2019年11月29日

戦後史の正体

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書)
孫崎 享
創元社
売り上げランキング: 1,372


戦後史の正体 (「戦後再発見」双書)
孫崎享/著 (創元社) 2012年
1,500円+税



【概要】
元外務省・国際情報局長が最大のタブー「米国からの圧力」を軸に、戦後70年を読み解く。(「BOOK」データベースより)

日本の戦後史をアメリカを軸に、「対米追随路線」か「自主路線」かで分けて論じている。


【動機】
堀江貴文 『刑務所なう。2』 を読んだ時に、
『ダ・ヴィンチ』 という雑誌が紹介されていたので、読んでみたら
三宅裕司さんがオススメしていた。


【所感】
高校生でも分かるように書いたというだけあってわかりやすい。

ここまで書いていいのかと思うことも多く、
おもしろくて一気に読んでしまった。



【抜粋】
●重光外相は、降伏文書に署名した9月2日のわずか2週間後、9月17日に外務大臣を辞任させられています。
「日本の国益を堂々と主張する」。米国にとってそういう外務大臣は不要だったのです。求められるのは「連合国最高司令官からの要求にすべてしたがう」外務大臣です。それが吉田茂でした。重光が辞任したあと、次の外務大臣は吉田茂になります。戦後の日本外交の歴史に置いて、「自主路線」が「対米追随路線」にとって代わられる最初の例です。(p.44-45)

☆一般的に評価の高い吉田茂もこの通りバッサリ。



●米国で外交・軍事面でもっとも重要なポストは、国務長官と国防長官ですが、このふたりに劣らず重要なのが国家安全保障担当の大統領補佐官です。つねに大統領のそばにいて、ときに国務長官と国防長官よりも重要な役割を演じます。いちばん有名なのはキッシンジャーでしょう。
 ブレジンスキーはカーター大統領時代、国家安全保障担当の大統領補佐官として辣腕をふるった人です。最近でもオバマ大統領の選挙で外交顧問をつとめ、オバマ大統領から「もっとも卓越した思想家のひとり」とよばれています。(p.51)

☆大物がずらりと並ぶ。ブレジンスキーといえば地政学の人かな。 『地政学で世界を読む―21世紀のユーラシア覇権ゲーム』 を早く読みたい。



●一方、その後もニクソン大統領の佐藤首相への報復は継続します。
 そのひとつが尖閣諸島に対する米国の態度です。(p.254)

☆今、中国との間で尖閣諸島が問題になっているけど、その発端が
ニクソン大統領の佐藤首相への報復だったとは驚きだ。
1970年の繊維問題が未だに尾を引いている。



●こうして、日本では、「田中首相は石油で独自外交を展開したから米国にやられた」というのがほぼ定説になっています。
 私はこれには疑問をもっています。(p.261)

☆それよりも、日中国交正常化が大きいという。アメリカからしてみれば、ニクソン訪中の果実を横取りされたということだ。それでロッキード事件を仕掛けられたという。中国に近づきすぎるとアメリカにやられるというパターン。これは橋本龍太郎もそうだという。二つある「虎の尾」の一つ。ちなみに、もう一つの「虎の尾」は、沖縄の基地問題。



●レーガンは政治的にはタカ派です。
 ソ連を「悪の帝国」とよび、軍備拡張戦争をしかけました。ソ連はレーガンの軍備拡張路線に引きこまれ、結局経済がついていけず、国家の崩壊につながったと考えられています。(p.194)

☆そういえば、ソ連の崩壊とバブルの崩壊は時期が重なる。ソ連が崩壊した時はそこから20年以上も日本が不況になるとは思わなかったなぁ。しかもその原因の一つがソ連の崩壊だったなんて。(ソ連が崩壊したことでアメリカの敵がいなくなり、日本はアメリカの仮想敵国になってしまった)

あと、ソ連は勝手に崩壊したイメージがあったけど、実際はレーガンが戦略的に潰したのか。



●つまり九〇年代半ばには政治家レベルでの対抗は少なくなったということです。だからあとは抵抗を続ける官僚機構をつぶせば、米国の思うようになるというのが、アマコストの考えです。
 こうしたアマコストの考えに応じるかのように、日本国内では官僚たたきが激しくなりました。1998年に起こった「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」といわれる大蔵省接待汚職事件はその典型でした。この事件が大きく報道された結果、官僚イコール悪というイメージが国民のあいだに定着し、省庁再編で大蔵省は分割されてしまったのです。(p.326-327)

☆やっぱりそうだ。薄々感じていたことだが、官僚は悪というイメージはアメリカが植え付けたものだったのか。



●ここで指摘して起きたいのは、占領期以降、日本社会のなかに「自主派」の首相を引きずりおろし、「対米追随派」にすげかえるためのシステムが埋め込まれていると言うことです。
 ひとつは検察です。なかでも特捜部はしばしば政治家を起訴してきました。この特捜部の前身はGHQの指揮下にあった「隠匿退蔵物資事件捜査部」です。終戦直後、日本人が隠した「お宝」を探しだしGHQに差しだすのがその役目でした。したがって検察特捜部は、創設当初からどの組織よりも米国と密接な関係を維持してきました。(p.369)

☆これは恐ろしいことだ。
検察がでっち上げをよくやるのもアメリカのためということらしい。
そして、もう一つは報道だという。たしかにマスコミに叩かれている人が悪い人ばかりとはかぎらない。
裏にアメリカの意向があることは確実だ。

安保闘争にしても、アメリカの言いなりになる岸信介に対してのデモというのが一般的だが、
実際は、岸がアメリカに対抗しようとしたので、アメリカがデモをやるように仕向けた。

などなど、この世の中はマスコミのイメージとは逆なことが多い。




●福田首相が辞めた理由(p.)

☆私がこれを知ったのは2009年9月24日頃。

ウィキリークス 2010年11月

この本は2012年8月10日なので

それよりもだいぶ前に知っている。

どこからの情報なのか?

ソースとして本が挙げられていたので読んでみたい。
( 『「大恐慌」以後の世界/多極化かアメリカの復活か』浜田和幸著/光文社刊 )

ちなみに、福田首相が辞めたのは2008年9月24日。
つまりちょうど1年後に真相を知ったことになる。




【アクションプラン】
・パーッと速読しただけなので、また時間のある時にじっくり読みたい。





【評価】
評価:★★★★☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
高校生にオススメ。
もちろん高校生だけじゃなく、戦後史について勉強したい人にもオススメ。



(131219 読了)
posted by macky at 21:42 | Comment(0) | 歴史 | edit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月28日

天皇の金塊とヒロシマ原爆

天皇の金塊とヒロシマ原爆
高橋五郎/著 (学習研究社) 2008年
1,800円+税



【動機】



【所感】
金の百合(天皇の金塊)のおかげで日本は戦後復興できたけど、そもそも金の百合のおかげで戦争に巻き込まれた。


北方領土の問題で、ロシアは火事場泥棒的に日本の領土を奪ったと思っていたけど、
実は北方領土どころか日本全体を植民地にしようとしてて、(というのは口実で)、
ユダヤが原爆実験をするための口実でした、という話。

つまり原爆で戦争を無理やり終結させないとロシア人が攻めてくるぞ!
というわけである。

原爆はアメリカ製ではなくドイツのナチス製。
日本の味方のはずのドイツがなぜ広島、長崎に落とされた原爆を作ったの?と一瞬思ったが、
そもそもナチス自体も黒幕はユダヤなのでつじつまは合う。


第二次世界大戦で日本が参戦させられた目的は二つ。
金の百合の回収と原爆の威力実証のため。




【概要】
第2次世界大戦末期、なぜ日本にだけ、原爆が投下されたのか?しかも、なぜそれが「ナチス製」だったのか?じつは、そうでなければならない「理由」があったという。わが国に今も秘匿されている「金の百合」と称する“巨大資金”。大日本帝国が、“天皇の名”のもとにアジア各地から強奪した戦利品の集大成だ。この「金の百合」を軸に見えてくる、日本敗戦を演出した“ペテン師”たちの暗躍。これまで決して語られることのなかった、彼らの正体と戦前のタブー、そして現代に続く欺瞞を白日のもとにさらす。(「BOOK」データベースより)


06年に出版された『スパイ“ベラスコ”が見た広島原爆の正体』を改題したものらしい。






【抜粋】
●「死の証人」戦争屋ザハロフのヴィッカース社は、破竹の勢いで戦争事業を進めていた。1898年にキューバの砂糖を獲得するために、米西戦争を勃発させて自社製品(兵器)を売り捌いた。1899年には、南アフリカ共和国の金とダイヤ鉱床を確保するために、ボーア戦争を画策して社業を大躍進させた。 
 さらにヴィッカース社は1904年に、ロシア皇帝を追い払って王室財産を奪い、共産主義革命を支援するために日露戦争を仕掛けた。ロシア王朝と日本に、大量の兵器需要と戦費融資を創出させたのだ。結果、日露戦争で日露両軍の兵士は、三井、三菱ほかのヴィッカース系企業ネットワーク各社が製造した砲弾に当たって死ぬことになった。(p.163)

☆日露戦争を仕掛けたのもユダヤ人なのか。




【アクションプラン】




【Amazonレビューより】
・5つ星のうち5.0 貴重な歴史の裏側が明らかに 2013年9月28日
元ナチスのスパイであり同時に天皇のスパイ?!ともいわれたアンヘル・アルカッサル・デ・ベラスコ氏について知りたかったので購入しました。『スパイ”ベラスコ”が見た広島原爆の正体』の加筆・訂正版であるということが著者略歴欄にも記載されておりますが。私達一般人がよもや知ることができない貴重な情報で満たされています。陰謀論には必ず登場するロックフェラーやロスチャイルドですが、彼らのシナリオをフリーメイソンやイルミナティが実際に演出するスクリーンが世界の真実だということです。残念ながら各国皇室も所詮同類の傀儡にすぎず、ジョン・レノンやマイケル・ジャクソンが警告していたように世界をコントロールしているのが偽ユダヤの悪魔的極悪ペテン師集団なんですね。彼らにとって日本人など新兵器の実験被爆モルモット(広島&長崎、現在の福島)に過ぎないという侮辱的な事実も明白にされています。かつて太田龍氏が語っておられたように私達日本人にはこのような悪魔狂的思考回路?!はないので、残念ながら世界裏事情の真実部分迄なかなか到達出来ませんしまた把握もできません。が世界の真実を少しずつでも探っていくのに貴重かつ最適な本だと思います。かなり衝撃的に感じられる部分もありますが、著者がベラスコ氏から得た数々の隠された情報の中にこそ歴史の真実を発見することが出来ると思います〜高橋さんに感謝です。(Rosalindさん)




【関連ブログ紹介】
・天皇の金塊とヒロシマ原爆/高橋五郎
https://nikkidoku.exblog.jp/12249570/




【この本が愛読書の有名人】





【評価】
評価:★★★★☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
天皇の金塊に興味があるときに。






