事件で逮捕された後、10年以上経って上祐氏にそう告白したそうだ。



●私がロシアにいた間に、教団は、国の行政組織を模した省庁制を採用した。麻原が「神聖法皇」と名乗り、あたかも国家のような体制を取った。(p.136)

☆上祐氏がロシアに行ってる間だったのか。
そういえば、組織図を見ても、上祐氏は○○省とかではなく、ロシア支部長となっている。


●水俣病の被害者認定の申請をしたが認められなかったこと。 (中略)自分たち兄弟は初めは目がちゃんと見えていたこと、自分が捕ってきた、水銀に汚染された魚介類を麻原が好んで食べたので責任を感じていること、 水俣病特有の症状である手足のしびれが当時はあったこと、などをいろいろと語ってくれたという。(p.158)

☆麻原兄弟は水俣病患者のようだ。だが、認定を受けられず、国家への憎しみを深めていく。こういったところに、テロを起こした動機がありそうだ。



【評価】
評価:★★★★☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
オウム真理教や地下鉄サリン事件について詳しく知りたい時に。

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2014年09月14日

飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ



飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ
井村和清/著 (祥伝社) 2005年



【概要】
「死にたくない。生まれてくる子の顔を見たい…」不治の病に冒された青年医師が、最後まで生きる勇気と優しさを失わず、わが子と妻、両親たちに向けて綴った感動の遺稿集。(「BOOK」データベースより)


【動機】
田坂広志 『なぜ、働くのか』 で紹介されていたので。


【所感】
限りある命の大切さ。




【抜粋】
●数日後、母は難聴に陥ってゆきました。
「もうカナマイシンはやめて下さい。完全に耳が聴こえなくなってしまいます」
 何度も頼んでいる母の姿が思い出されます。看護婦さんが筋肉注射を射ちにやってきます。
「それ、カナマイシンでしょう。お願いですから射たないで下さい」
「カナマイシンじゃないですよ、ビタミン剤だから、心配しなくていいですよ」
 と言いながら、射っていたのはやはりカナマイシンでした。(p.64)

☆ここ、怖いな。
その薬を使うと悪くなることが分かっていて医者に訴えているのにハハハと笑ってすまされる。



●大切なことがあります。それは、私の恩師のひとりで、リハビリテイション専門医、博多節夫先生から教わった事なのですが、いえ、簡単なことなのです。それは、
「決して後ろを振り返らないこと」
 ということなのです。(p.105)

☆手足や目や耳を失った人が以前はよかったと思っているとリハビリが全く進まないらしい。リハビリは失った手足が生えてくるのを待つことではなく、障害を受け入れ、それを他の健全な部分で補っていくことだという。



●現在の医療制度の一番悪い点なのですが、病院の収益は、どのような患者さんをいかに早くより良く治したか、に対して与えられるものではなく、何人の患者さんに対しどれだけ多くのクスリや検査が投与され行われたか、によって与えられるようになっています。(p.125)

☆たしかに、早く治してしまうと儲からないっておかしなシステムだなぁ。



●こんな幸せな病人はいるでしょうか、身にあまる思いやり。(p.141)

☆読んでいるうちに、こんなに幸せな病人はいない、うらやましいと感じるが、生きているだけでそれよりも幸せなのだと気付く。



●無理なことばかり頼んで、すまない。31、まだ死ねない。あと5年。這ってでも生きたい。
 しかし、肺の肉腫は日一日と増大している。(p.180)

☆平々凡々と暮らしていたら5年とかあっという間だが、近いうちに死ぬとわかっていたら、生きている間になんとかしたいと思う。そういう気持ちとまだ若いのにという無念が伝わってくる。著者は5年どころかこのわずか1週間後に亡くなった。



●あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを(p.185)

☆あたりまえのことがあたりまえにできなくなってはじめて
そのありがたさに気付く。
それを最後の最後に教えようとしてくれているのだ。



●彼はしばらくためらったあとで、一通の手紙を黙って差し出しました。主人からの手紙です。(p.217)

☆全て知っていたのだ。知らないかのようにふるまう。つらいだろうなぁ。



●私は、徳洲会病院の院長先生へ手紙を書きました。主人が再発したこと、ぜひともお力になっていただきたいこと、そして、このことは夫には内緒にしてほしい――という趣旨の手紙です。けれどもいざポストの前に立ちますと、主人には主人なりの考えがあってのこと、主人の思いやりを大事にしよう、そして私に隠していることが、いつか笑い話で終わりますように、……そう思い、その手紙はとうとう出さずじまいに終わりました。(p.218)