 
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2019年07月08日

洛北岩倉と精神医療―精神病患者家族的看護の伝統の形成と消失

洛北岩倉と精神医療
中村治/著 (世界思想社) 2013年
1,900円+税


【動機】
動機なんだっけ? どこかに書いておけばよかった。



【所感】
昔、数年間岩倉に住んでいたことがあるが、田舎なので治安がいいと思っていたのに、頭のおかしな人が多かったり、バイクが切り刻まれたり、盗まれたり、意外と治安が悪かったのはそういう理由だったのか。
全く知らなかった。そういえば今だに未解決の殺人事件もやたらと多いし。何でだろうとずっと思ってた。やっぱり理由があるのだな。



【概要】
精神障害者を施設等に閉じ込めず、一般民家で預かって、共に暮らしていた京都洛北・岩倉。本書は、その歴史を著者長年にわたる聞き取りと地元に残る史料により解明し、地域で精神障害者を看護していくためのヒントを得ようとする試みである。(Amazonより)






【抜粋】
●晏嬰2年(1773年)には与謝蕪村(1716-1783年)が「岩倉の狂女恋せよ子規」という句を詠んでいる。(p.15)

☆岩倉と言えば精神病というのが当時でも有名だったようだ。





【アクションプラン】
・知らなかった歴史が学べておもしろい。こういうの絶対に学校とかでは習わないからな。中村治さんの本を他にも読んでみたい。




【Amazonレビューより】





【この本が愛読書の有名人】





【評価】
評価:★★★☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
岩倉具視が幽棲していた岩倉という地に興味を持ったら。



posted by macky at 21:53 | Comment(0) | 歴史 | edit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月05日

蘇我氏の正体

蘇我氏の正体
関裕二/著 (新潮社) 2009年 (単行本は2008年)
476円+税


【動機】
藤原氏の正体』 を読んで興味を持った。



【所感】
結局この二冊を読んでわかったのは、

藤原氏が今の官僚や特権階級の祖先で、

蘇我氏は今の天皇の祖先ということ。



では、物部氏は?ということで、続いて 『物部氏の正体』 も読みたくなった。




【概要】
大化改新での「入鹿誅殺」により、悪の象徴として記憶されてきた蘇我氏。以降、歴史の表舞台から姿を消した彼らは一体何者だったのか?最新の研究成果と、著者独自の調査で明らかになる衝撃の出自。その隠蔽工作に奔走する藤原氏の裏の顔。祟り、朝鮮半島、天皇、そして浦島太郎など古代史に散らばるキーワードから、悲劇の一族の全貌を大胆な解釈で捉え直す、渾信の本格論考。(「BOOK」データベースより)


蘇我氏の正体 (新潮文庫)
関 裕二
新潮社
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【抜粋】
●付き従ってきた三輪文屋君は山背大兄王に、次のように進言した。
「どうか深草屯倉(京都市伏見区。秦氏の地盤でもある)に移られ、そこから東国に馬で逃れてください。乳部の兵を率いてもどってこられれば、勝利は間違いありません」
 だが山背大兄王は、首を縦に振らなかった。(p.23-24)

☆山背大兄王は生きのびるチャンスがあったのに、蘇我入鹿にみすみす滅亡させられたそうだ。山背大兄王を聖人とすることで蘇我入鹿を悪人とするためだという。


●蘇我入鹿が「林」とも呼ばれていたこと、その「林氏」は、「新撰姓氏録」には、百済人の末裔と記録されていることからも、蘇我氏が百済出身であった蓋然性は高くなるとする。(p.107)

☆林氏は百済人の末裔だという。

「新撰姓氏録」について調べてみると、

『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)は、平安時代初期の815年(弘仁6年)に、嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑。

[概要]
京および畿内に住む1182氏を、その出自により「皇別」・「神別」・「諸蕃」に分類してその祖先を明らかにし、氏名(うじな)の由来、分岐の様子などを記述するものであるが、主として氏族の改賜姓が正確かどうかを判別するために編まれたものである。後述するように、記載氏族が限られているとはいえ、日本古代氏族あるいは日本古代史全般の研究に欠かせない史料である。

現存する『新撰姓氏録』は、目録だけの抄記(抜き書き)であって本文は残っていないが、所々にその残滓が認められるとともに、若干の逸文が知られている。なお、本書の対象とする範囲は京(左京・右京)と五畿内に住む姓氏に限られており、また「序」にはそれすらも過半が登載されていないと記している。

なお、書名に「新撰」とつくのは、企画倒れで終わった『氏族志』のやりなおしという意味であって、『新撰姓氏録』以前に『姓氏録』なる書が存在していたわけではない。



[構成]
本書には、全部で1182氏姓が記録され、その出自により「皇別」・「神別」・「諸蕃」に3分類されている。

皇別
筆頭にあげられた「皇別」の姓氏とは、神武天皇以降、天皇家から分かれた氏族のことで、335氏が挙げられている。代表的なものは、清原、橘、源などがある。皇別氏族は、さらに、皇親(「真人」の姓(カバネ)をもつ氏族)とそれ以外の姓をもつ氏族に分かれる。

神別
「神別」の姓氏とは、神武天皇以前の神代に別れ、あるいは生じた氏族のことで、404氏が挙げられている。神別姓氏は、さらに、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨した際に付き随った神々の子孫を「天神」とし、瓊瓊杵尊から3代の間に分かれた子孫を「天孫」とし、天孫降臨以前から土着していた神々の子孫を「地祇」として3分類している。

「天神」に分類された姓氏は藤原、大中臣など246氏、「天孫」は尾張、出雲など128氏(隼人系の氏族は天孫に分類される。)、「地祇」は安曇、弓削など30氏がある。

諸蕃
「諸蕃」の姓氏とは、渡来人系の氏族で、秦、大蔵など326氏が挙げられている。諸蕃氏族は、さらに5分類され、「漢」として163氏、「百済」として104氏、「高麗」(高句麗を指す)として41氏、「新羅」として9氏、「任那」として9氏がそれぞれ挙げられる。

また、これらのどこにも属さない氏族として、117氏が挙げられている。(「Wikipedia」より)





新撰姓氏録については、次のサイトに一覧があった。

『新撰姓氏録』氏族一覧1(第一帙/皇別)
http://kitagawa.la.coocan.jp/data/shoji01.html

『新撰姓氏録』氏族一覧2(第二帙/神別)
http://kitagawa.la.coocan.jp/data/shoji02.html

『新撰姓氏録』氏族一覧3(第三帙/諸蕃・未定雑姓)
http://kitagawa.la.coocan.jp/data/shoji03.html





さらに、氏姓制度について調べてみると、

氏姓制度(しせいせいど)とは、古代日本において、中央貴族、ついで地方豪族が、国家(ヤマト王権)に対する貢献度、朝廷政治上に占める地位に応じて、朝廷より氏(ウヂ)の名と姓(カバネ)の名とを授与され、その特権的地位を世襲した制度。「氏姓の制(ウヂ・カバネのせい)」ともいい、「氏・姓」を音読して「氏姓(しせい)」ともいう。

大化の改新ののち、律令国家の形成におよぶと、戸籍制によって、氏姓はかつての部民(べみん)、つまり一般民衆にまで拡大され、すべての階層の国家身分を表示するものとなった。氏姓を有しない者は、天皇をはじめとする皇族と奴婢のみとなった。



[氏姓制度の成立]
原始共同体においては、氏族や部族が社会の単位となった。

氏姓制度の基盤は、血縁集団としての同族にあったが、それが国家の政治制度として編成し直された。その成立時期は、5〜6世紀をさかのぼらない。同族のなかの特定の者が、臣、 連、伴造、国造、百八十部(ももあまりやそのとも)、県主などの地位をあたえられ、それに応ずる氏姓を賜ったところに特色がある。各姓は以下のごとくである。

臣(おみ)
葛城氏、平群氏、巨勢氏、春日氏、蘇我氏のように、ヤマト(奈良盆地周辺)の地名を氏の名とし、かつては王家と並ぶ立場にあり、ヤマト王権においても最高の地位を占めた豪族である。

連(むらじ)
大伴氏、物部氏、中臣氏、忌部氏、土師氏のように、ヤマト王権での職務を氏の名とし、王家に従属する官人としての立場にあり、ヤマト王権の成立に重要な役割をはたした豪族である。

伴造(とものみやつこ)
連とも重なり合うが、おもにそのもとでヤマト王権の各部司を分掌した豪族である。弓削氏、矢集氏(やずめ)、服部氏、犬養氏(いぬかい)、舂米氏(つきしね)、倭文氏(しとり)などの氏や秦氏、東漢氏、西文氏(かわちのふみ)などの代表的な帰化人達に与えられた氏がある。連、造(みやつこ)、直(あたい)、公(きみ)などの姓を称した。

百八十部(ももあまりやそのとも)
さらにその下位にあり、部(べ)を直接に指揮する多くの伴(とも)をさす。首(おびと)、史(ふひと)、村主(すくり)、勝(すくり)などの姓(カバネ)を称した。

国造(くにのみやつこ)
代表的な地方豪族をさし、一面ではヤマト王権の地方官に組みこまれ、また在地の部民を率いる地方的伴造の地位にある者もあった。国造には、君(きみ)、直(あたい)の姓が多く、中には臣(おみ)を称するものもあった。

県主(あがたぬし)
これより古く、かつ小範囲の族長をさすものと思われる。いずれも地名を氏の名とする。
このように、氏姓制度とは、連―伴造―伴(百八十部)という、王のもとでヤマト王権を構成し、職務を分掌し世襲する、いわゆる「負名氏」(なおいのうじ)を主体として生まれた。そののち、臣のように、元々は王とならぶ地位にあった豪族にも及んだ。



[部民制]
氏姓は元来はヤマト王権を構成する臣・連・伴造・国造などの支配階級が称したものである(王とその一族を除く)。しかし、6世紀には一般の民にも及んだ。これらの一般の民は、朝廷すなわち、天皇、后妃(こうひ)、皇子らの宮、さらに臣、連らの豪族に領有・支配されていた。そのため、一般の民の中から、朝廷に出仕して、職務の名を負う品部(しなべ)、王名、宮号を負う名代・子代、屯倉の耕作民である田部などが必然的に生まれた。彼らは先進的な部民共同体の中で戸を単位に編成され、6世紀には籍帳に登載されて、正式に氏姓をもった。

これに対し、地方豪族の支配下にあった民部(かきべ)は、在地の族長を介して、共同体のまま部(べ)に編入し、族長をへて貢納させる形のものが多かった。そのため、地方豪族の支配下にあった一般の民にまで6世紀の段階で氏姓が及んでいたかどうかは定かではない。



[律令国家による再編]
大化の改新により、氏姓制度による臣・連・伴造・国造を律令国家の官僚に再編し、部民を公民として、一律に国家のもとに帰属させた。

(中略)

八色の姓
684年(天武天皇13年)に、「八色の姓」が制定された。その目的は、上位の4姓、つまり真人、朝臣、宿禰、忌寸を定めることである。真人は、継体天皇より数えて5世以内の世代の氏に与えられたといわれ、皇子・諸王につぐ皇親氏族を特定したので、飛鳥浄御原令で官位を皇子・諸王と貴族(諸臣)とで区別したことと共通する。したがって、貴族の姓としては、朝臣、宿禰、忌寸の3つである。以上が「甲子の宣」の大氏、小氏、伴造氏の発展形であり、その間にさらに氏族の再編が進められ、朝臣52氏、宿禰50氏、忌寸11氏に収められた。




●伽耶から渡来したと思われる東漢氏などは、蘇我氏の飛鳥の拠点・甘樫丘を警護し、また乙巳の変で入鹿が殺されたのちも、唯一蘇我宗本家を守り抜こうとしたことで名高い。このような渡来系豪族の固い絆も、蘇我氏の出自を暗示しているのかもしれない。(p.108)

☆東漢氏は伽耶から渡来。伽耶(任那)、百済、新羅、高麗など明確に出自が分かれているのもおもしろい。



●弥生時代の日本列島で、もっとも栄えた地は北部九州だった。朝鮮半島に近いという地の利を得て、他を圧倒していたのである。
(中略)
ところが、筑紫平野の南方には激しくヤマトに対抗しようとする勢力が残された。それが、邪馬台国の卑弥呼を盟主とする国々にほかならない。
 北部九州の軍事と流通の要衝となる高良山(福岡県久留米市御井)から女山(福岡県みやま市瀬高町大草字女山)にかけての一帯を城塞化し、「親魏倭王」の称号を獲得してヤマトに対峙した卑弥呼であったが、「出雲(+ヤマト)」のトヨが長駆遠征し、これを滅ぼしたと考えられる。(p.181-182)

☆おお、邪馬台国はそんなところにあったのか。

ちなみに、女山のあたりは、みやま市と合併する前は山門郡(やまとぐん)という地名だったそうだ。



●「魏志倭人伝」には、次のようにある。すなわち、卑弥呼の死後、いったん男王が立ったが、国中服さず、戦乱が勃発した。そこで卑弥呼の宗女台与が担ぎ上げられ、混乱を収拾したとある。すなわち、仲哀天皇は卑弥呼亡き後倭国の王に君臨した「男王」であった。ところがみな不平不満を言いだし、混乱したので、台与=神功皇后が政権を掌握した、ということになる。これなら、 『日本書紀』 の記述と、ほぼ矛盾がなくなる。そして、仲哀天皇は神功皇后らに殺された、ということになるのだろう。(p.187)

☆なるほど、台与=神功皇后だったのか。



●この韓国岳から東南に数キロの位置に、天孫降臨神話で名高い標高1574メートルの高千穂峰がある。(p.205)

☆高千穂は2か所ある!
(九州南部の霧島連峰の一山である高千穂峰(宮崎県と鹿児島県の県境)と、宮崎県高千穂町。ちなみに高千穂町は高千穂峡で有名なところだ)



●意外にも鹿児島県には、新羅系の渡来人が大挙して移住していた歴史がある。奈良時代に隼人の反乱があって、その前後、新羅系の渡来人が。懐柔するため大量に入植させられていったのである。(p.206)

☆鹿児島県に新羅系の渡来人が大量に入植させられていたとは知らなかった。



●宇佐神宮の祭神は、誉田別尊(応神天皇)、比売大神、大帯姫命(神功皇后)とされている。(p.208)

☆たしかに、仲哀天皇が祀られていないのは不思議だ。



●宇佐神宮には、「辛国」について、二つの伝承が残されている。 (中略) ひとつの神社の伝承に二通りの答えがあるのは、宇佐神宮の祠官に二つの家があるからで、両家の熾烈な勢力争いの歴史が隠されているからだ。(p.211)

☆何があったんだろう?

ちなみに、二つの伝承とは、「辛国」は宇佐神宮の近くにあったという説と、「辛国」=鹿児島にある「韓国岳」とする説。
そしてもう一つ、「辛国」=「韓国」とする説もあり、合計3つの解釈があるようだ。



●幼い応神を守り南部九州に逃れたのは、武内宿禰であり、これが神話となって、サルタヒコが生まれた、ということにほかならないのである。
(中略)
サルタヒコは天日槍であり、男性の太陽神である。これに対し「トヨ」は、伊勢神宮の外宮に祀られる「豊受大神」そのものであろう。(p.226-237)

☆新羅王子・天日槍(=サルタヒコ=武内宿禰=蘇我氏の祖先)とトヨ(台与=神功皇后)との間に生まれたのが応神天皇。
応神天皇を祀るのが宇佐神宮で、トヨを祀るのが伊勢神宮。
トヨと応神天皇(=神武天皇)がサルタヒコの道案内で南九州へ逃避行。そして高千穂に現れて天孫降臨の伝説となった。



●出雲勢力が中心となってトヨを北部九州に遣わし、邪馬台国の女王を殺したのである。(p.243)

☆卑弥呼を殺して英雄となったトヨは、今度は逆にヤマトに裏切られ、南九州へ逃げることとなる。この逃避行こそが「出雲の国譲り」、そして「天孫降臨」だという。
となると、邪馬台国の卑弥呼を殺させて、さらにその後、邪馬台国の女王となったトヨまで追いやったヤマトの主は誰なのか?ということだ。
そのあたりについては、本書では触れられていない。ヤマトの意志、ヤマトの思惑ということで通している。



●蘇我氏が頭角を現したのは、六世紀初頭の継体天皇の出現ののちのことだ。継体天皇は越(北陸地方)からやってきた大王であり、その越と強くつながる阿倍氏が、やはり六世紀に忽然と中央政権に登場した事実を、軽視することはできない。継体天皇は、史上初めて「東」からやってきた大王であり、ほぼ同時に蘇我氏が頭角を現したのは、偶然ではあるまい。
(中略)
蘇我氏を打倒した八世紀の藤原政権は、なぜか「東」を極端に恐れた。都周辺で不穏な空気が流れると、必ず東国に通じる三つの関を固く閉じた(三関固守)。天皇家の故地・越に抜ける道も閉ざしてしまうほどの、異常な行動である。(p.275-276 文庫版あとがきより)

☆Wikipediaによると、三関(さんげん、さんかん)とは、古代の日本で畿内周辺に設けられた関所の内、特に重視された三つの関の総称。三国之関とも呼ばれた。当初は不破関(美濃国、現在の岐阜県不破郡関ケ原町)、鈴鹿関(伊勢国、現在の三重県亀山市か)、愛発関(越前国、現在の福井県敦賀市内か)の三つを指したが、9世紀初頭に逢坂関(相坂関。近江国、現在の滋賀県大津市付近か)が愛発関に代わった。また、三関のある律令国は三関国と呼ばれた、とある。

ちなみに天皇家の故地・越としているが、越前(福井)なので、東というにはちょっとイメージが違う気がする。



●「ヒスイ」は、日本海側の越の国(新潟県糸魚川市周辺)で取れるものだが、出雲と越は弥生時代後期、四隅突出型墳丘墓という共通の文化で結ばれていた。(p.162)

☆「ヒスイ」の越は越後のようだ。ちなみに蘇我氏は「ヒスイ」にこだわった氏族として知られているようだ。





【アクションプラン】
・続いて 『物部氏の正体』 も読みたい。




【Amazonレビューより】





【この本が愛読書の有名人】





【評価】
評価:★★★★☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
古代史に興味がある人に。

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2018年02月10日

藤原氏の正体

藤原氏の正体
関裕二/著 (新潮社) 2008年 (単行本は2002年)
552円+税


【動機】
インターネットで歴史について検索していると、
ちょくちょくこの本が引用されるのでずいぶん前から気になっていたので読んでみた。



【所感】
中臣鎌足は百済王豊璋だったというのは結構知られているが、そのもととなったと思われる本。

百済王は日本をどのように乗っ取ったのか。

そして、今現在も生き続けている藤原の血筋や官僚システム。

支配者層と被支配者層。

天皇のタブーは、実は天皇を利用した藤原氏のタブーだったという論が斬新。



【概要】
大化改新の英雄・鎌足以降、常に日本の中枢に居座り続けた藤原氏。しかし、その出自は謎に包まれ、未だ古代史の闇として秘され続けている。正史に輝く華々しい業績を持つ一方で、一族繁栄のためには政敵を葬ることも厭わないという負の横顔を持つ彼らは一体何者だったのか? 著者独自の研究から、ついに明らかになったその素顔――。富と権力に驕れる一族の正体を暴く渾身の論考。(Amazonより)


藤原氏の正体 (新潮文庫)
関 裕二
新潮社
売り上げランキング: 7,342




【抜粋】
●歴史上、出雲とかかわる重要人物といえば、出雲国造家と、その流れを汲む野見宿禰(土師氏)、土師氏の末裔の菅原道真が知られるぐらいであろうか。(p.130)

☆こういうことってあまり日本史の教科書とかでは出てこないのでためになる。
菅原道真が出雲にゆかりがあるとは知らなかった。

ところで、野見宿禰(のみのすくね)ってどこかで聞いた名前だと思ったらやっぱりそうだ。力士の先祖だ。
天覧相撲で當麻蹶速(たいまのけはや)に勝ったと日本書紀に書かれている。



●平城京を軍事的に押さえ込む要の土地は東の丘陵地帯なのだが、その一帯を支配していたのは藤原氏だった。もちろんこれも、藤原不比等の深謀遠慮の賜物である。聖武天皇が平城京に対峙するように恭仁京に陣取り、また、難波に遷都を目論み、さらにこの後藤原の占拠する丘陵地帯をおさえるかのように東大寺建立を企てたのは、すべて平城京を藤原氏から取り戻したいという一心からであろう。だからこそ、仲麻呂はこれを阻止しようと動いたのである。 (中略) 要するに聖武天皇は、いかに藤原氏から権力を奪い返すかに腐心したのである。(p.241)

☆この時代、遷都を繰り返した理由がここにある。そういえば、小中高で日本史を勉強するが、なぜそれをやったのかというのをあまり深く追求せずに淡々と事実だけを並べるから歴史は暗記ものでつまらないイメージになってしまうのだ。こうやって理由を交えて説明すればわかりやすいのに。でも先生がそれを説明するだけの知識を持ち合わせていない可能性もある。こういうのは塾でもやらない。なぜなら入試に出ないからである。では、どこでこういうことを勉強するのか。インターネットかもしれない。インターネットの普及によって、今や向上心の高い子供は先生をはるかにしのぐ知識を持つようになってるかもしれない。



●律令制度の根本は、全国の土地をいったん国家の所有とし、さらに戸籍に記された人々に、公平に農地を分配することであった(班田収授法)。しかし、律令の精神は、早い段階で崩壊し、土地を手放し逃亡する農民があとを絶たなかった。当然のことながら、国家財政は逼迫する。そこで養老7年(723)に三世一身法、天平15年(743)には墾田永年私財法が発布される。(p.287)