☆意地と意地のぶつかり合いというのはよくあるが、これは思いやりと思いやりのぶつかり合い。



●事務長から、井村先生の悪性腫瘍が肺に転移し、それも一ヵ所でなく両肺の数ヵ所にも及んでいることを本人から告白された、との報告を受けたのは、その直後のことであった。(p.228)

☆みんな知っていたのだ。それで徳洲会の理事長徳田虎雄さんは本を書くことを強く勧めていたのか。




【アクションプラン】
・いかに死ぬか。死ぬ前にやっておきたいことをどんどんやっておきたい。




【評価】
評価:★★★☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
死生観を身に付けたい時に。



【結論】
遅かれ早かれ、命には限りがある。
大事に使おうと思った。

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2014年08月27日

第二集 きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記



第二集 きけ わだつみのこえ
日本戦没学生記念会/著 (岩波文庫) 1988年


【概要】
在学中の学生が学業中断を強制され戦場に動員されたのは1943年12月、戦局が破滅的様相を色濃くし始めた時期であった。彼ら学徒兵が死と直面しつつ思索をかさねて遺した手記は、だれも消し去ることの出来ぬかけがえのない記録である。(「BOOK」データベースより)


【動機】
きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記』 を読んだので。


【所感】
こちらは階級が上の人の分も載っている。




【抜粋】
●いろいろと持ってきた本も、荷物になるので、つぎつぎと捨てて、今はただ漱石の「草枕」だけ持っている。このごろ少し暇があるので何度も読み返している。兄の手元には本らしいものはこれ一冊だ。「草枕」のかもし出す香りは、およそ南国の香りとかけ離れたものだが、なぜか何度読んでも飽きない。(p.319)

☆死ぬ直前に「草枕」。弟への手紙より。


●「ドイツ戦没学生の手紙」に感銘の深かったあまり、日本の学徒がいかに戦っているかをぜひとも知ろうと思い、河野通次の、「学生兵の手記」というのが三省堂から出ていたので、これなど代表的なものであろうと思って買ってきた。二、三ページ読むと、もはや耐えられなかった。虚飾と傲慢が、ひどい悪臭を放っており、戦場において当然打ちくだかれてくるべきものを、かえって歪曲したまま昂じさせて、しかも、得々としてこれを発表する厚顔、彼が無意識裡に誇っているインテリ兵とはいったい何だ。そんな意識が潜在しているというそのことが醜悪千万なことなのである。(p.337)

☆「ドイツ戦没学生の手紙」を読んでみたい。


●まだまだ患者は続出しそうである。戦友のために身を粉にして奉仕すべき防疫戦の陣頭に立たねばならぬ。
 そういういそがしさの中に、一昨日、昨日と読んだ塚本(虎二)氏の「聖書知識」やヒルティの「眠られぬ夜のために」のわき出て尽きざる滋味を懐かしむことができる。今や、愛惜措くあたわざる座右の書々を、戦陣に携えて枕とすることの許されるようになった身の幸やいかに!(p.343)

☆このわずか数日後に感染して亡くなっている。




【評価】
評価:★★★☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
死生観について考えたい人に。
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2014年08月22日

きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記



きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記
日本戦没学生記念会/編 (岩波書店) 1995年 (初出は1949年)



【概要】
酷薄な状況の中で、最後まで鋭敏な魂と明晰な知性を失うまいと努め、祖国と愛するものの未来を憂いながら死んでいった学徒兵たち。1949年の刊行以来、無数の読者の心をとらえ続けてきた戦没学生たちの手記を、戦後50年を機にあらためて原点にたちかえって見直し、新しい世代に読みつがれてゆく決定版として刊行する。
(「BOOK」データベースより)

わだつみ(海神)とは、日本神話における海の神さまである。



【動機】
なぜ、働くのか』 を読んで。

終戦記念日を契機に戦争について考えよう。





【抜粋】
●ジュー〔ユダヤ人〕財閥とコミンテルン。――自分はこう結びつけてみる。我々は蔽われてはならぬ。欺かれるとは馬鹿にされたということなのだ。端的に言ってしまうならば――。(p.26)

☆この時代の若者は、どこまでわかってたのだろうか?