☆小中高で勉強した律令制度が共産主義の考え方とは気づかなかった。
三世一身法は三代まで土地の所有を認めるということだが、収公直前になると、農民がその田を耕さなくなってしまい、せっかく開墾した田が荒廃してしまった。そこで墾田永年私財法が発布された。ここでちょっと不思議なのは、三世一身法から墾田永年私財法までわずか20年しかないということだ。15歳で結婚したとしても3代またぐには30年かかる。



●班田収授法の原則はこうして崩れ去り、「荘園」という私有地が誕生するきっかけがここに生まれるのだが、何よりも興味深いのは、三世一身法にしろ墾田永年私財法(管理人注:原文は「班田収授法」となっているがおそらく間違い)にしろ、土地の私有化を認める法案が、藤原氏の衰弱した時期に決められた、ということ、さらに、藤原氏はむしろ土地の私有化を抑制する立場にあった、ということなのである。(p.289)

☆墾田永年私財法が「荘園」の誕生するきっかけになるとはおもしろい。
ちなみに、藤原不比等が没して長屋王が出現すると三世一身法ができ、藤原四兄弟が全滅し左大臣橘諸兄が政権を握ると墾田永年私財法ができた。こういう対立軸で見るとおもしろい。共産主義的発想の公地公民制度が行き詰まり、労働意欲が減退すると、范藤原政権は、土地の私有化によって活性化の道を模索した。藤原氏は北朝鮮の金正恩のようだ。共産主義で平等と言いながら実は自分だけが私腹を肥やす独裁政権。



●貴族社会が衰弱した中世、藤原氏の末裔は、新たな支配者に忍び寄っていく。室町幕府の足利将軍家には、藤原北家の末裔の日野氏が女人を送り込み、姻戚関係を結んでいく。
 第三代将軍足利義満以来九代の将軍まで、室を入れ、応仁の乱で名高い日野富子は第八代将軍足利義政の室であった。
 江戸時代には、徳川将軍家とも姻戚を結んだ。三代将軍家光の夫人は鷹司信房の娘・中の丸であり、こののちも、将軍家と藤原氏の縁組は続いた。(p.308)

☆日野氏も藤原北家の末裔だったのか。




【アクションプラン】
・北家と式家の対立も現在まで続いているような気がするが、そのことについては触れられてなかった。あくまでこの本は、藤原対反藤原という構図だ。もうちょっと調べてみよう。





【Amazonレビューより】
・悪辣の極み 2014年10月20日
まともな奴がいないとか言ってる人がいるが、南朝の功臣の万里小路藤房(青森の高楯城主であった朝日氏の祖先であるという)、四条隆資・隆俊親子の他、戦国時代に主家・大内氏の為に奮戦した後に自害して果てた冷泉隆豊なんかは名門公家である冷泉家の血を引いている。
また、有名所で言うなら伊達氏や上杉氏も藤原氏と謂われる。他に四国ならば土佐一条氏、西園寺氏がある。
維新の功臣である三条実美は言わずもがな、岩倉具視(岩倉家は村上源氏だが、岩倉具視は藤原系公家 高倉家よりの養子)も藤原系だろうに。
名誉毀損も甚だしい。(Amazon カスタマーさん)

☆まともな奴がいないとは言ってないと思うけど。それにしてもこの方は詳しいなぁ。


・「藤原氏」の謎を解き明かす 2011年1月22日
 名著『日本人とユダヤ人』において、イザヤ・ペンダサン(山本七平氏)は「権威(天皇)」と「権力(将軍)」の分立を「すばらしい制度」と称えた。しかし、考えてみれば、「権威」と「権力」の双方を独り占めしたくなるのが人情というものであろう。私も、日本史を習う中で、「大和朝廷」成立以降、“皇統の危機”は幾たびかあったものの、「権力」による“皇位そのものの簒奪”という事態が表向き起きなかったことに些か疑問を抱いてきた。だが、この『藤原氏の正体』を読んでみて、古来から行われていた「権威」と「権力」の分立を、日本の原型的な政治(統治)制度として、最終的に確立したのが藤原氏なのかな、との思いに至った。

 この藤原氏抬頭の礎となるのが、中大兄皇子(天智天皇)と共に「大化改新」でお馴染みの中臣鎌足だ。鎌足らは645年、蘇我入鹿を討ち果たし、「王政復古」を成し遂げた(乙巳の変)、と教科書的には語られている。ここで、著者の関裕二氏は「『日本書紀』のいうような蘇我氏の専横、これに対する中大兄皇子、中臣鎌足の正義の戦いこそが乙巳の変(大化改新)であったという常識を、まず疑ってかかる必要がある」(本書)と述べている。ところで、そもそも、中大兄皇子に協力した中臣鎌足とは何者なのであろうか…。実を言うと私も、突然日本史に登場してきたこの人物は一体何者なのか、という疑問も長らく懐抱していた。

 私の疑問とする中臣鎌足に象徴されるように、「藤原氏最大の謎は、日本でもっとも高貴な一族でありながら、いまだに出自がはっきりしていない」(同)という点を、哲学者・梅原猛氏の所説なども紹介しつつ、著者独自の解釈を開陳する。特に、入鹿暗殺に係る『日本書紀』の以下の記述に著者は注目する―韓人(カラヒト)、鞍作臣(クラツクリノオミ)を殺(コロ)しつ。さらに、その分注の「韓政(カラヒトノマツリゴト)に因(ヨ)りて誅(ツミ)せらるるを謂(イ)ふ」にも着目する。そして、著者は鎌足に関する大胆な推論を展開するのだが、この著者の推断に従えば、皇位そのものは簒奪せず、「天皇の外戚」に留まってきた藤原氏の「謎」の一端も解ける。(仮面ライターさん)


・日本にかけられた恐るべき呪い 2008年12月3日
日本史に名を残す藤原氏の謎を追及した本。
里中満知子さんの「天上の虹」シリーズや古代政争史に興味のある方にはピンとくるだろう。

氏素性もわからない一族が大化の改新後、天皇家に取り入り
政権の実権を握っていく課程が描かれていく。
その手法はあまりにも恐ろしくて図々しく、且つ巧妙である。
しかもこの藤原氏の呪いたるや現在の日本まで続いていると著者は語る。
現代政治に巣食うガンである官僚制度の元締を作り上げたのも藤原氏なのだから。
旧華族(公家)が全員藤原の一族であるという著者の指摘は自分の脳天を打ちぬいた。
昭和天皇に対する近衛(この人も藤原氏)首相の非礼のエピソード、
現皇后陛下の存在意義も絡めてこの本は藤原氏が日本にかけた呪いを描き出している。(三輪そーめんさん)




【この本が愛読書の有名人】





【評価】
評価:★★★★☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
著者の論理に賛成するか反対するかはともかく、日本史を語る上で一度は読んでおきたい本。

歴史に興味を持ちはじめた中高生に。あるいは、歴史に興味が持てない中高生に。または、歴史が大好きな中高年に。

 
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2017年10月02日

アメリカ50州を読む地図

アメリカ50州を読む地図
浅井信雄/著 (新潮社) 2000年
476円+税


【動機】
アメリカに詳しくなりたい!


【所感】
寝る前に少しずつ読んでいって約11か月かかって読み終えた。
(実際は2か月前にほぼ読み終えていたが、ブログの記事を書くため、あと5ページくらいのところで止めていた)



【概要】
LAやNYだけを見てアメリカを語るなかれ。法律、人種構成、産業等々、50州で50通りのバラエティを持つ大国の素顔を、地図とコラムを交えて語り尽す。(「BOOK」データベースより)


アメリカ50州を読む地図 (新潮文庫)
浅井 信雄
新潮社
売り上げランキング: 124,587




【抜粋】
●人口は1970年の国勢調査でニューヨーク州を抜いて全米一位になっていらいそのリードを広げる一方であり、最多人口州の地位を維持している。(p.39)

☆カリフォルニア州が人口一位の州らしい。



●1953年にプレイボーイ誌を創刊したのは、シカゴ生まれのヒュー・ヘフナーで、都会の男性オタク族を相手にヌード写真で売りまくり、一時は700万部をこえた。テレビの視聴率調査で日本にも導入されているニールセン方式は、シカゴのA・C・ニールセン社が開発したものだ。(p.91)

☆5日前の9/27にヒュー・ヘフナーは91歳で亡くなられた。ご冥福をお祈りいたします。





【アクションプラン】




【Amazonレビューより】
・アメリカ旅行や生活の際に持っておくと便利な一冊 2004年7月30日
アメリカ50州それぞれについて、地理、人口、経済、政治的傾向、日本との関係などをまとめている本。特定の州だけでなく、全ての州の説明にほぼ同程度の説明がついているので、場所もよく知らないようなマイナーな州についても知識を得られます。手軽な薄さにまとまっている割には情報量が多くて、あちこちに散りばめられている小話も楽しく読んだ。アメリカ旅行や生活の際に持っておくと便利な一冊。(鈴木純一さん)





【この本が愛読書の有名人】





【評価】
評価:★★★★☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
アメリカに詳しくなりたいときに。

 
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2017年07月05日

マンガでわかる地政学

マンガでわかる地政学 (池田書店のマンガでわかるシリーズ)
茂木誠/監修 (池田書店) 2016年
1,350円+税


【動機】
以前は地政学といえばタブー視されていたのに、最近はやたらと地政学的リスクの話が取りざたされている。

ついにはマンガにまでなったので読んでみよう。



【所感】
世界の見方が変わる。





【概要】
★本書の最大の売り
人気講師、茂木先生が監修する世界地図付き!
本から切り離して、大きく広げられるので、世界の関係性がよくわかる!

★本書の紹介
【マンガで解説! 地図が満載! いちばんやさしい地政学の本! 】

「自国第一主義を強めるアメリカ」「EUを離脱するイギリス」
「南シナ海へ進出する中国」「ますます混迷を極める中東」

“なぜだろう?"
その疑問を解決するのが、地政学です。

地政学は、地形によって、国と国の関係がどう変わるのかを考える学問。
国の周りに海があるのか、山があるのか、隣の国はどんな国か、
地理的条件からその国の利益と繁栄を考えます。
地政学を知れば、国の行動基準や、争いの理由がわかるのです。
そして、アメリカやイギリスなどを筆頭に、
急激に“内向き化"する世界を読み解くには必須の知識だと言えます。

○人気世界史講師による、超ビジュアル国際情勢入門!
○世界各国を中心にした地図を収録。その国になりきるのが国際情勢を知る近道!
○切り離して使える「付録 今がわかる世界地図」収録!
○アメリカ大統領選挙、イギリスのEU離脱、フィリピンの強硬外交、ISとシリア…
世界の“今"は地政学で読み解ける! (Amazonより)






【抜粋】
●アルフレッド・マハン
アメリカ海軍の軍人であり、軍事史の専門家で海軍大学校の教官だった人よ。
彼こそが「シーパワー」という言葉を考案した地政学では有名な人なの。(p.20)

☆アルフレッド・マハン。知らなかった。
パナマ運河、ハワイ、グアム、フィリピンと拠点を築いていき、海上ルートを確保した。
太平洋戦争でアメリカが日本に勝った勝因と言ってもいいほどの人物ではないか。
そんな人物のことを今まで知らなかったのが恥ずかしい。



●ここで地理的な問題が発生します。南北を貫く世界有数の大山脈・ロッキー山脈が、アメリカ陸軍の西部への移動を妨げたのです。そこで陸路に代わる東海岸からカリフォルニアまでの海路の開拓が急務となったのです。(p.27)

☆そういえば、黒船は、捕鯨の拠点を作るために日本に開国を迫ったということだったが、まさかアフリカの喜望峰からマラッカ海峡を回ってきて帰りに寄るためのものだとは知らなかった。ワシントンからカリフォルニアに行くのに日本を通るという発想がないと本質はわからない。メルカトル図法の世界地図ばかり見ていてはダメだ。




●19世紀末にドイツを統一し、「第二帝国」を樹立した宰相ビスマルクは、ロシアとイギリスを敵に回すのを避け、フランスとだけ対立する姿勢を示します。しかし、彼を退陣に追い込んだ皇帝ヴィルヘルム二世は、積極的な海外膨張政策を展開し、ロシアの「裏庭」というべきバルカン半島にも触手を伸ばしたのです。さらに海軍増強政策でイギリスを刺激し、フランスのみならず、イギリス、ロシアをも敵に回すことになります。(p.60)

☆結局、第一次世界大戦でドイツが敗れた原因はヴィルヘルム二世の戦略ミスにありそうだ。



●このような過酷な環境で生き延びるため、常に近隣の大国の顔色をうかがい、最強の隣国を選んで積極的に従属し、その国が衰えてきたらさっさと別の大国に乗り換えるという「コウモリ外交」を続けてきたのが半島国家です。アメリカの衰退の兆しが現れ始め、韓国の朴槿恵政権が猛然と中国にすり寄っていったのは、彼らの本能です。(p.94)

☆朝鮮半島は極めて不利な地政学的条件の下にあるので、その時々に強国に従属することで国家を保ってきた。

今現在、反日が多いのは、日本が弱っている証拠だといえよう。

日本は朝鮮とどう付き合うかではなく、自国の国力を高めることだけを考えればよい。

中国が強くなっているので、韓国ではアメリが離れが加速し中国と蜜月状態となっている。

中国に近づきすぎて失脚した朴槿恵元大統領はまるで田中角栄のようだ。



●モンゴル系遊牧民の残党は騎兵集団「コサック」に加わり、モスクワ大公国(後にロシア帝国)の領土を世界最大の帝国に拡張する上で、大きな役割を果たしました。(p.113)

☆コサックといえば、ロシアというイメージだったが、実質はモンゴルだったのか。

ロシアには3つのルーツがあり、一つはノルマン人によって建国されたノブゴロド国。第二に、スラブ文化を開花させたキエフ公国。第三にピザンツ帝国を受け継いだモスクワ大公国。第三の顔でウラル山脈以東にまで拡張した。



●日本海軍の基礎を作ったのは薩摩藩(鹿児島県)
江戸時代から琉球王国(沖縄県)を支配下において
東シナ海の交易を握っていたの。
例外的にシーパワーだったわけ。(p.184)

☆日本海軍の基礎を作ったのは薩摩藩だったのか。



●薩摩藩は、島津家の琉球制服以来、海洋国家としての道を歩み、帝国海軍の母体となります。かたや朝鮮半島に近く、大陸の動向に敏感な長州藩は、帝国陸軍の母体となります。結局、陸海軍を統合する大本営の中でも対立が続き、シーパワー国家・アメリカやイギリスを仮想敵国として海上覇権を握りたがる海軍と、ランドパワー国家・ソ連を仮想敵国とする陸軍は常に対立、予算を奪い合うことになったのです。(p.195)

☆シーパワーとランドパワーに分けて考えるとわかりやすい。



●現代地政学の祖・マッキンダーや近代海軍の父・マハンなどによって地政学理論が体系化されたのは、19世紀末から20世紀初頭のことです。 (中略) 彼らの地政学的思想に影響を受けた人物がいます。 (中略)
 まずは旧日本海軍の軍人・秋山真之です。司馬遼太郎の小説 『坂の上の雲』 の主人公のひとりで伊予松山潘出身の彼は、日清戦争に従軍した後、1897年に米国留学を命じられ、マハンに直接師事しています。(p.196)

☆日本にも地政学のスペシャリストがいたようだ。
坂の上の雲』 を読んでみたい。



●近年、地政学という言葉自体に違和感を持つ人は多いかもしれません。それは、ドイツ地政学を取り入れた日本の地政学が、第二次世界大戦における大東亜共栄圏の正当性の根拠として用いられただけでなく、日本の膨張政策を推進したとしてGHQにより禁止され、日本の学会においてもネガティブな学問としてタブー視されていたためです。(p.200)

☆やはり、GHQに禁止されていたのか。
アメリカの保護下にあったから、今まで地政学は不要だったが、
アメリカが衰退してきたので、自国のことは自国でを守る必要があり、再び地政学が見直されているのだろう。



【アクションプラン】
・『坂の上の雲』 を読んでみたい。

・ダイソーの地図で確認してみよう。
アメリカ、イギリス、ドイツ、中国、韓国、北朝鮮、ロシア、フランス、ポーランド、トルコ、イスラエル、イラン、サウジアラビア、インド、ベトナム、フィリピン、ブラジル、日本。




【Amazonレビューより】
・地図付きの解説が分かりやすく素晴らしい 2017/4/30
大きくシーパワーとランドパワーの二つに分けて解説が進み、大変わかりやすい。
薩長、帝国海軍と陸軍の対立などもこの二つに分けて解説していたのが秀逸だった。
シーレーンやチョークポイントなど、日本の資源確保のために大事なキーワードも出てきて、それに関連づけて安倍政権が自主防衛を目指すために打った布石の一つとしてジブチ基地のことにも触れている。
地図の解説がたくさん出てくるが、どれも分かりやすい。(鯱さん)





【評価】
評価:★★★★☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
地政学の入門書として是非。




【結論】
地政学を勉強すれば、世界史の見方が変わる。

重要な地を押さえるために各国がそれぞれの思惑で戦争してきたということがわかる。

 
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2017年06月16日

秘密結社の手帖

秘密結社の手帖 (1984年) (河出文庫)
澁澤龍彦/著 (河出書房新社) 1984年
563円+税


【動機】
タイトルを見て興味を持った。



【所感】
秘密結社の基本がよくわかった。

夜寝る前に、8か月くらいかけて少しずつ読んだ。



【概要】
世界各国の秘密結社を一通り網羅している。


秘密結社の手帖 (1984年) (河出文庫)
澁澤 龍彦
河出書房新社
売り上げランキング: 440,412





【抜粋】
●ナポリの下層社会の泥棒や乞食から成る「カモラ」という秘密結社では、新入社員は、まず組織から命ぜられた殺人(多くの場合、裏切り者の成敗である)を犯さなければならない。あるいはまた、籤引で当たった者同士が短刀で果し合いを演じなければならない。相手の腕をねらい、どちらかが傷ついて血を見なければ、果し合いは中止されない。こういう危険な試練をくぐり抜けて、初めて一人前の結社員として組織に迎え入れられるのである。(p.14)

☆カモラはここでまとめられていた。

世界のマフィア一覧の概要
https://ichiranya.com/politics_economy/035-mafia.php

ゴミ回収処理業を牛耳っていたらしい。


ウィキペディアによると、
2009年10月・11月、「最重要指名手配犯」のサルヴァトーレとパスクァーレのルッソ兄弟が逮捕された。二人は、カモッラの中で中心的役割を果たしているとされるルッソ一家の中心人物。

2011年12月7日、2000年から国際指名手配されていた「最重要指名手配犯」の一人のミケレ・ザガリアが、16年の逃亡の末ナポリ郊外で逮捕された。彼はカモッラの一派のボスで、本人不在のまま多数の終身刑の判決が下されていた。



●フリーメーソンにしても、それがフランス革命の際に果たした政治的役割は無視し得まい。「自由・平等・博愛」というフランス革命の旗印は、もともとフリーメーソンの標語であった。(p.20)

☆フランス革命ってフリーメーソンが起こしたのか。



●ひとたびキリスト教の勝利が確立すると、すべての密儀礼拝は禁じられねばならなかった。395年に、テオドシウス帝は、全ヨーロッパの密儀を禁ずる布告を出した。それでも異教の礼拝は、さまざまな形のもとに、その後も長く、ひそかに生きのびたのである。すでに述べた通り、ヨーロッパ中世の妖術は、こうした異教の礼拝の名残と見ることができる。(p.67)

☆世界史の教科書を繙くと、 <313年、コンスタンティヌス帝は、従来の迫害政策を一転させてキリスト教を公認し、ついで正当の教義を定めた。392年、キリスト教はローマ帝国の国教となり、他の宗教は禁止された。>

313年にミラノ勅令でキリスト教を公認。
392年にキリスト教を国教とし、ほかの宗教は禁止された。

これ以降、キリスト教以外は異教として地下に潜ることになる。



●ミトラ神の誕生日は、12月25日ときめられていた。この日は冬至であり、1年のこの転機から、日が次第にのびて太陽の力が強まってくるところから、「太陽神の誕生日」と認められたわけである。キリスト教が、キリストの誕生日を12月25日に選んだのは、たぶん、この太陽神崇拝からの模倣であったにちがいない。あるいはまた、太陽神に対抗する意図があったのかもしれない。聖書には、キリストの誕生日については何も書かれていないのである。かくて、クリスマスの異教起源説は、疑い得ないことのように思われる。(p.80)

☆冬至はもっとも昼が短い日。つまりこの日から太陽の力が強まっていくと考えられる。その日をキリストの誕生日に選んだというのがおもしろい。



●ローゼンクロイツとは、ドイツ語で「薔薇十字」の意味だから、団体の名称は、この創立者の名前に由来しているわけである。けれども、こんな名前の貴族が現実にいたかどうか疑わしいので、むしろ問題は、薔薇十字の象徴が何を意味するかを知ることでなければなるまい。(p.123)

☆東方の秘伝的知識(薔薇)とキリスト教(十字架)との、二つの相異なる要素の結合。コンパスや直角定規、ペンタグランマ(五芒星形)はやがて薔薇十字団からフリーメーソンへと受け継がれることになった。



●なぜ彼らがメーソンに加入したかといえば、避難所を求めたのである。イギリス国教に対して都合のわるい立場にあった当時の薔薇十字団員としては、国王の保護を受けていた建築家の組合に自分を登録しておいて、そこで自分たちの思想をひそかに普及させるのが、もっとも安全なやり方だと思われたのである。彼らはフリーメーソンを表看板として、組合の集会堂で自由に会合するようになった。
 それまでは単なる建築師や石工の同業組合に過ぎなかったメーソンが、にわかに、象徴や暗喩にみちみちた、複雑な儀式をもつ入社団体に変わってしまった。(p.129)