●私が初めて支那の人間を眼のあたりにして印象深く残ったのは苦力(クーリー)〔最下層の中国人日雇労働者〕の群だったのです。私が上陸しようとした時、桟橋には幾百とない苦力がうごめいていた。(p.42)

☆苦力というのは初めて知った。今はもういないのだろうか。

Rothschild-41  中国人奴隷 苦力(クーリー)
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1128.html



●従ってこれらについての常識は、入営者たる者は一応は備えておかねばならぬものである。しかし入隊前はその必要性を痛感せぬため、研究を疎かにしがちになるのは残念なことである。これらをあらかじめ知っているか否かは、一生の運命を左右するくらいに重大なる意義を持っている。(p.73)

☆これは現代も全く同じだ。



●小学校以来同級で早稲田大学まで出た富各(とみまさ)は、勅語が全然書けなかったために、あたら有為の身をもって幹部候補生の資格を失い、六月の末他の初年兵と共に第一線に送られてしまったのであった。(p.74)

☆この友人も、それが大事だとあらかじめわかっていれば人生が変わっていただろう。



●野砲兵と馬、それは切っても切れぬ関係があり、人間よりも馬の方が遥かに大切であるとは、班長までも明言しているくらいである。(p.75)

☆このあたりから、馬の扱い方がかなり詳しく書いてある。



●二年兵はただ、我々初年兵を奴レイのごとくに、否機械のごとくに扱い、苦しめ、いじめるより他何の仕事もないのです。噂に聞いていた、汽車遊び、重爆撃機遊び等、やらされました。・・・(中略)・・・いいと思っていた戦友も、いよいよ本性を現わして来ました。1日に2回くらいの割合でなぐられています。兵営内には一人として人間らしい者はいません。(p.86-88)

☆一致団結して敵と戦わねばならないという時に、何をやってるんだか。



●最近文部省が中等学校の英語を廃するとの記事を見たが、何ともいえぬ為政者への反感を感じるのだ。アメリカでは日本と戦争が起ってより日本研究熱がきっとはげしく台頭しているに違いない。敵に勝たんとする者、敵をよく知らねばならぬのではないか。今こそ英語をもっと普及し、一層敵国を国民一般に知らさねばならない時だと声を大にしていいたい。(p.95-96)

☆一兵隊の方が頭がいいじゃないか。



●学生兵と読書……学生兵にとって辛かったことの一つは、軍隊内で自由に読書ができないことであり、陸軍では書物をいっさい許されぬ場合が多く、海外でもある種の本(武士道を説いた 『葉隠』 )のみ携行がゆるされるという状況であった。(p.166)

☆今、こうやって自由に読書できているのもありがたいことなんだなぁ。活字に飢えて、メンソレータムの効能書きを何度も読んでいる人もいた。わかる気がする。



●夕食後の点呼がすむと、古参兵による新兵いじめの地獄が始まり、「汽車遊び、重爆撃機遊び」などの変質者的な私的制裁が横行し耐えられずに自殺する兵士もでた。そのグロテスクで息づまる人間関係と日常生活の情景は、野間宏の 『真空地帯』 に描かれている。(p.192)

☆ちょっと読んでみたい



●世界が正しく、良くなるために、一つの石を積み重ねるのである。なるべく大きく、据りのいい石を、先人の積んだ塔の上に重ねたいものだ。(p.208)

☆こういう心掛けで死んでいったのだ。
自分はこんなところで無駄死にしてしまうのだという悔しさはみじんも感じられない。



●今になって落ち着いたというか、もう学問など出来ぬと半ば捨鉢とでもいう気持ちになると、小説がむやみに読みたい。長い間の念願、 『神々の復活』 を読むことにして本棚から取り出す。…………ああ もっと本を読んでおけばよかった。まだまだ興味ある本は沢山ある。無限だ。日暮れて道遠し、との心境か。落ち着いて冷静に、読書に余命を送ろう。(p.214)

☆こういう声をもっと聞きたい。達観した人ばかりじゃなかったことにドキリとさせられる。



●毎日多くの先輩が、戦友が、塵芥のごとく海上にばら撒かれて、――そのまま姿を没してゆく。一つ一つの何ものにもかえ難い命が、ただ一塊の数量となって処理されてゆくのである。(p.298)

☆昨日まで話してた人がどんどんいなくなっていく。それが戦場というものだろう。精神を保てるのか。わずかな時間をぬすんで読む書物が清涼剤となってくれると書いている。



●この手紙は出撃を明後日にひかえてかいています。ひょっとすると博多の上をとおるかもしれないのでたのしみにしています。かげながらお別れしようと思って。(p.344)

☆出撃を明後日にひかえて母に出した手紙。胸に迫ってくる。




【アクションプラン】
・続いて、第二集 (『第二集 きけ わだつみのこえ』) を読む。





【評価】
評価:★★★☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
戦争で散っていった若者が何を考えていたのか知りたい時に。

 
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