☆これがフリーメーソンの実態であろう。中身は薔薇十字団。薔薇十字団の思想の起源は、古代オリエントに発するグノーシス主義や、錬金術の伝統の中にある。キリスト教異端の神秘主義や、回教の影響なども考えられるが、直接の源流は偉大な放浪の医者パラケルススだといわれる。ハプスブルク家の皇帝ルドルフ二世は無類の神秘愛好家で、周囲に錬金道士や占星術師が群がり集まったそうだ。ドイツの薔薇十字団の首領ミハエル・マイエルは、この皇帝の侍医であり、政治上の顧問でもあったという。



●ファシズムから共産主義まで、さまざまな政治体制がフリーメーソンを弾圧している。しかし、最も執念ぶかいメーソンの敵は、おそらく、カトリック教会であろう。(p.150)

☆フリーメイソンとカトリック教会の対立構造。



●サラエヴォの暗殺は、世間でいわれているように、狂信者の盲目的な行動などでは決してなく、導火線に火をつけるべく、細心に計算された行動だったのである。(p.196)

☆第一次世界大戦は、ボスニア・ヘルツェゴビナをめぐるオーストリア=ハンガリー帝国(ハプスブルク帝国)とセルビアの戦いがきっかけ。オーストリアを倒すためにセルビアのアピス大佐が仕掛けた戦争である。セルビアの黒手組だけでは勝てないのでロシアを味方につけた。一人の青年がオーストリア皇太子を殺したのがきっかけで世界大戦に発展したのではなく、戦争を引き起こすために綿密に計算された事件だったそうだ。650年間君臨したハプスブルク帝国は1918年に崩壊した。

“ハプスブルク帝国を崩壊させるのはご自由ですが、これは多民族を統治するモデル国家であり、一度こわしたら二度ともとに戻ることはないでしょう。後には混乱が残るだけです。そのことをお忘れなく。”
− 19世紀初頭、ウィーンを占領したナポレオンにフランス外相シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールが送った手紙



●皮肉にも戦争が終ると、セルビアを中心としたユーゴスラヴィア王国が実現することとなった。
 ところが、今度はユーゴスラヴィアの支配を喜ばない連中が現れた。セルビアぎらいのクロアチアの民族主義者たちである。なかでも狂熱的な民族運動の指導者アンテ・パヴェリチは、クロアチア国家の独立を熱望し、この目的のために、1930年ごろ、民族主義的革命秘密団体「ウスタシ」党を創設した。あらゆる種類のテロルと陰謀を組織的に利用する点において、この団体は「黒手組」以上の悪辣さであった。(p.199)

☆大戦中、アピス大佐は大セルビア主義の夢を目指し、セルビア国王と皇太子の暗殺を企て、現政権を倒し、みずから軍事独裁政権を樹立しようとしたが、陰謀が発覚して逮捕され、銃殺された。その後、ユーゴスラヴィア王国ができて、大セルビア主義は実現した。



●従来の文化やモラルを逆転させた、人類の新しい時代の到来を象徴するために、ハウスホッファーは、古いインド教の象徴物である逆卍形を、このグループのために採用していた。これがのちにナチスの徴章となった鍵十字である。(p.218)

☆ナチスの鍵十字はもともとはインドの逆卍なのか。

ヒトラーは、魔術師ヤン・ハヌッセン率いる「ツーレ・グループ」という神秘学の結社に属していたようだ。そこではアーリア人種にふさわしい入社式や、特有の生活様式が要求されていたといわれる。ハヌッセンは相手に暗示をかけたり、集団的な催眠現象を引き起こしうる技術を教えていたという。ちなみにハウスホッファーはハヌッセンの前の指導者である。



●ナポリのカモラ
「マフィア」については、わが国でも比較的資料が出揃っているようであるから、ここでは、相似たナポリの秘密結社「カモラ」について、簡単に述べよう。この結社は、1820年ごろ、ナポリの下層社会に組織されたが、本来はスペインの移民によって同地にもたらされたものであった。「カモラ」という言葉もイタリア語ではなく、スペインのカスティリヤ語で、「喧嘩」とか「暴力的な争い」とかを表す言葉である。
 同じ「カモラ」の団員にも、泥棒や乞食から成る「下級カモラ」と、恐喝や強請(ゆすり)を事とする「高級カモラ」(一名「手袋をはめたカモラ」)の二種類があった。「マフィア」と同じく、厳格な法規、階級制度、入社式があって、ナポリ王国の牢獄のなかにも支部をもち、組織の最高指導者は、奇妙にも「神聖なママ」という名で呼ばれていた。政府との関係は微妙で、1860年には、その筋と協力してガリバルディ一派の革命運動弾圧の一翼を担い、公認の警察として活動したことさえあった。(p.232)

☆カモラ、どこかで出てきたと思ったら同じ本だった。



●のちに彼は京都を放逐されて、武蔵の国立川に住み、自分の流派の普及に努めたので、他人は彼を立川の文観上人と呼び、彼の流派を立川の邪流と呼んだ。(p.292)

☆立川は昭和公園があるところ。



●紅幇は青幇よりも質が悪く、土匪のあいだに結成されている秘密結社である。強盗、暗殺請負、人身売買、詐欺、誘拐、密輸入など、あらゆる悪事を行うとともに、かつて曾国藩を助けて長髪賊平定の戦いに参加したり、民国成立の後には袁世凱に買収されて、革命党人の暗殺に従事したり、政治的に利用されたこともある。元来、青幇は運輸労働者のあいだに組織された、交通労働組合であるのに反して、紅幇は、敗残兵や流亡民が土匪と結びついて生じた集団であるので、紅幇員には、正当の職業をもっている者がほとんどなく、無職無頼の徒の集まりといってもよい。青幇とは全く性質を異にしているのである。(p.301)

☆紅幇は青幇よりも危険。



●多くのロマンティックな小説家や物語作家によって語り伝えられたために、現在ではすっかり伝説と化している暗殺教団(ハサン派)は、正確には、ニザリ派と呼ばれるべきイスラム教の一派で、シーア宗の分派たるイスマイリ派の、そのまた支派である。 (中略)
 おもしろいのは、この暗殺教団の首領ハサン(「山の長老」と呼ばれた)が、1090年にアラムートの城を奪い、1124年に死ぬまで、ただの一歩も城から出なかったという事実である。 (中略) 彼は、城中の奥深くにこもったまま、セルジューク領土の各地に潜伏する忠実なニザリ教徒に指令をあたえたり、あるいは、城中から刺客をさし向けたりして、つねに平地に波瀾を捲起していたのである。(p.316)

☆ハサン派は多くの小説で語り継がれてきたらしい。



●ハサン波(暗殺派)という名称は、このハシッシュ吸飲者 hachischin から由来したのであり、この言葉は、刺客 assassin の語源にもなっている。(p.322)

☆アサシンってハシッシュ(インド大麻)から来てたのか。



●秘密結社に関する綜合的な論述のほとんど見当たらない現在、この方面に興味をいだいている読者の渇望を、いくらかでも癒す効果はあろうかと、ひそかに考えている。(p.328「文庫版あとがき」より)

☆秘密結社に関する記述がコンパクトにまとまっていた。




【アクションプラン】




【Amazonレビューより】




【評価】
評価:★★★★☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
秘密結社に興味のある時に。

 
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2017年04月20日

日本人として最低限知っておきたい“Q&A”近現代史の必須知識

日本人として最低限知っておきたい“Q&A”近現代史の必須知識
水野靖夫/著、渡辺昇一/監修 (PHP研究所) 2006年
952円+税


【動機】
近現代史について知っておこうということで。



【所感】
「ポイント」を中心にざっと読んでみた。

興味があるところはさらに本文も読んでいくとなるほどと思うことが多かった。

まさに、日本人として最低限知っておきたい近現代史の必須知識といえよう。




【概要】
自国の歴史を知らない人は世界でバカにされる! 本書は、教科書では教えてくれない近現代史の「真実」をやさしく解説した格好の入門書である。
「中国・韓国などから執拗な歴史認識にまつわる攻撃が舞い込む。真実を何も知らずに、理不尽な謝罪を続け、ますます相手につけこまれるのは日本人として実に見苦しいが、さりとて、それに対して蛮勇を奮う必要もない。ただピシャリと正しい事実を述べればよいのである。おおむね彼らの主張はイデオロギー的な史観にしばられ、嘘に立脚したものだから、正しい知識を前にすると沈黙せざるを得なくなるからである。
本書はQ&Aで設問に答え、解説を読み進めるうちに様々な真実の歴史知識を身につけられる構成になっている。簡便に「知」を身につけられる一冊といえるだろう。果たしてあなたは何割正答できるか。ぜひ挑戦してみていただきたい。」(「監修のことば」より抜粋)


日本人として最低限知っておきたい“Q&A”近現代史の必須知識
水野 靖夫
PHP研究所
売り上げランキング: 442,895




【抜粋】
●日清戦争は、日本が朝鮮の独立を主張し、清国が朝鮮を属国であると主張し、対立した戦争である。すなわち、日本は朝鮮の独立を「援助」し、清国はこれを「妨害」したのである。すなわち、日本の宣戦布告の勅令には「朝鮮は……列国の五伴(仲間)に就かしめたる独立の一国たり」とあり、清国の宣戦勅令には「朝鮮は我が大清の藩屛(直轄の国領)たること二百余年、……」とある。日清戦争後の下関条約(1895〈明治28〉年)で、清国は朝鮮の独立を承認した。(p.17)

☆朝鮮は清国の属国だったのか。日清戦争で日本が勝ってようやく朝鮮は独立できた。



●日露戦争開戦直後の1904(明治37)年、アメリカでは「カラープラン」といって、ドイツは黒、イギリスは赤、日本はオレンジというように、国ごとの戦略が作られた。そして排日移民法が成立した1924(大正13)年、日本を仮想敵国とする対日戦略「オレンジ計画」が確定した。このように、日露戦争以降、アメリカの太平洋戦略は着々と進められていたのである。(p.29)

☆1924年から着々とオレンジ計画。日露戦争に勝ったことでアメリカに警戒されたわけである。1921年、ワシントン会議で日英同盟が解消させられた。じわじわと戦略通りに日本を追い詰めていく様子が分かる。




【アクションプラン】
・また時間のある時に通して読んでみたい。




【Amazonレビューより】
・若い人必読の本 2015年3月8日
若い人必読の本、と書いたが、戦後教育を受けた団塊の世代も読んだ方が良い。日本の正しい歴史を知らないと、海外に行っても恥をかくし、間違った批判をされても、言い返すこともできない。読んでみて大体は知っていたことが多かったが、「北海道、本州、四国、九州を除いて日本の島で一番面積が大きい島はどこか」の質問は評者も正答ができなかった。多くの友人にも同じ質問をしても誰も正しく答えられなかった。たとい知識として知っていても北方四島に考えが及ばないのは、それほど日本人の領土意識が希薄であることの証左だと思った。(織田多宇人さん)

・日本の近現代史の流れと要点をとらえた優れた名著 2012/5/26
世間には日本を保守的に論じる本が多くなり、それはそれで良いことなのだが、もっと手軽に要点だけを知りたいというときには、案外分厚すぎて近づき難い本が多い。たとえば名著『大東亜戦争への道』などはその典型で、内容は素晴らしいが、ページ数が多く、気軽には読めない。

そんななか、この本は日本の近現代史を知るうえで、歴史の流れとポイントを的確にまとめており、重宝する一冊だ。180ページほどであるうえに、中学生ぐらいでも読める文章で、しかも史実を理解するための説明文が理解しやすい。歴史が苦手な人でも平易な内容なので大丈夫である。それに値段も1000円ほどと安い。近現代史のエッセンスである。

黒船来航辺りから、大戦を経て、現代の拉致事件までが載せられている。そういう史実は一つ一つが現在までずっとつながりを持っているということがよく分かる。
Q&Aとあるが、内容の全部がそうなのではなく、まず要点を問い、そのあとにそれを文章で解説するといった構成になっている。

いままで保守派の本はいろいろ読んで来たが、この本に出会うのはかなり後になってからだった。最初の頃に読んでおけば、基礎知識が身についてより他の本の理解が深まるはずだった。それが惜しい。(一読者さん)




【評価】
評価:★★★★☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
近現代史、手軽におさらいしたいときに。

 
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2017年04月19日

最速で身につく世界史

「24のキーワード」でまるわかり! 最速で身につく世界史
角田陽一郎/著 (アスコム) 2015年
1,100円+税


【動機】
世界史を勉強しようということで。


【所感】
おもしろそうと思って読み始めたが、読み進めるうちに内容が薄っぺらい気がした。

まだ途中までなので、最後まで一気に読んでから判断したい。

世界史に関してはいろいろな意見を取り入れたいので、書いてあることをそのまま鵜呑みにせずに
考えたり調べたりしながら読もう。




【概要】
すべての世界史の本の入り口となる本です。
つまり、世界史の入門書の入門書です。

実は、従来の入門書は、意外にハードルが高いものが多くなっています。
理由としては、「出来事が羅列されているだけ」「結局は歴史の流れをつかめない」「固有名詞が多すぎ」など。
無味乾燥な情報の詰め込みすぎなのです。
その結果、つまらない上、分量が多すぎて読むのが非常に疲れます。

そこで本書では、「面白い! 」「なるほど! 」を読者に感じてもらい、
世界史に興味をもってもらうことを主眼に置くことで、
読者に世界史に嫌悪感を抱かせたり、挫折させたりしないようにしました。

「なぜその事件が起きたのか」「現代社会とどのようにリンクしているのか」
「現代社会に例えるとどんなイメージなのか」「一言で言うと、結局どういったことなのか」
「当時の人々はどんな気持ちで行動を起こしたのか」などにフォーカスすることで、それを実現ました。

ですので、事件や人物の(入試等での)頻出事項を網羅することは、
他の世界史の本(入門書も含む)にゆずると割り切っています。
まずは興味を持ってもらい、各々の出来事のイメージを持ってもらうのが先決だからです。
これが真の入門書の役割と言えましょう。

テレビのバラエティ番組のプロデューサーが本職の著者・角田陽一郎は言います。
「今起こったことや最近流行ってることを、瞬時に理解して、どう表現すると皆さんに伝わるか?
僕らテレビスタッフは始終考えています。
そして放送時間は限られています。
まさに情報を“最速で身につける"のがバラエティ番組なのです。
この「最速で身につく」という観点で、世界史を構成・編集したのが、
まさにこの『最速で身につく世界史』です」

また、著者は東京大学西洋史学科で世界史を勉強・研究してきただけでなく、
世界史とは一見関係性の薄い書物も多数読んできました。
著者の持つ膨大な知識から、わかりやすく、面白いものを厳選して集めたのが本書なのです。(Amazonより)


「24のキーワード」でまるわかり!  最速で身につく世界史
角田陽一郎
アスコム
売り上げランキング: 21,560




【抜粋】
●毎年決まって氾濫が起こるこの周期性こそが、エジプトで計画的な文明を誕生させました。毎年決まった時期に増水が始まるわけですから、その日を元旦に設定して1年が365日の太陽暦が作られました。なんとこれが、現代の暦の起源にまでなっています。そして、この太陽暦をはじめとした大陽の文明を取り仕切るのが、太陽の王=ファラオです。(p.42)

☆モンスーンによる雨でナイル川が増水し、下流のエジプトでは毎年決まった時期に氾濫がおきていた。この氾濫が、耕作の敵である塩分を農地から洗い流し、肥沃な土壌が上流から定期的に運ばれてきた。太陽暦はエジプト文明で生まれた。



●さらに契約の日がわかりやすいように、月の満ち欠けで1年を12か月にする太陰暦を定め、1日を24時間にします。(p.44)

☆太陰暦はメソポタミア文明で生まれた。争いが絶えない社会の維持のために契約が作られ、その契約の記録のために楔形文字が作られ、硬い粘土板に刻まれた。



●中国には稲作文化が根付くことで、大量の人口が定住していました。有史以来、世界の中で常に人口が最も多い地域、それが中国大陸なのです。(p.103)

☆現在、中国といえば世界一人口が多い国だけど、有史以来ずっとだったのか。



●東西長さ6000q以上に及ぶ、ウマが越えられない約2メートルの高さの粘土を固めた城壁です。国土の防衛、それが統一国家に求められる第一の使命なのです。(p.107)

☆万里の長城を作っても超えられるような気がしてたけど、よく考えたらウマが越えられない。そういえばモンゴルは騎馬民族だ。



●王朝末期に起こった反乱には、次に到来してほしい王朝の色を名称につけたものが多くなっています。例えば、前漢(赤)を滅ぼした新に対し、漢の復活を求めた運動が「赤眉の乱」。後漢(赤)の打倒を図り、次の土(黄)の王朝を期待して起こった反乱が「黄巾の乱」なのです。(p.127)

☆黄色の頭巾を身につけていたから黄巾の乱というのは知っていたが、なぜ黄色なのかまでは考えたこともなかった。



●五胡十六国の後、華北を統一したのは鮮卑の王朝・北魏でした。(p.129)

☆北魏って鮮卑だったのか。



●隋唐帝国は秦漢帝国以来の王朝ですが、実は随の楊堅も唐を興した李淵も鮮卑の出自と言われています。(p.130)

☆随も唐も鮮卑だったのか。鮮卑多いな。



●匈奴や鮮卑が漢化した後、登場したアイドルは鮮卑に従属していた柔然です。そして彼らは鮮卑の北魏と対立し、やがて衰退します。その後に登場するアイドルが、柔然に従属していた突厥です。 (中略)
突厥亡き後のモンゴル高原には、ウイグル、キルギス、タタール、キタイというアイドルたちが登場します。ウイグルはイスラム化して現在の中国で新疆ウイグル自治区を形成していますし、キルギスもイスラム化して中央アジアでキルギス共和国をなしています。
 ちなみに香港を拠点とするキャセイパシフィックという航空会社がありますが、このキャセイとは契丹が語源です。この契丹人が作った遼は、宋(北宋:960〜1127年)をジリジリと北側から圧迫します。(p.132)

☆突厥は西に移動して現在のトルコ共和国の元となる。
遼は契丹人が作った。



●以後の中国王朝は(引用者註 朱子学が誕生した宋の時代以後は)、儒教の経典を丸暗記するという難解な試験制度である科挙に合格しなければ、権力のある地位につくことは不可能になります。でもこれによって、優秀な人材が古典を顧みることしかしなくなり、中華文明の停滞が起こってしまうのです。
 やがてヨーロッパでは近代文明が起こりますが、多大な富と人口を持つ中国で近代文明が誕生しなかった原因は、この文明の停滞に原因があるかもしれません。(p.134)

☆古典を勉強しすぎるのもよくないということか。



●東方正教会は、東ローマ帝国から北方のロシア人やブルガリア人など、主にスラブ人に広まりました。ちなみに奴隷を英語で「slave」と言いますが、これがギリシャ人がスラブ人を奴隷にしたことにちなんでいると言われています。(p.144)

☆「slave」(奴隷)はスラブ人から来てたのか。



●イタリア半島では、ローマ教皇がいるローマよりも、各商業都市が東方との香辛料の海運業で交流しました。 (中略)
 当時のイタリアの諸都市とは、アマルフィ、ピサ、十字軍を通して東ローマ帝国と交流したヴェネツィア、その後モンゴル帝国との商業で勢力が伸長したジェノヴァ、そして商業に必須な金融業で繁栄したフィレンツェなどです。イタリアは、これらの年を持つ国々と、ローマ教皇領が領土を分け合う状態で19世紀まで続きます。(p.155-156)

☆ローマよりも力が強かったようだ。



●良港であるポルトガル第一の都市・リスボンは、イタリア商人の一大拠点。第二の都市・ポルトはその名がずばり港(port)で、名前が国名の由来になるほどの港の国、それがポルトガルなのです。(p.156)

☆ポルトガルは港って意味だったのか。



●ヨーロッパで最初に商業で繁栄した開運国家は、1648年にスペインから独立する以前のオランダでした。農地に恵まれなかったオランダではもともと、漁業や毛織物業が盛んでした。
 オランダは自国で生産した産物を輸出することで、大西洋とインド洋とを開運で結びつけます。そして植民地に資本を投資し、大規模農園の経営を始めます。先住民や黒人奴隷の労働力を有効活用して、単一作物を大量に栽培するプランテーションを開始したのです。
 プランテーションは、より規模を拡大していきました。そのためには資本が要ります。こういった事情から、資本を集めるために株券が発行され、株主に購入してもらうことによって資本を集める、現在の株式会社の原型ができあがるのです。
 1602年に作られたオランダ東インド会社は、世界初の株式会社と言われています。(p.234-235)

☆株式会社の成り立ち。



●インドでは16世紀、ティムールとチンギス・ハンの子孫でイスラム教徒のバーブルが北インドに侵攻し、ヒンドゥー教徒の住民を支配してムガル帝国を建てます。ムガルとは「モンゴル」の意味です。支配者が一神教のイスラム教で、住民が多神教のヒンドゥー教となるのです。これが現代のインドとパキスタンの抗争の遠因です。(p.251)

☆ムガール帝国のムガールってモンゴルのことだったのか。



●金の末裔・満州の女真が、17世紀初頭に衰退した明を滅ぼし清を建てます。 女真は、辮髪という頭髪の一部を残して頭を剃る髪型を漢人に強要、中国を女真化して支配・統合を図ります。
 また台湾、モンゴル仏教(ラマ教)のチベットとモンゴル、イスラム教徒のウイグル人の東トルキスタンを征服して、現在の中国の領土の元になる地域を統合します。東トルキスタンは、新たな領土という意味の新疆と名付けられました。(p.252)

☆チベットってモンゴル仏教だったのか。



●ヨーロッパ制覇を狙った19世紀のナポレオンと行動が似ています。 (中略) ソ連軍の激しい抵抗でドイツは退却。これもナポレオンと同様です。ヨーロッパ制覇という独裁者の熱い野望は、いつも極寒のロシアに阻まれるのです。(p.279)

☆同じようなことをしているのにナポレオンとヒトラーで評価が全く違うのはなぜ?


●第一次世界大戦の最中、1917年の3月に首都サンクトペテルブルクでの食糧暴動がきっかけで各地に労働者の評議会=ソビエトが結成され、ソビエトが臨時政府を作り、ロシア帝国のロマノフ朝は滅亡しました(三月革命)。この臨時政府の段階では共和政に移行したままです。しかし、社会主義者レーニン主導のボリシェヴィキは11月に臨時政府を倒し、ボリシェヴィキの一党独裁体制による社会主義政権を樹立したのです。わずか数カ月で市民革命と社会主義革命を成功させてしまったのでした。(p.295)

☆市民革命前の絶対王政の状態から二段階の革命。ロシアには倒すべき資本家が非常に少なかったから社会主義革命がスムーズに進んだ。





【アクションプラン】




【Amazonレビューより】
・間違った歴史知識を拡散させるサラリーマン・プロデューサーの勘違い 2016/2/23
≪この本では、僕が今まで見聞きして得た知識の中から、大まかな世界史の流れを述べただけなので、
解説があやふやだったり、不十分だったりする部分も多いです。
あえて参考文献を載せなかったのも、そのためです≫(350頁)
これが「おわりに」で明かされる本書の結論です。著者の言い方に倣うなら「オチ」です。
こういう大事なことはせめて「はじめに」で宣言していただきたかったです。

≪間違った思い込みをしてしまい、間違った方向に導かれると、人類に間違った行動を起こさせます。
そしてその繰り返しが、世界史を作ってきたのです≫(61頁)
著者が「宗教の話」で主張しているこの記述はそのまま本書にも当てはまります。

≪もしこの本を読んで、「あっ、この時代面白い!」とか少しでも興味を持ったら、
むしろその先を自分で調べていただきたいのです。今は、スマホもパソコンもあります。
ちょっとでも気になったら、すぐにインターネットで調べられる時代です。
詳しい史実は後からちゃんと学べばいいじゃないですか?まずは世界史の面白さを知って欲しいのです≫(9頁)
そうであったとしても、思い込みによる間違った歴史知識を「最速で身につける」のは、
余計なバイアスがかかるだけの百害あって一利なしといえます。
集合知とはいっても、残念ながらWikipediaなどのネット情報には間違ったものが氾濫しています。

「情報は量を集めても意味はない。真偽を見極めることが大事」(323頁)
と著者自身も書いているとおりなのですが、反面教師として本書を提示しているのでしょうか?
しかも「お金の話」と「情報の話」では議論が堂々巡りしています。

≪皆さんがまず世界史を学ぶ前に知っておいた方がよい歴史背景や考え方の説明に主軸を置きました≫(8頁)
その説明が「文明なんて"たまたま"起きるものなんです」(33頁)などというのは如何なものでしょう。
何でも「たまたま」と説明できる実に便利な「考え方」で、思考停止に陥っています。

「四大文明が生まれた場所は"砂漠"ではなく"沙漠"」(31頁)
≪つまり、水も何もない広い土地こそが"沙漠"というわけです≫(32頁)
と言ったかと思えば、
≪四大文明に共通するもう一つの条件は、すべて大河の流域に存在したという点です≫(39頁)
前者と後者の主張は矛盾しています。「歴史背景や考え方」を主軸に置いたという割には杜撰な記述です。
いわゆる「四大文明」以外にも多くの文明が存在しますが、
その多くの文明のなかから大河の流域に起こったものだけを一括りにして「四大文明」と言っただけなので、
「歴史背景や考え方」としてはあべこべです。

本書は民放テレビ局TBSのプロデューサーが世界史をキーワードごとに記述したものです。
近頃は企業CEOなども世界史の本を書いていますが、
歴史書は誰が書いたかが問題ではなく、内容が重要です。

「24のキーワード」で語るのが本書の特徴ですが、
その内容はWikipediaほどにも踏み込むことなく無難で、
途中から教科書を読んでいるかのような筆致で浮説に依拠しています。
つまり、残念ながら本書の記述も大部分が的外れで間違っています。

プロデューサーにとって重要な要素のひとつは資金を作ることですが、
テレビ局のプロデューサーはただのサラリーマンなのでこの能力が欠如しています。
また、プロデューサーにはプロジェクトの経営能力も必要ですが、
著者はネット動画配信会社goomoの取締役になったもののgoomoは三年で解消となっています。

それでも広告代理店やプロダクションなどが彼らをちやほやするのは何故かといえば、
彼らの「理解力」や「表現力」が優れているからではなく、単にテレビ局は免許事業者だからというだけなのですが、
勘違いしてしまうテレビ局員が多いのが実態です。

≪僕がこれまでやってきたバラエティ的なやり方で、
世界史にも企画や演出でいろんな味付けをして、世界史の本を作ってみよう!
そうしたら、歴史が苦手な人にもとっかかりになるような読みやすい世界史の本ができるのではないか?≫(7〜8頁)
「演出」ですめば問題ないのかもしれませんが、
残念ながら本書の多くは斉一説への還元やストーリー化の罠に陥った「演出」の範囲を越えた「捏造」です。

それでいて所々に説教臭い記述もみられます。
≪このように世界史を、プラス・マイナス両面を合わせ持った事象の集積と捉えること。
それが、世界史を深く知ることの意義です≫(214頁)
≪戦争とは勝ち負けにかかわらず世界を再編していくアクションであることを知っておくのは、
世界史理解における重要なポイントです≫(270頁)
ところが、第二次世界大戦などは国連戦勝史観で一方的な記述がなされています。

正確性を欠く記述については枚挙に遑がなくほぼ全ページに赤ペンが入れられるのですが、
以下で少々あげておきます。

≪日本ではこの時期に独自の文明が起こらず、
縄文時代が紀元前2世紀頃という比較的新しい時代まで長く続いたのは、恵まれすぎた環境だったからなのです≫(33頁)
自虐史観でしょうか?著者は「文明」の定義を明確にしていませんが、
縄文文化は世界で初めて土器を発明し、世界最初期である一万六千年前に農耕を始め、
一万年以上にわたって持続可能な社会を形成していた立派なCivilizationです。

≪文書などに記録されて、後世に知られるものだけが歴史と考えられがちです。
でも逆に言えば、相手が認識しようとしまいと、そこに文明があったことは事実なのです。
この考え方も、世界史を勉強する上では重要なポイントとなります≫(147頁)
著者は中華文明の始まりを黄河文明としていますが、黄河文明よりも長江流域で起こった彭頭山文化の方が古く、
縄文文化はその彭頭山文化よりも五千年以上古い文化だという事実を忘れないでいただきたいです。

≪多神教は温暖湿潤で多種多様な動植物がいる環境で生まれた"森の宗教"です≫(56頁)
著者は一神教を「砂漠の宗教」としますが、もともとはユダヤ教も多神教だったのでその区分は成立しません。
そもそも、ユダヤ教の母体となったカナンの地もキリスト教が生まれたガリラヤも沙漠ではありませんでしたし、
ユダヤ教・キリスト教をベースにイスラム教が誕生する前のアラビアは多神教であり、
タクラマカン沙漠でもゴビ沙漠でもコロラド沙漠でもサハラ沙漠でも原住民の宗教は一神教ではありません。
ユダヤ教が一神教になったのは別の理由です。
ちなみに、宗教学で「一神教は砂漠の宗教」なる妄言は「有害な俗説」として扱われています。

≪四大文明とその周辺地域で、集団社会がほぼ同時に発生したので、思想も同じタイミングで生まれた≫(64頁)
千年以上ズレがあるのに「ほぼ同時」と思い込める無邪気さに呆れます。

≪最盛期のアテネ市民は15万人に対し奴隷は10万人もいたと言われています。
現代の人類平等理念に基づく民主主義とは違う、富裕層だけの特異な民主政治だったのです≫(73頁)
間違っています。「市民」であることに貧富は関係ないので「富裕層」ではなく「市民」とすべきです。
「市民」とは「戦争に参加する義務を果たす人」でもあったので、古代ギリシャの民主主義と戦争は不可分の関係です。

≪新たな宗教が広がるきっかけは、社会に不満が高まっている時が多いのです。それが世界史のセオリーです≫(85頁)
これは逆も真です。特に古代ローマの場合は複数の宗教が共存共栄していたにもかかわらず、
キリスト教が他宗教の神を偽物だと批判したことから社会不満が発生したのです。

≪明治維新では「(4)旧体制のボスを処刑する」という最も革命的な断絶的な行為がなかったのが
(革命=Revolutionと)決定的に違います≫(229頁。丸括弧内はレビュー者による註)
著者には本質が見えていないようですが、
明治維新では「(1)外部から理念が注入され、民衆の不満が発火して爆発する」という点も決定的に違います。
明治維新は体制を担っていた武士が自らの特権を手放す運動(雄藩vs幕府)を起こして大政奉還を実現させたもので、
民衆の与り知るところではなかったのです。(蒼穹の歴女さん)



・動いた理由がわかる 2016/2/3
テレビのプロデューサーが世界史の本 ?と最初は少し慎重に読み始めました。しかし、東大卒の歴史好きはさすが違う!と思います笑 私も世界史は好きでしたが、なかなか歴史系の書を全巻読もうとか思いませんでした。

駿台予備校の茂木さんの著書もわかりやすいですが、いかんせん受験対策以外の著書ではいくぶん個人的な意見が散見されます。もちろん個人の著書は個人の自由なのですが、茂木先生に習った10代のファンもいるだろうと思うと、その影響力の高さから、もう少し公平に、客観的な論述に留めて欲しいなと思います。

その点、こちらの著書の方は、世界の平和を願っているだろう心優しさは全体的になんとなく感じられるものの、それも少しにとどまっており、わかりやすい世界史のストーリー解説に徹していると思います。そこはとても評価できる(高校生にも推薦しやすい)と思いました。むしろその心優しさは、今後の世界平和を考える上でとても大切だと思います。それもあってこの著書を書かれたのかな?と思いました。

具体的に良かった点は、
世界史の教科書だと突然フン人がヨーロッパにやってきて西ゴート人が移動して民族大移動したことになっていてそれを丸暗記するのが受験なのですが、この本ではどうしてフン人が移動を始めたかという流れがきちんとわかるので、世界史をそこで初めて理解できると思います。アメリカという国が出来た成り立ち、革命の背景なども、教科書だとわりと地域ごとの歴史なので、ヨーロッパ学んだと思うとアメリカ史の章になってそこからまた暗記になりますが、現代と同じように、過去の国々もお互いに影響し合うことで歴史が動いてきました。そのことがきちんとわかるので、これだお世界史がおもしろい!と思えるのではないかなと思います。

一応プロの歴史家から見てこの本がどうなのかわからかいので星は4とさせていただきますが、わかりやすくて歴史理解の一助には確実になりました^_^ありがとうございます(peeweeさん)




【評価】
評価:★★★☆☆
こんな人に、こんな時におすすめ:
世界史のパターンを身につけることで将来の予測ができそう。

 
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